寛永中10月9日 池田光政書状取意文

以上

御音信として、此の辺珍しき子籠の鮭10尺送り給い候、遠路毎度御心申し得ず候。此の地相替る儀なく、越前殿弥御無事に候。御心安かるべく候。猶後音を期し候。

恐々謹言

10月9日

       備前宰相 忠雄

伊達安房殿 御宿所

武水註

亘理伊達家史料120 (118) は元和3年、池田光政からの書状とするが、備前宰相池田忠雄である。

「越前殿」忠宗の越前守は寛永元年6月〜寛永16年4月。寛永3年8月〜左近衛権少将兼任。池田忠雄参議任官が寛永3年、歿が寛永9年。

このうち忠宗が10月に江戸在府は、寛永4年、寛永6年、寛永8年。

なお、振姫と忠宗の婚姻は元和3年である。

 

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