小手森落城附青木修理証人替の事

明ける程に、昨日申す竹屋敷へ陣場を移し侯こと何れも嫌ひになるに、夫れに又政宗へも窺はずして移しけるは気遣なれども、城山の通路を留め、敵の様休見るべきがため、今日卯の刻に移しければ、伊達上野守正景も、引きつゞいてぞ引移す。政宗是を聞玉ひ、惣陣をも移すべしとのたまふ。故に惣軍は段々備を取てぞ移しける。かゝりける所に、城の内より門を開いて一人出で、小旗を抑て此方を招く、人を出していか成ることぞとたづねければ、石川勘解由と申す者なり、成実御内遠藤下野日頃懇なれば、対面の上申度ことあり、と云ふ。下野を出しければ対面の上、
「望むこと別義に非ず、此城に備前譜代の者ども籠りける、其内に小野主水・荒井半内といふ大内に近き奉公の者、惣領にて籠りけれども、早通路も留り落城うたがひなければ、成実を頼み城を差上退散申し度ため如此」
、といふ。其旨政宗へ窺ひければ、
「軍のはか先へ行ため無事にはなして取らるべきか。尓りと雖ども、敵軍此方へ引除なば出城させん」
、と宣ふ。其由勘解由に申しければ、
「御家へ参りけるは悉皆命乞なり。出城を望み御訴訟に及びけるも、備前滅亡ほどあるまじきに、小浜へ引除譜代の首尾には、責て二世の供をも致さんため也、頻りに頼む」
と申す。重ねて其品申ければ、出されまじくと宣ふ。又下野をつかはし其旨申けるに、其ときは門に二重内まで引入、勘解由は本丸へ上て仰の次第を申し渡す。然る処に政宗、成実の処へ宣ひけるは、城中の者ども私なる申事、悪い口の奴原なるに、此城を平責にして、本丸までは不落ども、手並の程を見なば、敵軍此方へ引除ん。さも有るときは腋の敵地へ聞のためなり。去る程に陣中へも、ふれ早責給ふとて旗本を出されける。是に依て成実も城へ取付、其れより取廻し、鉄砲を掛け給へば、使の下野内より出兼、小旗を掉て御方の陣へ紛れ出、漸命助り、尓る後成実陣より火をかけゝれば、折節風強ふして方々へ吹付、敵思ひの外に役所はなれ、午の刻より取付、本丸共に落城して、撫斬にと宣ひ、方々横目を付られ、男女は云ふに及ばず、牛馬の類迄も斬捨、酉の刻に引取玉ふ。去れば新城と樵山とは敵地なりしが、小手森の鉾に驚き、其夜両城共に自焼にしてぞ引除ける。翌日二十入日にほ、築館へ移るべしとふれ給ふ。何れも陣場を取りに参りけるに、築舘より一騎出て此方を招く、成実者ども乗向、何事ぞと尋ねれば、服部源内とて四本松より牢人なるを一年成実召使けり、尓るに其頃本意して築館に籠り、彼者は乍除「城内の敵ども、只今引除けるが、急ぎ押寄討て取れ」と告げる程に、其より味方の者ども支度をなして押込ければ、其間に引除き一人も残らず。角て政宗彼城に移り給ひ、人馬の息を休め給ふ。去程に彼地に御坐内、右にも申す青木修理抱ひ置ける三人者どもを証人替にし度とて、其旨小浜へ申し通す。大内も彼証人を返すこと無念なれども、流石に家老三人の子供を捨兼、是非なく日限を定めける。扨修理も政宗より目附を申請、小瀬川といふ処へ双方ともに出合、弟新太郎と五歳の子供を、三人の若者に取替ける。各誉なる武略かなと、時の人々感じけるとなり。
寛永十三年丙子 六月吉日                   伊達安房成実

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