今朝、石見(茂庭綱元)申し分、定めて4人の者ども御物語り申すべく候。とかくいっぺんあい上らせ申さず候ては、如何のよし存じ候て、これより直々石見所へ4人をもって返答に及び申し候。百か日も過ぎ候は、罷り下る様のはず、ご両人より仰せ定められるべく候。なお面上をもって申しのぶべく候。恐々謹言
(元和4年)6月4日 政宗(花押)
大和守殿
安房守殿
政宗より
今朝、石見の申し分を4人の者どもからお聞きになったことと思う。とにかく一度あい上らせ申さぬことには、いかがかと思い、これより直接4人の者どもを石見のところへつかわして返答に及ぶつもりだ。百か日も過ぎたのだから、下向するよう、ご両人からもよく言い聞かせてほしい。また直接あって申したいこともある。恐々謹言。
※ 亘理伊達家史料[解説]は成実出奔時のものとするが、茂庭綱元の卯松丸服喪のときの書状である。(武水註)