佐沼合戦は天正18年から天正19年にかけて勃発した、大崎葛西一揆の中で行われた合戦の一つである。
天正19年6月27日、佐沼城に向かって伊達勢は進撃を開始。28日には仕寄を命じた。
政宗本陣は佐沼城の西の丘陵・砂子山、鬼庭綱元の陣は沼と川の間、片倉景綱に陣はその東である。成実の陣は現在の佐沼中学校の敷地内に案内碑文がある。
「木村宇右衛門覚書」などによると、成実は原田宗時とともに大手の大将を担当したようである。
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28-29日と城は持ちこたえたが、7月1日の総攻めで本丸以外を放棄。7月3日、原田宗時と後藤信康が本丸門柱と石垣にとりついて門を破り、寅の刻に総勢が攻め入った。城中には一揆勢500人余、そのほか百姓等2000人余がいたが、ことごとくなで斬りとなった。
政宗のおこなったなで斬りは小手森合戦の800人が著名だが、佐沼合戦も2000人規模のなで斬りがあった。
2012年11月訪問時の写真。クリックで拡大表示。ブラウザバックで戻って下さい。