四本松手に入給事

同九月二十五日に、政宗四本の松の郡岩角と云処へ働き、地形を見廻し、近陣有べく侯乎、亦攻め給ふべき乎、如何様にも此城を取る程ならば、小浜より二本松への通路をとめ、是先一つの行なり、明る二十六日には彼地へ移り給ふべしとて、其日は右の黒籠へ引上給ふ。尓処に、小浜に於て会津よりの家老、同加勢の者とも談合しけるは、今日政宗岩角を乗廻し見給ふこと別に非ず、責給ふべきか、扨は近陣ならん、何れになりとも、岩角を取給はゞ、小浜を引除けることは思ひもよらざることなりとて、互に面を見合案じ慣らひたる体なり。尓る処に、会津の家老、大内処へ、中野目式部・平田尾張といふ、会津より加勢の内、両使を以て右の子細を申し断はり、其上会津の家老四天王の内、松本図書介跡絶て明地也、折節彼地を申し乞、家老分に成すといふ。大内も二本松へ通路切れしこと、大事とや思ひけん。備前抱の要害も残りなく打開、九月二十五日夜、居城小浜を自焼にして、其夜は二本松迄引退、夫より会津ヘつぼむ故に、政宗彼城へ移り四本の松一宇手に入れ玉ふ。されば小浜に於て、火の手見へける程に、黒籠の本陣如何かおはすと床敷思ひ、成美築館より急ぎ馳参じけるに、道具の者ども先を打て行ければ、何者やらん暗の夜に只一騎乗向ひ是は成実にておはしかと申す、尓々と答ひければ、成実に乗向ひ「大内我斎にて侯、備前四本松を持兼、今夜居城へ火を掛立除けるに、城郭の者ども夜のことではあり、我かけ次第に落行中に、某備前に追おくれ迷ひ者と罷成て候、御陣場へ掛入訴訟を頼み奉り、命助からんが為罷向て侯」と申す。是に依て、内の者三四人相付、先成実陣屋へつかはし、成実は本陣へ参りければ、敵落行焼亡に仍て、政宗斜ならず是を見合、大内我斎落人と罷り成り、一命を助らんとて、某陣屋に欠入るを、只今中途にて馳向、人を差添某陣屋へ通はしけると申しければ、政宗其我斎めを明日より尋ねんとこそ思ひしに、実に夏の虫なり、彼者休雪・意休に向て悪口をなす、其罪いかでかのがれ侯べき、牛ざきになさんと宣ふ。此仰を承り重ねて又人を遣はし、先錠を打せて指置けり。然りと雖ども、一度欠入ける者を、忽ち死罪に於ては余りに無下に思ひ、片倉景綱を頼み、訴訟数度に及びければ、政宗其方所へ欠入けるを死罪に於ては、且つ四方への聞へ、且は身方より其方威を薄くなす道理なり、故に腹立をば思ひ止り、我斎身命御辺に対し赦し下さるの旨をのぶ。あやうき命今逃れけり。夫より何方へも参れとて追出けるが、行方知ず失侯事。

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