寛永2年(?)3月30日 伊達政宗書状

さしたる義無く候えども、一筆啓せしめ候。江戸への上り、来る9日にあい定め候。その御心得もっともに候。9日以前吉日これ無きについて、この如くに候。されば先日は治部太輔所へ参る義、聞き及ばれ候て、肴以下種々の御心づけ、奇特千万、我ら別して祝着申し候。万縷面に申すべく候。恐々謹言。
追って申し候。昨日は鶉鷹に出申し候。さてさて当年、鶉の多く候こと、近年覚え申さず候。網かけ共取り余し申すにより、物数は存分ほどこれ無く、さりながら40に及び取り申し候。鶉の拳、ちとも上がり申し候や、おかしく候。以上。
(寛永2年?)暮春晦日    政宗(花押)
伊房州 御宿所

さしたることもないのだが、一筆啓上する。江戸への出立は、来る9日になったので、そのつもりでいてくれ。9日より前には吉日がないのでそうなった。
さて、先日は私が治部のところへ行くのを聞きつけての、肴を初め色々なお心遣いを奇特に思う。嬉しかったぞ。またお会いして話すことにしよう。恐々謹言。
追伸。昨日は鶉鷹に言ってきた。さてさて、今年の鶉の多いことと言ったら、近年に覚えが無い。網をかけても取り余し、思ったほどは取れなかったが、それでも40羽から取れた。鶉の拳も少しばかり上がったんだろうか。面白いことだ。以上。


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