原田左馬助という男

年が明けた。
前の屋形・伊達輝宗が二本松の畠山義継にとらえられ、もろともに落命してから早二ヶ月が経つ。
小坂峠を越えてつづら折りの坂道をおり、桑折に着くとほっと後藤孫兵衛信康は息をついだ。
長井から伊達・信夫に出る最短の道は、米沢と大森を結ぶ板谷峠だが、冬は雪のため通れない。それで冬の山越は一旦高畠へ出て新宿峠、さらに七ケ宿、小坂峠を経て桑折にいたる道をとるのが常だ。
全体になだらかな山路で雪は少なく通りやすい。ただ、距離が長いので奥羽を分ける山脈を越えるには冬ならば間で二泊、足弱ならば三泊を要するのが普通だ。その道を孫兵衛とその供は一泊で越えた。山に慣れた足ではあるが、やはり盆地に降りてくると気持ちが軽くなる。
米沢館山へ年賀に行くのが正月の常だが、今年は政宗が二本松を睨みつつ小浜で越年しているため、久しぶりに仙道へ向かうことになった。
途中、小坂の峠のかかりで孫兵衛同様、小浜へ年賀にゆくと思しき一行を抜いた。
「あれは誰の行列だ」
と、問うと
「原田さまです」
と云う。
「ああ、あの(傍点)原田どのか」
孫兵衛は軽く笑って先を急いだ。


「後藤孫兵衛がおるのは此処か」
あらあらしく宿の戸が開き、供を二-三人連れた若い男が踏み入って土間で大音声をあげた。宿の主人が震え上がって注進にきたので、宿奥の座敷で囲碁を楽しんでいた孫兵衛は、やれやれと立ち上がった。
「おれが孫兵衛だが、今一局囲んでいるところだ。お待ち願おう」
開け放たれた板戸越しにさらりと云ってまた座ろうとすると、若い男が制して名乗った。
「――原田左馬助だ」
名を聞いて孫兵衛は興味深げに目を見開いた。対局していた臣に、悪いが中座するぞ、と声をかけ、式台の前まで出る。
「これは、わざわざのお越し、恐縮に存じまする」
框の際に座して礼をとった孫兵衛を、左馬助が刀の柄を握りしめて睨みつけた。
「覚えがあるだろう」
「いささかの心当たりはござる」
平然と孫兵衛は答えた。孫兵衛が檜原を守るきっかけとなった関柴合戦のことだ。
もともとあの時、伊達勢は一気に喜多方までを手中にするつもりだったのだ。原田左馬助が平田何某とやらをとおして、会津の喉元、関柴と喜多方を返り忠させるという。
政宗も左馬助も家督をついだばかりの若者で、左馬助でやっと二十歳あまり、主君政宗に至ってはわずか十七だ。この会津攻めは危ぶむものが多く、孫兵衛もその一人であった。
はたして攻め入ってみれば、返り忠は関柴の松本備中ただひとり、伝手にした平田何某にも裏切られ手痛い敗戦を蒙った。
左馬助に呼応して、檜原から大塩を経て喜多方に至るはずだった政宗は、檜原に至るにとどまり、孫兵衛はそのまま檜原に城を築いて境目の城番をすることになった。
関柴の顛末を聞いた孫兵衛はあきれた。
平田何某は心底もわからぬ新参者だというではないか。
「なんという浅慮か」
危惧のとおりの結果かと思えば、その原因もまた。
「なんとも頼りにならぬお方よ。いや、若い、若い」
孫兵衛は嗤笑した。怒る気にもなれなかった、というのが正直なところだ。
桑折におりて、宿に入る前に播磨館に挨拶にいった。そのときに原田左馬助と関柴の話が出たのだ。
播磨館の主・桑折点了斎が孫兵衛の檜原城番をねぎらった。
「いえ、檜原は金山を抱えた大きな宿もあり、この切所を任せられたは過分にござる」
と応えると、点了斎は
「甥のしくじりで苦労をかける」
と云った。原田左馬助は桑折点了斎の甥だ。
「若さにはやるというは、左様なものかと」
と孫兵衛は苦笑した。原田は宿老家だ。孫兵衛の後藤家などの譜代の家を束ねる立場にある。頼られぬでは困るのだ。
土間の左馬助が、座した孫兵衛を睨む。
「勝ち負けは兵家の常、一敗したからというて嗤われては、おれの一分がたたぬ」
云われて孫兵衛は顔をあげた。
「して、如何せよと」
「抜け」
気の昂ぶりを抑えこんだ低い声で左馬助が云う。宿の後藤家中がすわと殺気立ち、左馬の供達が応じる。
孫兵衛は左馬助を見つめたまま、すっと右手を横に伸ばして家中を制した。そのまま
「――刀」
と令すれば、これに、と差し出される。受け取った孫兵衛は脇差しかさしていなかった腰にその刀を差すとゆっくりと足袋裸足で左馬助の前におりた。
周りが固唾をのむのがわかった。
「抜け」
鯉口を切ってもう一度左馬助が云った。孫兵衛は左馬助の姿をじっと見つめた。紅潮した若い顔が怒りに震えている。
「此処で、ですか」
孫兵衛が指摘すると左馬助は、はっと返答に詰まった。狭い土間の中で刀を抜いて果たし合うことなどできはしない。それにこれほどに頭に血が上っていては、隙をつくなどたやすいことに孫兵衛には思われた。
「わらじを履くぐらいの間はくだされたいものですな」
落ち着き払った孫兵衛の言葉がいちいち勘にさわるのか、左馬助が一旦切った鯉口を戻して、外へ出ろ、と怒鳴った。
「原田どの」
すっと孫兵衛は左馬助の目を見た。
「果たし合うてもよいが、どちらかが死ぬる。おれはこのようなところで死ぬのはごめんこうむる」
左馬助が嗤った。
「臆したか、それとも惚けたか」
孫兵衛は戦では常に黄色い母衣を身に着けて真っ先駆け、「黄の後藤」と異名をとる。その孫兵衛が死ぬのはごめんだと云うのがおかしいのだろう。
挑発に応じず黙って左馬助を見つめていると、孫兵衛の視線に気圧されたように目を伏せた。
「……だから原田どのはお若い、頼られぬと云うたのだ」
檜原で何人死んだかご存知か、と孫兵衛は云った。
檜原の雪は板谷よりさらに深い。太い丸太と板で厳重に雪囲いをしても、城の何か所かが雪につぶされた。
米沢との間は高い峠に隔てられ、冬の間は兵糧や薪の補給もままならない。今年の雪は早かった。おかげで年賀にゆく、ただそれだけのために雪を掘って峠の道をつくり、天候を読みながら必死に米沢へ下りたのだ。
「戦で死ぬるならばまだよい。敗戦だろうが、なんなりと理屈をつけて報いることはできる。だが凍えたものはどうだ、雪崩に巻き込まれた者、雪の割れ目に落ちた者。おれはあのようなところで死ぬのはごめんこうむる」
左馬助の朱をはいた顔が白く変わる。
「おれの所為だというか」
孫兵衛は首を振った。
「こなたの云わるるとおり、勝ち負けは兵家の常。原田どのの所為ではない」
そこで言葉を切って語気を強める。
「無為に死ぬのがごめんだと申しておるのだ。此処でこなたと果たし合う、原田どのは気が済むかもしれぬが、此処で死ぬると雪で死ぬると、何が違うと云うのだ……!」
一言もなく黙りこんだ左馬助を一瞥して、死ぬならば戦奉公で死ぬる。得心されたならばお帰りくだされ、と云い捨てて座敷に上がった。

「帰らぬ」
きっぱりとした声が背に聞こえて、思わず孫兵衛は振り返った。左馬助が土間にどかりと座って一直線に孫兵衛を見つめていた。先ほどのような殺気は感じられない。
「このうえ何用か存ぜぬが、迷惑に存ずる」
孫兵衛は眉を寄せた。
「今のは、おれが悪い」
「は?」
あまりにあっけらかんとした物言いに耳を疑って聞き返した。が、左馬助の表情は真摯なものであった。
「御辺のおしゃる条々、……感じ入った。詫びを入れねば帰られぬ」
「詫びなどご無用。得心されたならばそれでよい。お帰りあれ」
面倒に感じて立ったまま云うと、左馬助が土間に手をつき、頭を下げた。
「このとおり、詫びを申し上げる」
よく通る声を土間に響かせて左馬助は立ち上がり、孫兵衛を見上げた。
「確かに戦の不始末はしくじりも嘲りも戦奉公で返すべきだ。黄の後藤の後塵を拝することはせぬゆえ、よろしく頼み申す」
軽く一礼するとさっと踵を翻して立ち去る。
孫兵衛はあっけにとられて、突っ立ったままその様を見ていた。
「あれは、なんだ」
思わずひとりごちる。
「原田……左馬助さまにございましょう」
小臣がやはり、ぽかんとした顔で云った。
「そうか、原田左馬助か」
孫兵衛は破顔した。一度笑うと止まらなくなって、気持ちよく腹を抱えて笑った。
「小浜で会うたら、酒でも持って挨拶にゆくか。きっと美味い酒になる」

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