以上
その後無音の至りに候、弥黄門御息災の御時候や、承りたく存じ候。此の地、相替りなき儀に候。越前殿御無事に候。御心やすかるべく候。恐れながら、帷5、単物5、これを進じ候。紙面給わるばかりに候。猶とて申し定むべく候。
恐々謹言
7月16日
備前宰相 忠雄 花押
伊達安房守殿 御宿所
亘理伊達家史料119 (117) は元和3年、池田光政からの書状とするが、備前宰相池田忠雄である。
このうち忠宗が7月に江戸在府は、寛永4年、寛永6年、寛永8-9年。
なお、振姫と忠宗の婚姻は元和3年である。
Page Top