天正19年1月27日 伊達政宗書状

急度飛脚を以て申し下し候。なお昨日27日当清須に参着候。上様折節御鷹野へ御出、酉刻還御なされそうろう。すなわち上使として木下半介・福原右馬助殿、かの両人を以て、遠路早速罷り登り、近頃大義のよし、仰せ出され、即ち今朝御前へ召し出され、御食くだされ候。今度雑説の義、毛頭実義に思召し通さず、直談仰せられ、種々御懇ろの貴意ども、さらに紙面に尽くし難く候。京都までの伝馬宿送り、中納言様へ直に御申しつけ、我等外聞此の事に候。上下町人まで、この度の上洛少しも悪き様には申さず候。少々拙者今般覚えを取り申し候。御満足なさるべく候。このよし、元安・重宗そのほか一家一族中各へ、かえすがえす失念なく、具に御伝達任せ入るばかりに候。恐々謹言。

追啓。一家一族衆へ各書くに及ばず候。疎意の体口惜しく存じ候。ただし明日は、先へ急ぎ申し候間、取り紛れ、また各宿所へ御越し候間、其の義なく候。以上

(天正19年)後正月27日
        

※ 伊達政宗文書818号解説に、「治家記録」には「政宗 御書判/五郎殿」と記載がある旨書かれている。

 

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