千本桜

さくらの花が一枚、はらりと散って舞った。身には感じないがほのかな風の吹いたもの
であろう。
  吉野山の西行の庵に一人の法師が訪れたのは、そんな春の宵であった。月も花もゆるやかに笑ってさざめいていた。
  「叡性と申します」
とその法師は名乗った。傍らで連れの白狐がコン、と鳴いた。
「いぶせき伏屋にて何もござらぬが、白湯など飲んでおくつろぎなされ」
不意の来客に戸惑いながらも、嬉しくなって西行は席をすすめた。
「お望みなれば般若湯もござるよ」
「いや‥‥この花と月とがあれば充分‥‥」
「まことに、一人で眺めるには勿体ない。ささ、早うお入りあれ」
ふわあっと風が吹いて花が吹雪いた。開かれた窓から舞い入って、二人の足下にひらりと降りる。
  白湯を満たした盃の上には薄く紅を帯びた花弁と月。それを飲み干して目を上げれば、また花の海、月の影。
「素晴らしい眺めで‥‥」
「愚僧もこの年まで生きておるが、これが一番‥‥。願わくば花の下にて春死なん‥‥その如月の‥‥」
「やはり月も‥‥?」
「そう、望月のころ」
  西行が目を細めて言った。
  叡性が頷きながら言う。
「それがしは花の吉野は初めてでござる」
「以前はいつに‥‥?」
「雪のころに」
「雪のころ?」
「去んぬる文治元年の暮れ」
「と、言うと九郎判官どのの‥‥」
「さようで。そのころは未だ世俗の身にて、上総の住人羽生五郎祐貞といいました」

     ×         ×

「峰の白雪踏み分けて‥‥舞い散る雪は花の如く‥‥されど、血気にはやる我が身にはただ邪魔なばかりでありました。如何にもして判官どのを捕らえ参らせ、功名立てんと。
吉野金峰山の大衆がすでに追うておりましたので、かれらに先をこされてなるものかと、その一心でありました。
  夜になり、吹きすさぶ風もすさまじく聞こえる中に、切れ切れに
『九郎判官どのは山の戦に負け給いて、寺中へ逃げ給うぞ』
『弓矢取る者は追えや、追え。逃がし奉るな』
と喚く声が聞こえます。
さてようやく探し当てれば、山科法眼の坊を大衆が囲み、松明を手に口々に叫び喚いて判官どのに降伏を勧めておりました。
  そのうちに川連法眼という者が、焼き出して射殺せと申し、衆徒はおお、と鬨の声をあげました。
  いざ火矢を射かけんとしたときに、屋根の上からちろり、と赤い火が見えました。
  その火はみるみる大きくなり、すぐに屋形の大半に回りました。
  これはまずい、と衆徒を掻き分けて前へ出ると、一人の武将が広縁にすっくと弓杖をついて立っていました。炎に照らされ、闇夜にくっきりと浮かび上がっておりました。
  三滋目結の直垂、緋縅の鎧に、星白の兜の緒を締め、黄金作りの太刀を帯き、年の頃は二十余と見ゆるきらきらしい大丈夫……。
  この場にあって慌てず騒がず、きっとこちらを見据えるさまは颯爽として美しく、さすがは源氏の御曹司、九郎判官義経どのよ、と思わずしばし見とれていると……
  『大衆どもよ、万事を鎮めてこれを聞け』
  朗々たる美声でした。若々しい顔にはせせら笑いが浮かんで、いっそ不敵に見えました。
『儂を真に九郎判官どのと思うか。君はいづかたへか、すでに落ちさせ給うぞ。これは判官どのの御内にて、佐藤四郎兵衛藤原忠信という者なり』
  大衆がざわめいて殺気立ちました。吾も吾もと太刀を抜き、愚僧が討つ、いや拙僧が、と炎の吹き上げる屋形へじりじりと寄っていきました。
  それがしも騙された悔しさに、いざや一太刀、と歩を進めていると
『腹切るぞ!』
と大音声が聞こえました。覚えず、皆が一瞬足を止めて見つめました。すでに抜き身の太刀に懐紙を巻き、腹に突き立てようとしていました。
『わが討ち取りたり、人の討ち取りたるなどと、言うな、言うな。首をば取って鎌倉どのの見参に入れよ!』
  太刀を左脇腹へ刺し通すや、踵を返して屋形の内へ走り入りました。衆徒も皆それを追いましたが、火に阻まれて戻りました。それがしだけがひたすらに忠信を追い続けました。
  東側はまだ焼けずに残っておりました。忠信はその屋根の葺き板を踏みつけ、外へ軽々と飛び出しました。先の切腹も狂言でありました。
  それがしも屋根の上に飛び出し、忠信と対峙しました。あちこちから煙と炎が立ち上っていました。山を切り開いた崖造りの坊舎なので、屋根から一丈ほどのところはもう山でありました。雪が熱気で溶けて、じくじくとした黒い岩肌がのぞいておりました。
  忠信はこちらを見て、にやりと笑ったように見えました。
  一瞬、大鳥が飛んだかと思いました。忠信は見事に背後の山に跳躍し、軽やかに崖を上がって行きました。それがしも追おうとしましたが、炎が回り、果たせませんでした」

    ×          ×

「翌年になって、忠信が京に潜伏しているとの密告がありました。密告の主は忠信のかつての愛妾でありました。あさましいことと思いながらも、忠信と再びまみえる機会を与えてくれたことに、感謝の念を感じずにはいられませんでした。
  あの大鳥を射落としてわがものにしたい。吉野の戦以来ずっとそう思っていたのです。
  それがしは江馬小四郎(北条義時)どのの命を受け、追手の中に加わりました。隠れ家を囲んでみますと愛妾はどこかへ逃げたと見えてしんとしておりました。
  物具した武者が十重二十重にひしめき、鍬形がときおり、月光を受けて煌めきます。あちこちできらり、きらりと光る向こう、屋形の屋根の上から影が飛びました。
『すわや、忠信ぞ!』
  びゅーうっと鏑矢が夜の都に鳴り響き、それを合図にあまたの征矢が忠信指して飛んでゆきました。
しかし忠信はさながら梢を飛ぶ鳥の如く・・・・そう、月明かりに照らされ、薄く積もった雪明かりに映り、矢を払う剣は翼の如く、世にも美しい鳥・・・・。たちまち矢頃は遠くなり、やがて夜に紛れて見えなくなりました。
  われら六波羅勢は二百余騎。忠信は鎧もまとわずただ一人。二百余騎が一人を逃がしたとあっては鎌倉武士の恥さらし。佐藤兵衛逃がさじと、数に物言わせて京中を探すに、行方はすぐに知れました。
  すなわち九郎判官どののかつてのお宿、六条堀川の御屋形です。
  江馬小四郎どのの呼びかけに応えて忠信は姿を現しました。どこで手に入れたか、小桜縅の鎧に四方白の兜を着ておりました。後で知ったことですが、判官どのが六条の御屋形を落ちられる際に、天魔を寄せぬ護りにと置いておかれた鎧であったそうです。さもあらん神々しいさまでありました。
  忠信は口上を述べるやいなや、縁の下に飛び下り、矢をつがえては放ち、つがえては放ち、たちまち武者三騎を射落とし、二騎に手傷を負わせました。他の者は泡をくって門の方へ引き上げます。
  それがしは慙愧に耐えかねて怒鳴りました。
『見苦しや、江馬どの! 敵五騎十騎もあらばこそ、ただ一人に何しておられる。返し合わせ給えや』
  再び馬首を返して忠信を取り囲む江馬どのの勢に紛れ、それがしも忠信と斬り結びました。
  辺りに大勢が、馬、人を問わず倒れておりました。忠信自身も数多の薄手を負っておりました。鎧の隙間には何本か矢が突き立ち、血を流していました。
  それがしは忠信と、太刀と太刀とを合わせてぎりりと押し合いました。忠信の紅潮した顔が間近にあり、返り血か、はたまた自身の血か、一条の血が頬を伝っておりました。
  不意に忠信が足をよろめかせました。
  戦い続けてついに疲労の極みに達したのでしょう。片膝をついて荒い息をする忠信に太刀振りかざして切り掛かりました。
  振り下ろす太刀が妙にゆっくり見えました。それがしを睨む忠信の目は決して人に馴れぬ大鷹のようにきつく光っておりました。
  睨まば睨め。恨まば恨め。もうお主は儂の刃の下。命も失する。あっぱれよく戦った、武士の鏡と人はお主の名をたたえよう。その不屈の魂は儂が愛でる。さあ、お主の首を、血を、身体を儂に渡せ!
  忠信の身体が、すっとすべって視界から消えました。慌てるいとまもなく、股下に強烈な打撃を受け、激痛に太刀は大きくそれました。
  急所をしたたか殴られて動けもせず唸るそれがしの目に、太刀を振り回しながら屋形へ戻る忠信の姿が見えました。
  忠信は縁に上ると西向きに端座合掌し、
『江馬小四郎どのに申す。万事を鎮めて剛の者の腹切る様をご覧ぜよ』
  と涼やかな声で申しました。疲労困憊を思わせぬはりのある声でしたが、さすがに大きく肩で息をしておりました。
  江馬どのはその言を入れ、静かに切腹させたあと首を取れと指示しました。
  忠信は鎧を脱ぐと膝をついて中腰になり、刀を持ち直して左の脇下にずぶと刺し入れました。それをぐっと右の方へ引き回し、さらに胸元を刺し貫いて下まで切り下ろして見事な十文字腹を切りました。拭った刀をじっと見て鞘にさし、膝の下に敷きました。
  疵口をぺろりと引き上げると、手を腹の中に突っ込み、はらわたをつかみ出しました。
  薄桃色の腸が次々に縁の上に飛び散りました。また緑灰色、どす黒い血赤色、さまざまな色の内臓がつかみ出されました。
  空洞になった腹の中に先の刀を、柄を心臓の下に、鞘を腰骨の中に差し入れて、
  『黄泉路にまで持つ刀はこうするものぞ』
と言って笑いました。
  大量の出血で顔は青ざめていましたが、まだまだ死ぬようには見えませんでした。忠信はじっとまわりを見回し大きく息をつきました。口の中でなにかつぶやいたようでしたが、しかと聞き取れたのはこの一言でした。
『これもただ、判官どのを恋しと思うゆえに、これまで命は長きかや』
  血が逆流する思いでした。死にかねて死にかねて、それでも九郎判官どのを恋い慕うこの男を、望みどおり往生させてやろうと太刀に手をかけましたが、江馬どのに制せられました。
  忠信は脇に置いた黄金作りの太刀を取ると切っ先を口にくわえ、膝を押さえて立ち上がりました。引きずり出された腸がずるりと垂れ下がって足にからみついておりました。後に聞くところでは、太刀は判官どのの御佩刀であったものだそうです。
  忠信は愛しげに太刀を眺めると、さっと手を放して俯せに倒れました。口から入った刀は鍔のところで止まりました。切っ先は鬢の髪を掻き分けて後ろにするりと刺し貫いておりました。
  動かなくなった忠信の首を江馬どのの郎党、三島弥太郎が取りました。
  それがしは屍体の後始末を承り、その場に残りました。
  首のなくなった忠信の身体はまだ生暖かく、血も固まっていませんでした。
  腹の中から刀をつかみ出そうとしましたが、とれないので胸を切り開くことにしました。
  骨と薄い膜に囲まれた空間の中に、柄は入りこんでいました。大きな桃色の肺腑と赤い心臓が目を引きました。心臓は左上のところが、まだときどきぴくり、ぴくりと動いていました。
  血まみれの四肢にはみだしたはらわた、首は持ち去られてかわりにようやく固まりだした血がその空間に流れています。
  もはや飛ばなくなった美しい鳥が無残な屍をさらして足下に転がっているのです。
  末世です。あちこちで死体を見ることも珍しくありません。その中には斬殺されたり野良犬に喰われたりしてはらわたをさらしているものもあります。大概は張りがなく、醜く汚らしいものです。
  しかし忠信の臓腑は生前の主に似て、美しくきれいな色をしておりました。
  首は手に入りませなんだが・・・・・
  それがしは忠信を葬る際に心の臓をぬき取りました」

    ×          ×

「これがその、忠信の心臓です」
と叡性は赤黒く干からびた固まりを懐紙から取り出した。
  西行の前に置いてばっとひれ伏す。
「いったい何の真似じゃ」
  西行は困惑して言った。
  叡性は平伏したまま懇願する。
「‥‥聞けば、お上人には昔、ヒトをお造りになられましたとか。‥‥是非ともいま一度その業を‥‥そしてその身体の中にこの心臓を収めていただきたいのです」
  月が静かに叡性の顔を照らした。四角いがっしりした顔が思い詰めて少し青ざめていた。
  西行は叡性を哀れむように見つめていたが、ふと外の桜に目を移した。膝にまとわりついてじゃれる白狐の背をそっと撫でる。
「あれは失敗であった。魂の入らぬ木偶じゃ」
「骨を藤蔓でつなぎ、拵えものの内臓をいれて呪を唱える‥‥失敗なされたのは香を焚いた所為じゃと聞いております。なにとぞ今一度ヒトを造って下さいませ。忠信をこの世に生き返らせて下さいませ。これ、このとおり骨も持参いたしました」
  叡性は油紙でしっかり封をした骨壺を出した。
「‥‥忠信の骨か」
「はい」
「葬ったとは言わなんだか」
「あれは方便。荼毘にふした後、そっと骨も盗み取りました」
  西行は封を剥がした。そっと蓋を取って中を見る。
「やはりだめじゃ。‥‥これには頭蓋骨がない」
「それならばそれがしの骨をお使い下され!」
「‥‥正気かや」
  西行は目を見開いて叡性の顔を見た。
「正気も正気。それがしの首で忠信が再びこの世に生きるならば、喜んでこの首捧げましょう。‥‥忠信の中に収まる骨がわが骨と思えば、望外の喜びでござる」
「‥‥出家の身として‥‥そなた、百八煩悩の海へ身を沈めるつもりか」
「煩悩即菩提と申します」
  きっぱりと言い切った叡性の目に、尋常ならざる光が宿っている。恋情に狂った目である。
  西行は一つ息をついて白湯を啜ると、きっと叡性を睨んだ。昔、佐藤兵衛義清と呼ばれた頃から衰えぬ鋭い眼光が叡性を射る。叡性は身じろぎもせず、息を詰めて座っている。
「叡性!」
  西行が大喝した。外で桜がざあっと舞い散る。
「汝その臓を喰え!」
  叡性の眉が寄った。
「‥‥人肉を喰え、と‥‥?」
「そうだ」
「そのような‥‥」
  明かにたじろいでいる。
「そなたは忠信に生きていて欲しいのであろう? 儂が法を用いて身体を造ったとて、それは忠信ではないぞ。忠信の姿をしているだけで、魂は真っ白じゃ。源平の戦もそなたのことも覚えてはおらぬ。全くの別人じゃ。それよりは、そこまでの覚悟があるならば、そなたが愛しい漢の血を啜り、肉を喰らって自らの血肉とするがよい。さすれば忠信はそなたの中で、そなたの生が終わるまで生きている」
「‥‥これは罪です‥‥」
「罪がどうした」
「罪でなくとも‥‥どうして忠信の肉を食べられましょう。それよりは‥‥それよりはそれがしが忠信に喰われたかった‥‥」
  叡性の目から涙があふれでた。滝となって落ちた涙が忠信の心臓をしとどに濡らす。
「早うそなたの願いを成就させるがよい」
  西行の声は、もとの穏やかで優しい声に戻っている。
  叡性は震える手を、忠信の心臓にのばした。
  ケーン!
  白狐が鋭く鳴いた。
  びくりとして叡性の動きが一瞬止まる。
  さっ
  と、白狐は心臓をくわえて、庵の外へ走り出した。
  心臓を一呑みにすると軽やかに山の方へ駆け出す。
「ああ」
  叡性が腰を浮かせた
「待て! 待ってくれ‥‥」
  白狐を追いかけて叡性もまた、山へ入ってゆく。
  やがてその姿は薄桃色の花の闇に呑まれて、消えた。
  西行は叡性の消えた方向をじっと凝視していた。
  確かに見たのだ。
  目にもあざやかな鎧、兜に身を固めた、あでやかな武将・・・不敵な笑みを浮かべ、鳥のように軽やかに駆けていく四郎兵衛忠信……。
  西行はそっと合掌した。
  月はようやく傾こうとしていた。

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