天正18年9月22日 伊達政宗書状

忠三郎殿よりの書顕、内見におよばれ候や。御聊爾と存じ候。併せて苦しからず候。なお仙道日記、浅弾へ何方よりか参り候。近日披見申し候義、白河の義、二郡に候。然る間一身の満足に候。浅弾も御合点に候。併せて当口に於いて落居の事、深く御遠慮にて候。大森に2-3日中も御登りの刻、御滞留あるべく候。其の刻拙者事も藤山まで参り候。何事も其の時節申し承るべく候。此の内横合いあるまじき由存じ候。弾正殿より御状、重ねて参り候は、追ってこれを進ずべく候。恐々謹言。

(天正18年)菊月22日 政宗 御書判

五郎殿

てきとう意訳

蒲生氏郷殿からの書状を内々にご覧になったか。ぶしつけなことをなさったものだ。だが気にしないことにする。仙道日記が浅野弾正のところにどこからかもたらされた。近日ご覧になるようで、白川のことは二郡になった。満足している。浅野弾正もご納得だ。さて、こちらの口の落着については、まだ深く考えておられる。大森に2-3日中においでになって御滞留されるそうだから、そのときに私も二本松までゆく。何事もそのときに承ろう。とくに余計な仕事は入らないと思う。弾正殿よりの御状がまた来たら、追ってお送りしようと思う。

「成実と書簡」へ戻る

 

Page Top