花鎮祭

やすらい花や
や、とみくさの花や
やすらい花や
や、とみをせばなまへ
やすらい花や
や、よみをせばみくらの山に
やすらい花や
や、あまるまでなまへ
やすらい花や
や、あまるまていのちをこはば
やすらい花や

「申し、どこへゆかれます」
耳元にささやくような声がして、藤原侍従長経は頭を上げた。
  もとより自分の牛車の中、しかもこのような宵のしのびの外出、客を乗せようはずもな
い。
・・・夢か。
と、思えど妙に生々しい息づかい。けげんといえば先から牛車が止まっている。
「・・・・どうした」
簾を上げて問えば、困りきった顔の牛飼い童のかかげる松明に照らされて、牛車の真ん前に一人の稚児が立っている。ふわりと微笑んで丹の唇が動いた。
「逢魔が刻に出歩くと、鬼に憑かれますよ。」
  先のささやきの主ははたしてこの稚児か、と長経はじっと見据えた。
表に純白、裏に萌黄の柳襲の水干。髪を結い上げ、きちんと化粧した艶やかな様子は、誰か高位の御方の従者とも見える。
  ただ・・・・。
  そうとも言い切れぬのは、美しすぎるせいか。
「見ればゆかしげな童の一人歩き。ではこのような刻に人の行く手をさえぎるそなたは、鬼か魔か」
  長経の問いに稚児は答えず、
「逢魔が刻に出歩くと、鬼に憑かれます。特に今宵のような、桜の咲く夜は」
同じ言葉をくりかえした。
  七日ほど前から咲きだした桜は、今日が盛り。
  あわあわと咲く花が風を薫らせ、絢爛優美に揺れている。
  昼の桜も美しいが、朧月に照らされた宵の桜は凄みさえ出てくるようだ。
  ・・・・なにものかがそこに棲んでいるような。
  そうたしかに棲んでいる、と長経はこれから訪ねる女の邸を思い浮かべた。
  あの邸にもひときわ大きな桜の古木があった。
「妻問いは逢魔が刻にするものぞ」
  長経が言い放つと、意外や稚児はあっさりと道をよけた。
  簾が下り、牛車が動きだす。
  きい、きい、と軋みをたてて西の京の方へ去ってゆく牛車を、稚児は静かに見送った。
築地の影から立ち現れた男がある。狩衣立烏帽子の出で立ちで、しばし無言で牛車を見送った後、稚児に向かって
「人には物好きが多い」
「見ておられたならば、何故に一緒に止めては下さらぬ」
「・・・・花夜叉よ、あまりに止めては我らの務めも成り立つまい」
  ぞっときつい目で、口もとだけは笑うこの男、名を鬼夜叉という。
  稚児の花夜叉、にっこりと微笑んで
「確かにさようでございます。さらば、務めをはたしに参じましょう」
  鬼夜叉はうなづいてゆるりと歩きだす。
「あ、花びらが」
  花夜叉に言われて見ると、風に吹かれて散る花の、花弁がひらひらと二人の前に流れてくる。鬼夜叉はそっと扇でそれを受けた。
「桜は憑坐。神の御座所。田を護るに欠かせぬ祀りの木だが‥‥、田のない都でははてさて鬼が出るか蛇が出るか」

殷の紂王は妲妃の色に溺れて国を滅ぼし、褒似の一笑は周を傾く。
  世に傾城傾国の美女という。さんぬるかな・・・・
  世の中に、我と女とただ二人、
という感覚が長経の身を満たしていた。すなわち、陰と陽。雌と、雄。
  都の内でも荒れた西の京の一角に、ひっそりとある屋敷の内に、絶世の美女が住む、との噂にひかれたのはつい七日前。花の蕾もふくらみ始めた頃のこと。垣間見るにつけてもいてもたってもいられなく、文をやったのが三日前。
  そして、今宵。
几帳の向こうに相対する女の影がある。
  夢の間惜しき、春。
  影に向かって手を伸ばす。
  几帳が倒れ、女が倒れる。腕の中に女がいる。
「‥‥やまざくら 霞の間よりほのかにも 見てし人こそ」
・・・恋しかりけれ、
と貫之の歌を耳元に囁いた。
柔の腰がゆるりと反り、するりと袿が脱げ落ちた。白い手が長経の頬に伸びる。
  いよいよ愛しく女を抱きしめ、床の上に倒れ込むと、小袖をはだけてふくよかな胸に顔をうずめた。
  はらはらと散る桜の花弁が、部屋の中に舞いこむ。
  目をふっと横へ逸らした女が
「‥‥ああ、桜が」
見ておりますね、と呟いた。
「あどけないことを云う」
長経は笑って直衣を脱いだが、そう言われると、月明かりに照らされた花が、じっとこちらを凝視めているような気がしなくもない。
  気味悪さを振り払うように、女に挑んだ。
ざわざわと二人の、躰躯が揺れる。
  ざわざわと花が揺れる。
  ざわざわと。
  ざわざわと。
  花が。部屋の、中へ。
  振る。降る。フル。・・・・・フリツモル。
  花が。幾百、幾千もの花が。
凝視める、凝視める・・・。
花の蓐で睦みあう二人を、花が見ていた。
  花弁の淡い桜色は、上気した女の肌の色にも見える。その中にみどりの黒髪が、一筋の河のようにたゆとうている。
  ・・・・桜の精を手に入れた、
と長経は思った。
「御前さま。桜の花は、なにゆえ薄紅なのでありましょう」
  女が長経の腕にすがって聞いた。
「そうよの」
  桜の木の下には、なにかがいるのだ。
  薄紅の花の色は、肌の上から透けて見える血の色にも似ている。
・・・ああ、そうか。桜木が血を吸っているのだ。
心の底で響いた声に長経はぎょっとして頭を上げ、しんしんと花を降らせる桜の木を見た。なぜ、そのようなことを思ったのだろう。恐ろしい考えだ、と首を振ったが、木を見れば見るほどにその考えに得心がいく。
「‥‥‥桜の木の下には、屍体が埋まっているのだよ」
では、棲んでいるのはなにものだろう・・・。
  女が、やはり舌で長経の唇をそっと舐めた。双の腕を長経の首に絡め、耳元でひそ、と囁く。
瞬間、目の前が真っ赤になった。女を抱いたまま、長経の身体は硬直した。
  床一面に広がる、真っ赤な花弁。‥‥赤。赤。赤。
  さっきまで薄紅色だった花びらが、全て鮮血の色となっていた。
  血の海の中で、黒髪を裸身に絡みつかせた女が笑っていた。
  がたがたと震える手に、できるかぎりの力を込めて、女を突き放す。置いた太刀の方へ行こうとするが、思うように身体が動かない。
「‥‥御‥前さ‥‥ま‥‥」
「‥‥ひっ‥ぁ」
  大声で供の者を呼ぼうとした長経の口から洩れたのは、空気の鳴る音だけだった。
「何‥‥故‥‥逃げら‥‥れま‥‥す」
「し、知らん。・・・お前などっ、」
  女の抑揚のない声が妙にゆっくり聞こえる。血まみれの身体が、ずる‥‥ずると床を這って長経に近寄ってくる。
「‥先程の‥‥お言葉は‥‥」
「えっ‥‥あぅ、よ、寄るな」
  手に触れた小袖を夢中でかざして女をさえぎる。
「・・あぁ‥‥哀しや‥‥」
  女が大きく両手を広げて上体を起こした。同時に血汐が、ざぁっと天井まであがる。その頂点に白い女の顔が見える。
  小袖を頭からかぶって、長経は床に倒れ伏した。

  ずるり、ぴちゃ。
  ぴち。ぴちゃり。‥‥こり。
  何かをねぶるような音。・・・喰っている音?
  ・・・・アンシンシロ、オマエハクワナイ。
  落ち着いた、冷たい声が上から降った。月の白々した光が、瞼の裏へ差しこんでくる。
  恐る恐る身体を起こした長経の目に入ったのは、女の生首を手にした一人の男・・・。
ぺろりと旨そうに首を舐める。
  その横で、あの稚児が半分骨の見えた肢をしゃぶっていた。
  不思議なことに二人の整った顔にも、着物にも、一滴の血もついてはいない。
  稚児が骨だけになった肢をかたりと投げてよこした。
「ですから申しましたでしょう。逢魔が刻に出歩くと、鬼に憑かれると。」
  にっこりと笑った稚児の眼が、赤く光ったような気がした。
「ア、ア、‥オ、鬼‥‥」
  呂律の回らぬ舌で叫びながら、長経は逃げようとしたが、腰が抜けて動けない。必死で這おうとしたその前に、男がふわりと立ちふさがった。
  涼しい瞳で長経を見下ろす。色白の面は口もとだけが笑っている。・・・美丈夫、というのであろう、人間であれば。
  男は片膝をつくと、扇で長経の顎を持ち上げた。
「‥‥桜の木には魂魄が棲んでいるのだよ」
太く、静かな、だが聞く者を震え上がらせるような冷たい声。先程の声の主だ、オマエハクワナイと言った・・・。
  では何を喰うのだ。
  女はかれらに喰われたのか。
  あの血汐は女の血なのか。
  このモノたちが女を殺したのか。
  それとも‥‥。
  真紅の桜の花が散る。次々に散っていく。
  振り返った長経の目に映ったのは、花吹雪の中で微笑む稚児・花夜叉。広袖が風に翻って舞う。女の首も、肢も、躰躯もその中で霧のように消え失せていった。
「薄紅色の桜の木の下にあるのは、人の屍体。真紅の花を咲かせるのは、その下に鬼の屍体が埋まっている所為ですよ」
  花夜叉の高く澄んだ声。
  花はその血を吸って赤く染まる。鬼となった者の念は常より強く、花は血汐の色になる。
「さ、鬼夜叉どの。参りましょう」
  呼びかけにゆっくりとうなづいて、鬼夜叉は長経から離れる。花夜叉に向けられた瞳は、うってかわって限りなくやさしい。
  青ざめて身動きもできず、ただ震えている長経に向かって
「おい、われらは鬼ではないぞ」
「‥‥ふふふ、では人かと言いたげな。察しのとおり人でもありませぬ」
  そのまま闇の中へ溶けていく二人。
  ふと長経がわれに返れば、ひとり荒れた邸の中に座っていた。
まわりに散らばるのは、自分の直衣、指貫、烏帽子に下袴。‥‥‥花びら。
  薄紅色のあわあわとした桜。
  供の者は何事もなかったとてんから信じこんでいる。この荒れ邸にきたのは、主人の気まぐれなのだと。
長経はその後、当代一の陰陽師である安倍泰親を訪ねて、この不思議を語った。
  以下は泰親による話である。
  かの邸で以前、女が殺されたことがあった。ちょうど桜の咲く季節。
  おそらくは舞い散る花の中で、女は犯され、殺された。一部始終を桜は見ていたのだ。
かき切られた咽喉から出る血は、床一面に散らばる花弁を真紅に染めた。四肢を、首を切断され、屍体は桜の木の下へ埋められた。
「桜は神の宿る木なのですよ、侍従どの」
  と、泰親は言った。
  村々では春、山の神を里に招いて祭りを行う。今年の豊作を祈るのだ。山の神は田の神でもある。春から秋までの間、神は木に宿って里にいる。
  桜は、その神の御座所となる木なのだ。
「神の降りられる巨岩を、石座といって都の四方に祀っておりますでしょう。同じことですよ。山の神をサの神とも申します。ゆえに桜はサクラ‥‥サ座というのです」
つまりは精霊や魂魄が憑りやすい木なのだ、桜は。
都には、桜に神を祀る農民はいない。いるのは貴族と官僚ばかり。しかも桓武帝が平城から遷されたその時から、都は鬼の跋扈する魔都でもあった。
疫神が、鬼が、御霊が桜に宿る‥‥。
だからこそ人々は謡うのだ。花鎮めの謡を。
・・・・やすらえ、花や
と。
  殺された女の屍体は桜の下で血を流す。恨みと執心の血を吸って、花は真っ赤な色となる。
屍体から放れた魂魄は、憑坐である桜に宿る。花が咲けば宿った魂魄も、この世に顕現れる‥‥。そして花が咲き、花が散る、繰り返す四季の中で。繰り返す時の中で。やってくる男に憑くのだ。
  これは一つの鋳型をもった恨みの環。たとえ人が置き代わっても、かの女は永遠に繰り返す環の中を巡り続ける。
「では、あの二人のモノは何者だろう」
  鬼となった女を喰らい、闇のなかへ消えていったあの二人は。
  長経の問いに、泰親は軽く首を振った。
「‥‥鬼でもなく、人でもない。ならばおそらく夜叉でありましょう」
「夜叉神将か?」
「いえ、式神ではありません。如何なるモノなのか、私も存じませぬ。ただ、かれらは鬼でもなく、人でもなく、鬼を喰らって長い年月を生き続けている。はたして肉体があるのかもわかりませぬが、そういうモノを、私は夜叉と呼んでいるのです」
  泰親の若々しい顔が、少し歪んで、笑った。泰親はもうずっと前からかれらを知っているのかもしれないと、長経は思った。
ともあれ自分も鎮花祭へ参る人の列に加わるだろう。御霊を鎮め、豊作を祈り、不幸な環の中に棲んでいたあの女の冥福を祈るために。
「‥‥‥やすらい花や や、とみくさの花や」
  長経は口の中で謡を呟いてみた。
木下闇の中で、夜叉たちがひそと笑った気がした。