伊達成実、賭け相撲を楽しむ

大森城下では賭け相撲が楽しまれることがあったようです。
しかしそこは戦国時代、相撲も命がけ…。
他所から来た賭け相撲の者に、成実が呼んだのか、相手は佐原村で大力大兵と評判の阿部美濃。美濃は相手をかるがると頭上へ差し上げると、興が乗った成実の下知に、相撲の者を地面に叩き込みました。相撲の者はそれで死んでしまいます。
成実は喜んで美濃に褒美をやり、「大美濃」という二つ名を与えたのでした。

橋本邦雄著 「古郷之形見」収載 「奥州信夫郡佐原村根元記」 より

大木坂大美濃の大力

佐原村の大木坂に阿部美濃という人がいた。この人は身体も大きく大力の持ち主で、他所から女や子供を奪っては、宮林の大木松につなぎ置いて売りに出していた。
またこの人は使っているまさかりを奥山の大木の目の上に打ちこんで置いていたが、誰もこれを抜くことはできなかった。
桜本白水の源兵衛の所から、三間の屋敷の道具を一度に背負うほどの大力であった。
天正のころ、大森城に伊達成実がいた頃、他所から来た賭け相撲の者をかるがると差し上げ、成実の下知でその相撲の者を地に打ち込んで殺したので、勝ちのご褒美を頂戴し、その時に「大美濃」という名を下された。
また庄野村の遣合内の上の坂口で、沖野村の人々が75人で大木の柱を引いていたが、坂の窪地に引き入れてしまい困っていたところ、この佐原の阿部美濃が通りかかって、たった一人でこの柱を引き上げた。なので75人力だと評判になったとのことだ。
他所より奪ってきた女子供らが素直に売られるようにと、売らない間は大木につなぎ置いて日々苦しませたとのことだ。

原文

おぎ坂 阿部美濃と云人ハ大力大兵にて 他所より女や子共をうばい来り 宮林ノ大木松ニつなぎ置 売ニ出シ候由 又 此人ハ遣へ候まさきりを奥山の大木ニ目ノ上ニ打こミ置 たれも是ヲぬくべき力なし 桜本白水 源兵衛ノ所より三間ノ屋道具ヲ一背負ニせし程ノ大力ニて 天正年ニ大森伊達安房守様御代 他所より来ルかけの角力人ヲかるがるとさし上ケ 安房守様ノ御下知ニて 其人ヲ地そこニ打込ころし勝ノ御ほうびヲてうだいす 是より 大ミのと名ヲ下され 又 庄野村やりこ内ノ上坂口ニて 沖村之人々七十五人ニて大木柱ヲ引 坂くぼニ引入致方なく 佐原美濃通り懸り 只壱人ニて此大木ヲ引上ル 依て 七十五人力有と風聞有之候由 他所よりうばい来し女子等も下がふて売被成候様ニと 売ざる内ハ大木ニつなぎ置 日々くるしませ候由

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