天正17年3月21日 伊達政宗書状

用の所同前の間、一通に札を啓す。さて田村神俣(鹿俣)通路取出の義、事延び候ては、諸事如何の間、安積口まずまず異議無き間に、是を相調えたく存じ候条、田(田村)衆相談を以って、近日相調えられ然るべく候。田(田村)にて逼塞に候は、片小(片倉小十郎)に委細申し付け候間、伊達東根・西根各申し付け候条、田(田村)へ打ち越され、取出堅めらること、肝心に候。但し御塩味のこと候は、重ねて承るべく候。万々急度の間、早々。恐々謹言。
追啓。取出の事に付いて、ご両人田(田村)へ打ち越さる義、如何に候。自然片平事切り難く計り候間、成実は藤山(二本松)に留まられしかるべく由存じ候。委細片小(片倉小十郎)に申し付け候。以上。

(天正17年)3月21日巳刻 政宗(花押)
     五郎殿
     白右(白石宗実)

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