寛永9年?2月24日  伊達政宗書状

治部太輔縁組の儀について、態の使者あい上らせられ候、満足せしめ候。白川宮内太輔息女、一段しかるべく候。早々取組まれもっともに候。 なお若狭所より申し入るべく候。恐々謹言。

追って申し候。鱒二到来、すなわち賞味せしめ候。ここもと・上方一段静謐に候。御心安かるべく候。この中将軍様御傍近く召して、種々忝き上意ども候。書面に申されず候。以上。

(寛永9年?)2月24日 政宗 花押

伊達安房守殿

宗実の縁組について、わざわざの使者を上府させてくれて 満足している。白川義綱の娘とはよい縁談だ。早々進めてほしい。なお佐々若狭からも申し入れる。恐々謹言。

追伸。鱒を2匹届けてくれたので、さっそくいただいた。江戸も上方も静謐だ。ご安心あれ。この間、将軍様が御傍近くに召され、いろいろ忝い上意をいただいた。書きつくせるものではない。

参考

伊達市教育委員会編伊達家関係資料目録 090・107-3
兵部太輔殿 宗実の縁組につき、白河右京義実の娘なら適当であろう。祝言の日取は来月中吉日を見合わせよ云々。

「目録」には「寛永10年3月28日」とされている。

「成実と書簡」へ戻る

Page Top