同人訳 史料 伊達政宗の恋 近衛信尋

肖像


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略歴

後陽成天皇第4皇子。近衛家を相続。

史料原文読み下し

元和5年己未相国秀忠公上洛し給ふ。
其のときの近衛殿、天下に隠れなき美男にて御坐す。故に政宗私なる僻事も申上、御情の上にも有けるやらむ。或時北野松梅院へ、近衛殿成らせ給ふ。政宗御供なれば、桜が盛なるを詠覧有て、春の夕べといふ題下されけるに、

花や花夫ともあかぬ詠して永き日影も夕暮の宿

と申されければ

御返歌 近衛
花や花夫ともあかぬ詠とは霞む夕の月にや有らん

亦奉る 政宗
花秋ならぬ露の袂をよの人いかにと問はばいかが答へむ

都より政宗下られける、御名残に 近衛殿へ
今日出て明日より後の袖の露ほすことあらじあかぬ別れに

御返歌 近衛
あかずして別るる人の言の葉や又逢迄の形見とはみん

(「政宗記」巻10 詩歌附狂歌事 より)

解説

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