同人訳 史料 伊達政宗の恋 伊達(岩城)政隆

肖像

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略歴

青木新太郎。掃部。 刈松田の城主・青木修理の弟。 16歳のときに大内定綱のもとに人質として赴く。青木修理は伊達家に内応した際に大内定綱の家老の子息を拉致。人質交換で刈松田に戻る。 ほどなく、政宗に召し出され、小姓となる。のちに小姓頭。

史料原文読み下し

先日より物語候き、青新身上の儀、総別かの身のことは、一端懇ろに召遣い候えば、いまさら余人に相替え入魂(昵懇)をなすべく、その身存分なにともなにともしどけなく、殊に年来、拙心底に及び候ほどは、似相の意見申し候へども、いささかもその甲斐なく、過日あさましき覚悟耳に候条、、、、、
い候べく候を、一端の首尾までに、異義なく指し置き候。しかるところにその後も取り違いの義候。青新自筆にてさるかたへ越し候文も、二つまで所持候。もちろんかの身の手跡は見覚え候間、疑いなく候。このごとく際限なく取り違いの上は、一座も近く召し遣い候分別、毛頭これなく候。かしく。
(宛名不明)   館

たといかえって、拙子物知らぬ様世間取りざた候とも、かの身を再び近く召し遣い、公辺かくれなき慮外の沙汰もでき候へば、尚々もとめて何とやらんに候間、合点申さず候。取り違いの義ども、不審に候は、一々書付をもってなりとも申すべく候。さてはまた、かの身に懇ろのうち、拙子手前の取り違いも候けるや、さようのことも候はば、今にても恨みごと談じ申すべく候。露ちりほども候まじく候。しかるときは、尚々かの身の誤りに極まり候はば、書中に載せ難き心中に候間、万々じきじき申すべく候。以上。火中、火中。

伊達政宗文書880

解説

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