肖像挿絵:赭和トマさま |
略歴只野勝吉。伊賀。作十郎。 下の方にMARIOさまから頂戴したBASARA訳があります。 |
存知よらざるところに、細やかの御文、なお起請をもって承り候通、誠にもって辱しき次第、申すはかえって愚かのように御座候。
さてさて先夜、御酒の上に、また候や、何を申し候や、迷惑千万限りなく候。
そこから貴殿を疑い申す心中も候はば、その品を文にても申し候か、さらずは伝蔵か、または横目の者どもしてなりと申し候て、あきらめも申すべく候が、左様に存ぜず候ゆえ、とかくも申さず候が、酒の上に何と申し候や、夢いさささかも覚え申さず候。
昔我ら手前へ御出でなきとき、貴様にかの者惚れ申し候よしを、ある乞食坊主が落とし文のうちに書き申し候つる。
その坊主、そのときより行き方なく走り申し候間、なかなかしやうにたて候。
さも候わんとは存知候わぬことにて候へども、あまりに貴殿を存知候ゆえに、荒き風にもあてじと存じ候まま、走る馬に鞭とやらん、堅き上にも貴様御心中堅くいたしたく存じ候て、酒乱れの上に申したる物にて候べく候。
酒の上ながら我ら申すを御聞き候て、恨みに思し召し、かようの仰せわけは一段余儀なく存じ候。
承り候えば、腕を御突き候て、かように血判を御据え候よし、さてもさても苦々しく存じ候。
我ら存じあわせ候はば、御脇差にもすがり申すべきものを、是非に及ばず候。
せめて我らも指をも切り申し候事か、さらずは股か腕をも突き候て、この御礼は申し候はでかなわぬ事に候えども、早、孫子を持ち申す年ばえに御座候へば、人口迷惑、行水などのとき、小姓どもにも見られ申し候へば、
「年頃に似合わぬことをつかまつり候」
と言われ申し候へば、子どもまでの傷と存じ候て、心ばかりにて打ち暮らし申し候。
ご存じ候ごとく、若き時は酒の肴にも、腕を裂き、股を突き、その道はたやすくつかまつり候事にて候えども、今ほどは世の笑い事になり候てはと、控え申し候。
日本の神々、腕・股を突き候事やばしく存じ候て控え申すにては御座なく候。
我ら腕・股を御覧候え。あまり空き間もなき様に、昔はさようの事好き候てつかまつったる我らに候えども、是非に及ばず候。
あまりあまり御心元なく候間、伝蔵見申し候ところにて起請を書き、即ち血判つかまつり候て進じ申し候。
これにて聞こし召しわけ、今日よりいよいよ御心おきなく、御情けにもあずかり候はば、海山忝く存ずべく候。
なおなお伝蔵申すべく候。
恐々謹言。
正月9日 政宗(花押)
返す返す辱しく候辱しく候。
我ら心中も聞こし召しわけ給うべく候。以上。
思いもよらぬ細やかなお手紙を、また起請文までいただきました。本当に恥ずかしい次第で、何を言っても愚かなことのように思えます。
さてさて、先日の夜は酒の上に何をしたか、何を言ってしまったか、大弱りしております。
そこから貴方を疑う気持ちがあったなら、そのことを手紙に書くか、でなくば伝蔵か横目の者どもから申し伝えて、貴方のことをあきらめもしましょうが、あなたをあきらめることなどできません。それで、とくに何も申しませんでしたが、私は酒の上に何を言ったのでしょう。夢にも覚えていないのです。
昔私のところへ出仕されてないとき、貴方にかの者が惚れているとのことを、ある乞食坊主が落とした文の中に書いてあったのです。
その坊主は行方知れずになってしまったので、とても詮議はなりません。
そんなことはない、と自分に言い聞かせましたが、あまりに貴方のことをよく知っていたので、どうにも気持ちを抑えきれず、貴方のお心を確かにしたくて確かにしたくて、酒に酔った勢いで言ってしまったのだと思います。
酒の上とはいえ、私の言ったことをお聞きになって、恨みに思われたのでしょう。このように仰るのはよほどのことと思います。
承れば、腕を傷つけてこのように血判を押されたとか。なんてことを、と心苦しくてなりません。
私がその場にいたならば、御脇差にすがってでも止めたものを――。
せめて私も指など切るか、そうでなければ股か腕を傷つけるのでなければ、貴方のお心に応えられるものではありません。けれども、私もはや、孫や子どもを持つ年頃になってしまいました。人は口さがないものですし、行水のときなどに小姓どもにそれをみられて、
「いい年をして似合わぬことを」
と言われましては、子どもにも恥になると思い、気持ちばかり逸って暮らしております。
ご存知のとおり、若い頃は酒の肴にも腕を裂き、股を突き、衆道の証をごく当たり前にしていたものですが、今は世の笑い事になってはと、差し控えております。
日本の神々に誓って、腕・股を突くことを嫌だと思って差し控えているのではありません。
私の腕や股をご存知でしょう。傷のないところの方が少ないのです。このように昔は衆道の証をたてるのを誇った私ですが、時代の流れは是非もありません。
これではあまりにあまりに心元なく思われるでしょうから、伝蔵の見ているところで起請文を書き、血判を押して進上いたします。
どうかこれにてお許しください。今日よりはいままでにもまして心を通わせ、お情けに預かることができれば、海よりも山よりも忝く思います。
なお、伝蔵にも私の気持ちを伝えるよう、言ってあります。
恐々謹言。
正月9日 政宗(花押)
返す返すも恥ずかしくてなりません。
どうか私の気持ちをわかってくださいますよう――。
Dear 作十朗
お前からの、思いもよらない細やかな手紙と起請文、確かに受け取った。
まったく自分が恥ずかしい。何を言っても馬鹿げた事に思えるくらいだ。
この前のNightPartyで、俺はお前に何を言ってしまったのか……?
俺の心に、お前を少しでも疑う気持ちがあったのならば
お前の事はきっぱりと諦める事もできるだろう。だが、お前を諦めるなんてできそうにない。
本当に、俺は何て言ってしまったんだろう?正直な話、さっぱり覚えてねぇんだ……。
……Possibly.
実は、ある乞食坊主が落とした手紙に、お前に惚れてる男がいると書いてあった。
もちろんそれは俺に仕える前の話だろうし、真偽の程もわからない。
その坊主は行方知らずになっちまったからな。
お前が俺以外の男に惚れるなんてあり得ない、そう自分に言い聞かせたが
どうにも自分を抑えられなかった。
お前の気持ちを確かめたくて仕方が無かった。
それでもしかしたら、酔った勢いで酷い事を言ってしまったのかもしれないな……。
いくら酔った勢いの事とは言え、俺の言った事を恨んでいるんだろうな。
腕を傷つけて血判を押すなんて……お前の想いが痛いほど伝わってくるぜ。
もし俺がお前の傍にいたら絶対にそんな事させやしなかった。その身体を押さえつけてでも
止めてみせた。
……お前がそこまでしてくれたんだ。俺も自分の身体を傷つけなければ
お前のLOVEには答えたとは言わないだろう。
だが、俺ももう歳だ。孫や子供を持つ年になってしまった。
いい歳してこんな傷を付けたことが知られたら、恥をかくのは俺だけじゃない。
子供達にまで迷惑をかけちまうからな……。
神に誓って言うが、俺は、自分の身体が傷つくのが嫌で言ってるんじゃない。
俺の腕や股を知っているだろう?傷が無いところの方が少ないんだ。
若い頃はProof of loveを誇った俺だが、時の流れは残酷なものだ。
まったく、歳はとりたくねぇもんだな……。
しかし、これでは余りにも心もとないだろう。だから、伝蔵の見ている前で起請文を書き、
それに血判を押してお前に捧げる。どうかこれで許して欲しい。
そしてこれから今までにも増して心を通わせ、お前の愛を受けることが出来れば、
俺にとってこれ以上幸せな事は無い……。
なお、伝蔵にも俺の気持ちを伝えるように言ってある。
それじゃあな。
正月9日 政宗
PS
全く、返す返すも自分が恥ずかしくてならねぇ。
Please understand my feelings……
「伊達政宗の手紙」で有名になった、政宗の恋文。 伊達政宗文書2865号。
ともかく恋々とした長文に、訳してても 「もう勝手にやってて!」 な気分。
自分の身体を傷つけて気持ちの証をたてる風習が、既に見られるのが面白いですね。
「我ら腕・股を御覧候え。あまり空き間もなき様に、昔はさようの事好き候てつかまつった」との一文が中にありますが、つまり作十郎は、政宗の「腕」や「股」をよく知っているわけです。
無数の傷は政宗がそれだけ恋多き男だったことを物語ります。作十郎は今、確かに政宗の寵を受けていますが、平行して実姉の多田氏が政宗の側室となっています。上司である小姓頭青木掃部丞もかつて政宗の寵を受けていましたし、それぞれがどんな思いで政宗の傷跡を見ていたか、は想像がとても及びません。
それでもなお、自分の腕を傷つけて自らの証をたてた作十郎なのです。