宮城県亘理郡亘理町亘理字旧館。別名臥牛城。14世紀初千葉氏の支族武石氏の築城(小堤城)。天正年間に亘理元宗が東方に移転。小堤城は亘理伊達氏の菩提寺・雄山寺(現・大雄寺)となっている。ただし、雄山寺は成実が福島市小倉の陽林寺から僧を招いて創建したもの。
天正19年に片倉景綱が城主となったが、慶長7年成実と交代で白石に移る。成実はやっとここに腰を落ち着け、亘理で正保3年没する、以後、亘理伊達氏代々の居城となる。本丸・二の丸・三の丸に枡形二つを持っていた。
徳川幕府の一国一城令により、亘理要害と称される。
周りはかつて湿地であり、天然の堀として利用されていた。城跡は町道で分断されたり、店舗・住宅の開発で往時の面影は少ない。
本丸には亘理神社が明治に創建され、伊達成実が祭られている。神名は武早智雄命。
宮城県>古道点景>江戸浜街道・亘理町界隈
福島県新地町谷地小屋字古屋敷。永禄年間、相馬盛胤・義胤の築城。しかし1年ほどで西方の蓑首城(新地城・谷地小屋字館前)に移転。天正17年5月20日、政宗の手に帰し、亘理重宗に賜る。重宗の涌谷移転後の新地の領主についてはさだかでないが、寛永5年(1628)には、福田とともに成実の知行地となる。成実は元の谷地小屋要害を修築し、代官を置いた。
南の正門前に対の桜があり、「桜の舘」、また「おやしき」と称された。南北二つの郭からなる平城である。
仙台市。亘理伊達家の仙台屋敷。忠宗の代からは藩主が江戸へ上る際にはここで門出の饗を行った。(政宗期は茂庭綱元邸)
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参照>仙台城跡学術調査成果概要 仙台城発掘調査状況
仙台市若林区。政宗の隠居城(予定)であった若林(現・宮城刑務所)にも成実屋敷があった。政宗を招いての新築祝いの晩、原因不明の火災で全焼。この日は怪異があったりとか流血沙汰があったりとか不穏な日だったとか。
大坂の陣に夏・冬とも成実は出陣しているのでとりあげる。この時の伊達氏ゆかりの土地や史跡をざっと紹介。
亘理伊達氏の菩提寺。成実の御廟はじめ、亘理伊達家の墓地がある。
亘理伊達家の墓地については「仙台藩における大身侍の墓所変遷に関して 仙台藩陪臣亘理伊達家墓所」に詳しい研究あり。
説明板に表示はないが、成実廟後ろの小高い部分が継室・二階堂氏の墓地とする説がある。
成実廟は平成9-11年にかけて改修・復元された。改修前の廟には隅棟の上に瓦を並べ、棟端に鬼瓦があったが、これは昭和初期の改修で付けられたもの。今回の改修ではもともとの役瓦のない形に戻っている。扉の右三つ巴は神紋として修復の際描かれた。上のかえるまたにある巴紋はは本来何もなかったが修復時宮大工の提案で入れたそうである。(情報提供:やまびこさま)
御開帳は毎年、1月16日・8月16日の2回。
大雄寺一帯は武石亘理氏の居城・小堤城の跡地である。天文年間に亘理元宗が本拠地を亘理城に移し、廃城となった。
写真提供:丹野さま
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