事変―粟の巣―

  粟ノ巣を行く、それは異様な集団だった。
 抜刀した二本松の侍たちが、三人の男を取り巻いてじりじりと阿武隈川の方へ進んでゆく。三人の男のうち一人は丸腰で、一人に刀を突きつけられ、もう一人に引かれている。
 その集団を三間ほどの距離をあけて、大勢が追っている。まばらに見える旗指物から伊達勢と知れるが、肩衣袴の素肌姿の者、小具足の者、皆具(かいぐ)して槍・鉄砲を担いだ者。その姿に脈絡がない。
 二本松の侍たちは平服だ。五十人ほどが伊達勢と睨みあいながら高田の渡しを目指しているが、武装といえるのはわずかに二名が槍と月剣を持っているに過ぎない。
目をぎらぎらと血走らせ、歯を噛んで、じりじりと進む。
 すっかり片付けられた田の向こうに、美しく色づいた丘が見える。あれを越えれば渡しがある。
 馬蹄の響きとともに、伊達勢の後ろがざわめいた。
 狩装束の若い男が馬から飛び降りると、鉄砲を持った勢子を引き連れ、兵を掻き分けて前へ出る。素肌武者が若い男の前に跪き、二本松の侍たちを指してなにやら話した。
 四間。
 距離が開く。
 五間。
 ぱん、ぱん、と鉄砲が鳴った。
 二本松勢の足が止まった。
 突きつけていた刀を、ずぶりと喉に指す。
 わっと悲鳴のような喚声とともに、伊達勢が駆け出し、二本松勢が迎え討つ。
 なんの秩序もない乱戦になった。明らかに名のある武者が、物具せぬまま伴もかまわず、互いに打ち合い、たちまちあたりが血に汚れてゆく。
 刺されて落命したのは南奥の雄、伊達家の主、輝宗。刺したのは仙道二本松の領主、畠山義継である。
 二本松の勢は全員が討たれ、義継の死骸は磔(はりつけ)にして小浜の城下にさらされた。
 大名ふたりが不慮の死を遂げたこの事件を、粟ノ巣の変という。

 

*     *

 

 安達郡は阿武隈川をはさんで東西に分かれる。西を二本松、東を四本松(しおのまつ)という。
伊達政宗の舅、田村清顕は四本松を統べる小浜の城主、大内定綱とそりが悪い。
もともと大内が四本松を治めるようになったのは、田村に内応して主君を放逐したからだ。追い出した主君の領を、内応者二人――小浜の大内と百目木(どうめき)の石川で分け、田村に属した。定綱の父の代のことだ。
そりが合わなくなったきっかけは郎党どうしのささいな喧嘩だったという。大内側の主張を田村清顕はことごとく退けた。内応者よとさげすむ風もあったらしい。
大内は自立を画策した。
大内の小浜は、南が清顕の三春領、東に元の朋輩・百目木の石川、北は川俣で伊達領に接し、西は阿武隈川をはさんで二本松領だ。
まず、伊達家に田村とは別に節々の挨拶をするようになった。ついで、自分の娘を二本松の畠山義継の息子に嫁がせ、三春への出仕をやめた。
激怒した清顕は、昨年から今年にかけて数度矛を交わしたが、ことごとく大内が勝っている。
その大内備前定綱が、大勢を率いて不意に二本松に駆けこんできたのは、 九月二十五日のことであった。深まる秋が山を鮮やかに染め上げていた。
——おだやかでない、
と二本松城主・畠山右京亮義継はため息をついた。
子どもどうしを婚姻させて四本松と結んだのは、そもそも仙道に進出しようとする田村清顕と対抗するためだ。そのために大内に寄騎(よりき)もつけた。伊達家が田村と結んでいるため、自然会津を頼るようになったが、勢威を誇る伊達と直接やりあうためなどでは断じてない。
大内麾下の刈松田(かりまんだ)が伊達に内応して手切れに及んだと聞き、慌てて義継は二本松と境を接する八丁目の伊達実元に使いを走らせ、二本松と伊達とは手切れしない、と確認した。
それがどうだ。当の本人が駆けこんできたとあっては。
「備前どの、今日は何の用向きあってのお越しか」
そう言って着座した義継に大内定綱が人好きのする笑顔を向けた。少し額の広くなった頭をぽんと叩く。
「娘の顔を見に、と言いたいが、お察しのとおり、二本松どのに、援けを頼みに参った」
小柄で戦上手のこの男は、義継の子・国王丸に娘を嫁がせている。
「相変わらず、ご自身腰軽く動かれますな」
「それが身上でな」
「援けを、とおしゃるがお連れがずいぶんと多いようだが」
この数では小浜はほぼ空城だろう。
「うむ、領内はみな空けて引き連れてきた」
小手森を落した伊達勢は、すぐに小浜に向かわず、周りの小城を落していった。小浜はそれなりに堅固な城だが、二本松や葦名とは阿武隈川に隔てられている。伊達と田村に挟み討たれてはもたない、ということだ。
定綱はにぃっと笑った。
「籠るならば仙道一の堅城・二本松、だ。会津との連絡もいい」
あきれて義継は言葉を失った。
二本松城は白旗ケ峰の頂の本城を中心に、東や南に伸びる尾根に一族・重臣の館を配している。尾根に挟まれた谷地に刻んだ外郭まで含めると、東西に三里、南北に二里以上。複雑な地形とよく配された郭(くるわ)、攻めるに難く、守るに易い。
「我らは伊達とは戦わぬ」
義継は、きっぱりと定綱に言った。八丁目の伊達実元は戦端を開かぬ、と確約してきた。せっかくの無事を反故にするのは危険が大きい。
「今さら戦わぬとおしゃってもな」
定綱があきれたように大仰に言う。
「小手森しかり、その後も二本松の寄騎はおれのためによう働いてくれたではないか」
確かに、大内につけた二本松衆が、奮戦したことは聞いている。義継自身は戻れ、と言ったのにだ。まったく大内定綱という男は人たらしだ。
「今一度、だ。勝てぬだろうさ。だが負けぬ。二本松ならな」
定綱は楽しげに、城内を見回した。
面白い男だ、と義継は思う。この男と一緒に戦をすれば、さぞ愉快だろう。だが、剣呑だ。
「御辺ならば負けぬかもしれぬな。だが勝てぬ。勝つとは家名をつなぐことだ。本貫と、家の無事だ」
義継は、四本松と伊達・田村の和議に力を尽くしている、と定綱に言った。会津と八丁目につなぎをとり、相馬へも連絡をした。かれらに仲人(なかにん)になってもらい、互いに悪くない条件を整える。まずは詫びを入れるが上(じょう)だ、と説得していると、不意に、定綱が真顔になった。
「和議とは、頭を下げへつらうことか」
今までの笑みが顔から消えている。
「馬打ちとなり、いいように使われることか」
定綱が繰り返した。
「わしは、ごめん蒙るぞ。人生五十年——つまらぬ一期はもうたくさんだ」
義継は黙然と定綱を見つめた。定綱が、ふ、と一息いれて苦笑した。
「つまらん男だな、二本松どのは」
こう言われても不思議と腹は立たない。
「褒め言葉と受け取っておく」
義継が言うと定綱が一礼して、会津へゆく、と立ち上がった。
「ご壮健で」
退出する定綱の背に向かって、座したまま義継は言った。ここに居座られるより、その方がいい。
と、くるり、と振り返って定綱がにやりと
「会津には、こないだの騒動で空いた老臣(としより)の跡を用意させたでな」
と言った。驚いて目を丸くした義継は、つい噴き出した。定綱は満足げに笑うと、手勢をまとめて城を出て行った。

 

*     *

 

 伊達成実は少し緊張の面持ちで、輝宗の陣所に向かった。秋の日は早や、西に傾きだした。ここからはつるべ落としに日が暮れる。
成実は伊達政宗より一つ年少の従弟である。伊達家は大内に手を焼いた田村から、大内退治を催促されていたのだが、昨冬、政宗家督の祝いに訪れた大内の不義理を契機に、四本松領に攻め込んだ。境目の刈松田城主青木修理を内応させ、要衝の小手森を撫で斬りに落とした。
政宗が、大内が逃げ出して空城になった小浜に入ると、杉目まで出張っていた隠居の輝宗が、此処までやってきた。下館の小浜に対して上館と呼ばれる宮森を輝宗は陣所とした。
陣所に入ると、輝宗を上座に、脇に政宗が控え、既に諸将が居並んでいた。自分が最後かと、少しばつ悪く思いながら前に進んで着座したが、すぐ隣がまだ空いている。
しばしあって叔父の留守政景が入ってきてその座についた。
「みな揃うたか」
輝宗の声に、みないっせいに頭を下げた。
「こたびの大内退治で四本松の無事がなった。みな大儀であった」
ねぎらいの言葉をかけた輝宗は、まず、政宗の方を向いた。
「小手森の撫で斬り、あれはよい判断だった」
政宗が嬉しげにうなづいた。
撫で斬りのあと、新城・樵山・築館が自落し、伊達勢は労せずして三城を得た。
「その後、支城からおさえて参りましたは、舅どののご助言でございます」
老練の田村清顕とともに行動したことは、若い政宗にとって貴重な経験になり、大内の本城であるこの小浜の落城につながった。
「五郎、雪斎——」
「は」
輝宗が成実と政景の方に向き直る。
「抜け駆けは感心せぬ」
小手森の戦で、成実は軍議の結論を待たずに陣を動かし、政景はそれに続いた。この行動で伊達勢は友軍の田村勢と連携した攻撃が可能になったのだ。膠着しかけていた戦が動きだしたのは、この移動の所為といっていい。
そう言おうとした成実を、政景が小さく手で制した。
「申し訳ござりませぬ」
さっと頭を下げた政景に、仕方なく成実も倣って頭を下げた。
白石、桑折、原田、と諸将のひとりひとりに声をかけ終わると、輝宗は
「八丁目から知らせてきた」
と、大内定綱の去就を話した。
大内定綱は二本松城に駆けこみ、迷惑した畠山義継は八丁目の伊達実元に通報して和議を求めてきた。
成実は身を乗り出した。
「お指図次第でいつでも手切れいたします」
八丁目は成実の領で、城主の伊達栖安斎実元は成実の父だ。実元は隠居といいつつ、境目の城に入って睨みを効かせている。
輝宗が苦笑した。
「そう逸るな、五郎。栖安斎に誓紙を出したろう」
「大屋形さまやお屋形さまのご指示があれば、あんなものは」
四本松に発向する前のことだ。実元は八丁目と二本松の境目は手切れせぬ、と言った。特に異論は唱えなかったのだが、成実の表情に不服の色を読み取ったのだろう、誓紙を書け、と実元は言った。一度では信用ならぬと思われたか、小手森の戦の直後にも父から念を押す使者が来て、成実はもう一度誓紙を書くはめになった。
「二本松を攻める話をしているのではないぞ」
政景が笑った。この叔父はなにかと自分を気にかけてくれる。
先の小手森で成実に続いて陣を移したのも、おそらく心配してくれたのだろう。もっとも本人に言わせれば、それが理にかなっているかららしいのだが、そう言ったときの叔父の顔はひどく楽しそうだった。
「大内は二本松から既に追い出したそうだ。おそらくは会津を頼るのであろう。二本松の申して参った和議を如何(どう)するか、だ」
輝宗がみなを見回し、ひとりずつ目を合せてゆく。
「二本松は伊達の馬打ちでありながら、近年は参向いたしませぬ。大内が先年からの仕儀も、二本松と会津を頼うだればこそ。二本松も御退治しかるべきかと存じまする」
「こちらから二本松に参集を命じる戦はここしばらくござりませなんだ。畠山義継が内室は、大屋形さまのご養女にして、栖安斎さまの御娘。和を乞うてきた上はご寛容なされたがようござりましょう」
「こたびの大内退治、敵の先手に二本松の衆がござった。われらもいささかならぬ兵を失うてござる。そのままに詫びを受け容れるは、あまりにご寛容が過ぎると存じます」
諸将の言をいちいちうなづきながら聞いた輝宗は、政宗を顧みた。
「お屋形は如何」
政宗が唾をのみこむように喉を動かすのが見えた。
「そのまま、というわけには参りますまい。証人をとるのがよかろうと」
政宗の言葉に輝宗が大きくうなづいた。
「ではこうしよう」
輝宗の言は、二本松退治とまではゆかぬまでもなかなかに強硬なものであった。
「畠山義継の領は、南は杉田川、北は油井川を限り、間の五ケ村を安堵いたす。嫡子を証人として米沢に遣わすこと。二本松の郎党は、向後は伊達に仕えるべし」
心得ました、と一同礼をする。
輝宗と政宗が目を見交わしたあと、成実の方を向いた。
「五郎。二本松への使い、そちがいたせ」
政宗が言った。成実は目を見開いた。口角があがる。
「若輩者の、この身にあまります」
そう言うと、横で政景が噴き出した。
「似合わん謙遜だ。顔中に嬉しいと書いてある」
どっと笑い声が起こって、成実は赤面した。
ひとしきり笑いがおさまった後、輝宗が威儀を正した。しん、と座の空気が張り詰める。このようなことは小手森での軍議にはなかったことだ。
「二本松は栖安斎の扱いゆえ、そなたに申しつける。励めよ」
「かしこまりました」
成実は深く頭を下げた。明日の朝、遅めに小浜を発っても、午(ひる)になる前には二本松に着くだろう。
輝宗と政宗が座を立った後、政景が声をかけてきた。
「五郎どの」
政景は昨秋、成実が大森の家督をついで以来、成実を呼ぶときに「どの」と敬称をつけるようになった。いまだどうも慣れなくて面はゆい。
「この度の仕儀、姉御は気をもんでおられるのではないか」
成実の腹違いの姉は、二本松に奪われていた八丁目を奪回した後の和議で、輝宗の養女として畠山義継に嫁いだ。十年あまりも前のことで、成実は姉の顔をあまりよく覚えていない。だが、なにかにつけて文や進物のやりとりをし、それで二本松や四本松の衆がよく大森や八丁目に使いに来るし、こちらの臣も頻繁に行き来をする。
「自分の力が足りぬばかりに、と詫びてこられました」
「さもあらん。で、五郎どのは手切れをお望みか」
成実はむっとして眉を寄せた。
「叔父上も父と同じく、戦うなとおしゃるか。境目の小戦でも、会津と伊達と、どちらが頼むに足るかを知らせるには十分と存じますが」
実元が戦をするな、と誓紙を出させたのは、姉の手前か、さなくば姉の心配なのだ、と成実は思う。そう糺しても父は答えないが、それこそが答えだ。
「いやいや、わしは手切れする方がやりやすいがね」
政景が手をひらひらと振って笑った。
「大事の使いをするのは、いいことだ。大屋形さまと栖安さまの手並みを、よく見とくといい」
そこで言葉を切った政景は、じっと成実の目を覗きこみ、真顔で
「なにせあのかたがたは、怖い」
と、声音を低めて言った。成実が思わず黙りこむと、政景は可笑しそうにもう一度笑った。

 

*     *

 

 輝宗の使者として年若い義弟が二本松城にやってきたのは、この秋になって一番に冷えこんだ日だった。朝は晴れていたが、昼が近づくにつれ重い雲が安達太良山にたれこめてきていた。晴天続きであったが、そろそろ一雨あるかもしれない。
畠山義継は、新城(あらき)真庵・鹿子田和泉らとともに、書院でかれを迎えた。
「五郎成実でござる」
挨拶をしてあげた顔には、まだ面皰(にきび)が残る。伊達の要地、大森の城主とはいえ、確かまだ十八かそこらだったはずだ。
「大森どのおん自らのお越し、恐縮に存ずる」
義継が軽く頭を下げると、成実は表情を緩めた。齢(とし)の割に落ち着いた様子であったが、やはり気張っていたのだろう。
「相馬御陣以来であろうか。ご立派な若大将におなりになられた」
「はい、それがしの初陣でござったゆえ、ご参陣いただいたことはよく覚えております」
はきはきと答える若者に、義継は好感を持った。縁の深い者を使者にたてるということは、伊達側も手切れは望んでおらぬということか。
「このたびは、大内がことを早々にお知らせいただき、ありがたく存じます。大屋形さま、お屋形さまともにご満足なされております」
義継は真庵・和泉と目を見交わした。二人ともに満足げにうなづいている。八丁目に知らせを遣り、大内を追い出した甲斐があったというものだ。
「我らも無事を望んでおります。安達の無事を望めばこその大内との縁組でござったが、その縁を捨てての覚悟でござる」
真庵が声に力をこめた。
成実が真庵をちらりと見た。視線を義継の方に向ける。さきほどまでの穏やかさが表情から消えて
「さりながら」
腹から出した声が響いた。
「小手森、また大場内にて大内の先手に二本松の衆がござった。これについては、如何様なるお心づもりかとの、仰せでござる」
心づもりもなにも。義継は口を噛んだ。
鹿子田和泉がなにやら言おうとしたが、それを待たずに成実がすらすらと続ける。
「ご尊家の苦衷は、お察し申し上げまする。大屋形さまにもこたびの和議をお喜びなのは申すまでもござりませぬ。ただ、家中へのしめしもあるゆえ不問というわけにはゆかぬとのことでござります」
どん、と大音がした。和泉が拳を床に叩きつけていた。憤懣やるかたない顔でふーっと息を吐いて、
「……大内を追い出し、詫びを入れただけでは足りぬか!」
と吐き捨てた。
さすがに緊張した面持ちで、成実が和泉の方を振り向いた。
「米沢どのの御存念を承ろう」
義継が言うと、
「されば申し上げます」
成実が姿勢を正して深く息を吸った。
「一(ひとつ)、嫡子国王丸どのを米沢に証人として出すこと」
眉を寄せて義継はうなづいた。大内の先手であったにせよ、槍を交えたからにはやむをえない。だが、次の言葉に義継は耳を疑った。
「一、二本松の領は油井川―杉田川の間の五ケ村とすること」
今、義継が領する村は三十三ケ村。その六分の一にも満たない。
「それでは身上が成り立たぬ!」
吼える和泉を真庵が制した。
「ご郎党の本城・本領は、みな伊達家が安堵いたします」
奥歯を噛んで義継はうなった。握りしめた拳の爪が、わが掌(てのひら)に食いこむ。聞こえはいいが、先の五ケ村以外は伊達の直轄にするということだ。
「大森どのには、われらがそのような和議をのめるとお思いか」
義継が鋭く問うと、成実は怖じずに義継を見つめ返した。
「もとより縁戚のわれらではありますが」
成実の語尾が小さく震えたのは、姉を気遣ったのか、それとも戦への高揚か。
「それがしの役目は大屋形さまの御意をお伝えすることでござる。結果、和議がなるか、弓矢の沙汰になるか——」
それでは、と一礼して席を立った成実を、義継は座したまま見送った。
——孺子(こぞう)、と和泉が低い声で言った。

 

*     *

 

 宮森に畠山義継が自身向かっている、と阿武隈の渡しを守る高田城から小浜に早馬が来たのは、十月六日の昼過ぎだった。
政宗の指示で、成実はあわてて小浜から宮森へ駆けつけた。義継と鹿子田和泉、そしてその伴。あわせて五十人ほどが、高田城の衆とともに既に宮森にいた。多くの伴まわりは郭の一画に待たされ、義継・和泉その他、主だった数人が、館の中に通されていた。
座敷の上座を少し外して、どかりと座ると、義継・和泉らの視線が集まった。
「小浜のそれがしの陣所に、宿所をご用意いたしました。それへお移り願いたい。ご用件はそちらでお伺いいたします」
肩をいからせて成実は言った。
「われらは、米沢どのに会いに参ったのだ」
和泉が憮然と返した。かれが米沢どのというのは、政宗ではなく、隠居した輝宗のことを指して言っているのがわかる。政宗のいる小浜を素通りして、宮森へ来たのだから。
そのいらだちをおさえようとした成実は、自然早口になった。
「ご意向は確かに承りました。さりながら取次は、かく申す成実でござる。それがしを通していただかなければ」
「八丁目の栖安斎どのならば、頼りがいもあろうが——」
「大屋形さまより」
覚えず、輝宗の命だという声が大きくなった。
「拝命いたしております」
悔しいが、先代の七光りだ。
「——ご指示どおりにいたそう」
義継の返事を受けて、成実は一行を小浜へ案内した。
成実は陣中ゆえに小具足、伴のものも武装しているが、二本松の一行はみな平服だった。二名が穂先を袋に入れた槍と月剣をもっているのみで、戦意のないことを示していた。
道に降りると、川からの冷気がしんとたまっていた。秋の日は早く、傾いた日のほのあかい光がさす。事実上の降人である義継は、数日前よりもやつれて見えた。

 

 その夜、小浜で二本松についての談合が持たれ、成実は義継の意を輝宗・政宗に奏した。義継の言は殊勝なものであった。
「自身こうして駆けこんだうえは、如何様な仰せでも承る覚悟、と仰せです」
聞いた輝宗が笑った。
「二本松の奥向きからも、いろいろとわしや八丁目に言うてきたが、ことごとく断った。さぞ窮したことだろう」
やはり姉からも、交渉の文が来ていたのだ。ここでも自分は差し置かれたかと、成実が、む、と口を結ぶと、政景が肩をたたいた。
「裏の話は表ではできぬものだ」
「それにしても、新城はともかく、二本松どのも鹿子田も、こちらが折れねば一戦を辞さぬように過日は見えましたが」
成実の疑問に答えたのは政宗だった
「会津からいい返事が来なんだのであろう」
会津は大内を追い出し伊達と開戦せぬ二本松に疑心を抱いたのだ、と政宗は言う。
「われらが二本松を信用せぬのと同じく、会津も二本松を信用せぬよな。そのために栖安斎は境目の手切れをせなんだのだ」
ならばあの誓紙は、と成実は思い当たった。しかも輝宗のみならず政宗もわけを知っていたらしい。
「おれだけ蚊帳の外ですか」
つい、本音を声に出して睨むと、政宗がわずかに肩をすくめた。
「そう怒るな。本気で二本松を攻めるつもりの者がおらぬと困る」
「だからというて」
なおも言いつのろうとすると、
「……わしも知らん」
政景が大きな声でわざとらしくつぶやいた。
「わしだけではない。ご存知であったは、大屋形さま・お屋形さまと栖安の叔父上だけであろう」
政景のその言葉に輝宗がうなづく。成実はむっつりと引き下がった。
「おかげで二本松領の本宮なども、こちらへ通じてきた。近々二本松とは手切れと書き送ったゆえ、首尾は上々」
政宗が言う。
輝宗が静かに座を見回した。
「秋の初めよりの刈松田の調義、小手森の撫で斬り、新城・樵山・築館、そして黒籠、岩角。若殿ばらの手並みやよし。代替わりはしても伊達の武威に一片の衰えもない」
力強い輝宗の声に、一同、応、と答える。
「此方から手切れもいたさず、戦にも至らず、先方から降を乞うは、これ真に伊達の武威ゆえなり」
輝宗の言を受け、政宗が声を張って、
「二本松義継の降を容れる。和議の要件につき、みな改めて存念を述べよ」
と続けた。

 

*     *

 

 一夜が明けた。談合をしているのであろうが、成実はいまだ何も言ってこない。
いらいらと義継は、指で膝を叩いた。
輝宗の無体な要求に、一度は合戦を心に決めたのだ。幸いにして秋の実りの収穫は終わり、もうじき冬が来る。籠城のまま冬を迎えれば、伊達勢は囲みを解かざるをえない。大内を追い出した経緯から、会津の援けは今は期待できないが、冬の間に話をつける目もあろう。
だが、伊達との一戦には新城真庵らが反対した。譜代の家臣に伊達と通じている者があるようだ、と。この十年伊達、わけても栖安斎実元とは昵懇にしてきた経緯がある。
ぞくり、と肌が粟だった。
義継本領は五ケ村のみとするが、そのほかの城持ち館持ちはそのままに伊達に奉公、というのが輝宗の提示だ。
——形ばかりのことではありませんか
と真庵は哀しげに言った。今となにが違うのか、と。会津を頼っても馬打ちとして扱われることは変わりない。真庵の言葉は辛辣ではあったが、真実だ。
「……あの孺子(こぞう)は何をしているのだ」
和泉もいらだちを隠さない。待つ間にすでに午を過ぎた。義継は、宿所から成実の陣屋に行って、再度輝宗への目通りを頼んだ。
宿所へ戻ると時折郭から、だれそれ参着という声とともに活気あるざわめきが聞こえる。いずれも名のある伊達の臣だ。
その中で、しん、と暗くただ待たされながら時刻が移る。日が落ち始めると冷えこみがきつい。
燭に火がともされてしばらくたった頃、ようやく成実がやってきて、かれの陣屋に案内された。座に着いた成実が、
「お屋形さま、大屋形さま、お越しになります」
こちらにそう言うと、す、と戸口を向いて頭を下げたので、義継たちも合わせて礼をとった。はたしてまもなく、政宗と輝宗がやってきた。
「このたびは目通りお許し下さり、恐悦に存じまする」
深く頭を下げると、上から若い声が降った。
「たびたびの御音信、またこのたびは殊勝なるお申し出、満足に存ずる」
促されて顔を上げると正面に政宗、その横に輝宗が座っていた。一段下がって成実が控えている。
「大内への合力は許し難きことなれども、大屋形はじめ諸所よりのとりなし、また何よりも自らのご参向。二本松の本領は安堵、ご嫡子国王どのを米沢にお預かりいたす」
一言、一言、ゆっくりと政宗が言った。
「今、何と仰せられました」
義継は思わず聞き返した。
「国王どのを証人に出すだけでよいと申した」
輝宗が答えた。
「ありがたい、」
和泉の震え声が後ろに聞こえた。
「ありがたき幸せにござります」
義継は深く頭を下げた。一抹の口惜しさと、大きな安堵が胸に満ちた。自身駆けこんだのは大きな賭けだったが、その甲斐はあった。
ただちらりと。伊達の急な方針転換に薄気味悪さが心をかすめたが、義継はあわててそれをふるい落とした。

 

*     *

 

 ざわざわと小者たちの賑やかな声がしたのは、成実が馬を引き出させているときだった。外へ出てみると、朝ぼらけの明かりの中、狩り装束の政宗が、弓・槍・鉄砲を持った中間小者を連れて城の外へ向かっていた。
「お屋形さま」
成実が声をかけると、政宗は馬を止めてこちらを振り返った。
「五郎——、後ろの山に猪が四-五匹いるそうだ」
大内の件、二本松の処遇、と一区切りがついたせいか、政宗は晴れ晴れとした顔をしている。
「それはいいな」
成実は狩りにゆく政宗をうらやましく見つめた。
「お前もくるか」
「いや、今から宮森だ」
政宗の誘いを成実は断った。夜が明けるなり、輝宗に御礼を申し上げたい、と義継から使いが来たのだ。
「お屋形こそ、こちらにご同席を——」
意地悪く言ってみると、政宗はぷい、と横を向いた。
「おれは自分の仕事はしたぞ。後は父上の領分だ。こたびのことはすべて父上たちの差配だからな。惣領とはいうても、おれは飾りよ」
うん、と成実はうなづいた。ぎろりと政宗が睨んできたが、気に留めない。親の掌(てのひら)の上で踊らされたのはお互いさまだ。
城を出てゆく政宗を見送った成実は、ふうっと大きく息を吐くと、輝宗のところへ向かった。
宮森に着くと、ずいぶん人馬が増えており、大屋形さまは、と問うと広間だという。二本松降伏を祝う使者や老臣が、朝から引きもきらず輝宗を訪ねているのだ。
昨日も大勢が小浜に来ていたが、今日は輝宗が宮森にいると聞いてこちらに集まったのだろう。その接待に忙しいのか、どことなく浮ついた雰囲気が城にある。
成実が広間へ行くと、留守政景初め歴々が輝宗と談笑していた。義継の意向を言上すると、輝宗は上機嫌に扇で自分の前を指して、これへ呼べ、と即答した。
「ちょうどよい、皆の前で披露とゆこう」
愉快げに笑った輝宗に、一同が和した。

 

「畠山右京亮どの、大屋形さまに御礼を申し上げます」
成実が披露すると、畠山義継は深く頭を下げた。鹿子田和泉らも合わせて頭を下げる。 義継の御礼の口上に、居並ぶ歴々が満足げに目を見交わす。和泉が広間に入る際に義継とひそと話していたので、なにか懇望でもあるのかと成実は思ったのだが、そのようなこともなさそうだ。ようやく大役が終わるかと成実はほっと息をついだ。
「盃を取らせる」
輝宗が鷹揚に言った。小姓の運ぶ銚子と盃が、義継、和泉、と二本松衆を回り、輝宗に返って伊達の衆を回る。
一献が過ぎ、二献目の中途で、大きな物音と、小者たちが立ち騒ぐ気配がした。和泉が眉をしかめて盃を置いた。小姓が銚子を脇に置き、様子を見に外へ出る。
和泉が軽く輝宗に一礼して、義継の方につ、とにじり寄り、なにやら話した。
台所で釣っていた食器が落ちたようです、との報告に、再び盃が回りだす。
めでたく三献が終って盃が納まると、義継は二本松に戻る、と暇を乞うた。
「馳走の用意をしております。どうぞごゆるりと」
成実は義継を引き留めた。輝宗も名残惜しいと同様に留めたが
「国王丸の仕度もありますゆえ」
と義継は固辞した。
席を立った義継を見送ろうとすると、輝宗がす、と先に立って玄関へ向かった。先を越されて立ちそびれた成実が困って政景を見ると、政景が肩をすくめ、
「あれはよほど機嫌がいいな」
低い声で言って苦笑いをした。
「仕方ない。こちらへお戻りになられてから見送りに立とう」
政景の言にうなづいて玄関を眺めると、開け放たれた戸の向こう、敷台で輝宗と義継が挨拶をしているのが見えた。義継が片膝立ちに手を地に着けて
「このたびは過分の御懇意、忝く——」
大きな声で言った。丁寧にもほどがある、とあきれて見ていると、
——あ、
と輝宗についていた小姓の悲鳴が上がった。
反射的に成実は立ち上がった。目の前の光景が、飲みこめない。
義継が輝宗の小袖の胸をむずと捕え、脇差を突きつけている。和泉が後ろに回って輝宗の両手を袖がらみに取り押さえ、脇差を抜き取った。
義継が腹の底から、太い声を出した。
「それがしを生害あるべき、とな」
その声とともに、庭先に控えていた二本松の伴衆が抜刀して、輝宗と義継・和泉を取り巻き、うろたえている伊達の衆との間を隔てる。
「戸を立てろ、きゃつらを外へ出すな。——小浜に、お屋形さまに早馬を出せ」
政景が叫んで下知をしている。
足袋裸足のまま成実は、敷台から庭へ走り出た。
大勢が同様に殺到するが道は細道、竹垣が邪魔で脇から前へも出られない。敵味方の異様な行列に呆然と戸は閉められず、ただうろたえ騒ぐ。郭で控えていた二本松衆も馳せ集まり、五十数人が車になって抜刀した。
じりじりと、義継たちが進む。三間ほどの距離をあけて、やはり抜刀した伊達勢が続く。
搦め手から出た衆が街道で先に回ったが、主を捕えられたために何もできず、歯噛みして道をあける。不意であった宮森の衆は平服のまま、小浜から急を聞いて駆け出た衆は武装しているが、何もできないことに変わりはない。
なぜだ。なぜ、こうなった。
成実は人を掻き分けて前へ出た。
囲みの真ん中を透かし見れば、胸ぐらをつかんだままでは歩けぬからだろう、義継は、今は手を離して刃を輝宗の喉元へかざし、和泉が後ろから輝宗をつかんでひったてている。
昨夜、義継は安堵の表情を浮かべていたではないか。今朝は如何(どう)だった。そんなにも思い詰めていたのか。かれらの様子を思い出そうとするが、漠として出てこない。
飛び道具を持ったものはおらぬか、前へ来い、と政景ががなる声が横でする。
小浜の城下を過ぎた。
政宗はまだ来ない。狩場へ行ってしまったので、探すのに手間取っているのだろう。
何度も唾を呑む。坂を登る膝が震える。高田の城にも間道から早馬を遣った。もうしばらくすれば挟み撃ちに出てくるだろうが、挟んだところで——
「五郎、」
呼ばれてはっと声の方を向くと、政景が険しい顔で
「鉄砲を前へ出してくれ」
と頼んできた。
「おれではだめだ」
と政景が続ける。峠から振り返ると政景の後ろで、味方の面々がすがるように成実の顔を見ていた。
がちがちと歯が鳴った。
——叔父上、
と頼ろうとして言葉をのみこんだ。おれではだめだ、と今、政景は言った。そうだ。叔父はよその——留守家の人間だ。
「弓、鉄砲、前へ」
震える声を抑えつけて大声を絞り出す。道具を持った者のうち、何人かが、不安げに前へ出てきた。
坂を降りる義継・和泉と目が合った。
——撃てるものなら撃ってみろ
和泉が嘲笑うように輝宗の身体を揺すりあげた。
「何をしているか!」
輝宗が叫んだ。
「かばいだてるうちに、二本松領は近づく。わしを棄てよ」
棄てよ、棄てよと繰り返す。
まだだ。まだ。
成実は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。頭の奥が痺れるようだ。
川まではまだ、五里ほどある。その間に政宗が来るだろう。政宗が来て——この様(ざま)をどうする。
ああ、棄てよという輝宗の命はまったく正しい。
輝宗が身をよじり、義継の刃に自らむかおうとして引き戻される。
山道を過ぎ、川筋に開けた野が広がった。対峙したまま、二つの集団が進む。左前方に高田城、その横の小山を越えれば阿武隈川、高田の渡しだ。
政景がうなった。
「おれに、鉄砲を、」
ふと、後ろがざわめいた。小者たちが道をあけ、馬が前へ出てくる。政宗だ。
成実が駆け寄って跪(ひざまず)くと
「これはいったい」
どういうことだ、なにがあった、と馬を飛び降りた政宗が蒼白な顔で問うた。
成実はうつむいて奥歯を噛んだ。言葉が口から出てこない。
「どういうことだ、だと? 見たままだ!」
政景が二本松衆を睨んだまま叫んだ。政景の肩が震えている。
我を棄てよ、と輝宗がまた大声で言った。家の大事なる時ぞ——
成実はきっと顔をあげて政宗を見た。
「是非なし、棄て奉るほかなし」

 

 ぱん、ぱん、と鉄砲の音が響いた。
足を早めていた義継が、一瞬こちらを振り向いて、脇差でずぶりと輝宗を貫いた。和泉が崩れる輝宗の身体を突き放し、雄たけびをあげて伊達勢の方へ走りだす。
成実は鉄砲を捨てて駆けだした。
駆けながら、めちゃくちゃに叫んで刀を抜く。政景も同じく鉄砲を捨てて駆けだしているのが目の端に映った。政宗もどこかで走っているのだろう。
ともかく目の前の二本松の侍に、誰が誰かも考えずにひたすら斬りかかった。
ようやく高田城の衆が出てきて道をふさぎ、川の方へ逃げる二本松衆に討ちかかる。
一人もあまさずうち殺した後、義継を探すと、義継は輝宗の死骸の上で腹を切って果てていた。
政宗が血走った目で駆け寄った。
「おのれ、腹など切って死なしょうか」
絞り出すような声で義継の死体に太刀を浴びせる。
——おれも、
と、成実は叫んだ。
われもわれもと太刀を浴びせられた義継の身体は膾のようになったが、葛蔓でつなぎあわされ、その場に旗物にかけて晒された。五十人余の二本松衆の死体はそのまま足蹴にうち捨てた。

 

 輝宗の遺体を小浜に取り納め、陣所に戻ると、二本松の姉から文が届いていた。昨晩か、今朝書いたのだろう。二本松の無事への喜びと丁寧な礼が書かれている。
成実はそれを読んで、唇を噛んだ。血の味が口の中に広がった。胃からこみ上げるえづきを飲みこむ。
成実はぐしゃり、と料紙を握り潰し、
「二本松攻めだ——。先駆け、仰せつかった」
枯れた声を張り上げて家中に戦仕度を命じた。

 

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