今月7日の書状、今日22日午の刻、京都に於いて披見申し候。当年は年若く候付いて作毛の思し召しなされ。御上洛遅く候。今度も御先一番に仰せつけられ、その上種々忝き御諚どもにて、去る2日に江戸を立ち出で、江州に3日逗留して人馬を安め、19日に天気よく、京着の事に候。道中舟橋そのほか掃地以下まで仰せつけられ、路次10間に鍬持・掃持2-3人宛これあり、後に御座なく御仕置等にて、心安く登り申し候。万事について御心安かるべく候。なお吉事追々申し下すべく候。恐々謹言。
追って、ここもと見廻の衆、際限なく候て、取り紛れ、印判をもって申し候。以上。
(寛永11年)6月22日 政宗 黒印
伊安房守殿
安房守殿より使者を相上らせらるるについて、便書披見せしめ候。道中無事、去月19日京着せしめ候。心安かるべく候。ここもと際限なく見廻衆ゆえ、取り紛れ細筆あたわず候。恐々謹言。
(寛永11年)7月7日 政宗 御書判
伊治部太輔殿