おお、とどよめく声に、伊達政宗が目を眇めて前方の広場の人だかりを見た。
晋州城を落とし、明日は在番を置いて引き上げるその日である。くつろいだ心持ちの上に、戦の余韻の高揚が乗り、気晴らしに倉の氷を賞味したあと城内を見聞に回ると、縄を打って連れてゆかれるさるみたちを見つけた。釜山に送って売るのかと思えば、あれにつれてゆくのだと人だかりを指す。
「左馬」
と政宗の声に原田左馬助は人だかりの様子を見に走った。あ、と後ろで平田五郎の声がした。五郎は政宗の小姓だから、「自分の仕事だ」とでも云いたいのだろう。
高麗に来てから、左馬助は始終政宗の供をしている。お召しがあるからでもあるが、大人しくしているのも気が詰まる。小勢できているので自分の家中の用など、すぐに済んでしまうのだ。
人だかりの後ろから背伸びをして覗くと、加藤主計頭清正が戦のあとの慰みに、土壇をしつらえ試し斬りをしていた。
咆哮のような気合いとともに、さるみの首が落ちる。
さるみ、とは高麗人の兵士だ。色黒で猿のように身軽で神出鬼没。弓を使えば達者の早業、力もある。攻めれば山へ逃げ入り、退けば山を出でて邑を取り返す。先年高麗の都・漢城を落とし、一時はおらんかいにまで至った日本軍が撤退を強いられたのは、明軍の参戦のほか、このさるみ達が兵站を攪乱した所為も大きいという。
清正は試し斬りの上手だ、とあって、小西行長や浅野長政らの諸大名が我も我もと刀を渡し、つぎつぎにさるみが土壇に引き据えられる。
その旨を報告すると政宗は腰の刀をゆすりあげて見物に向かった。
土壇にさるみが引き据えられている。牛の如く堅く肥えたさるみである。太い首はすでに落とされ、胴に二筋ほど斬りこんだ跡があ?る。横で加藤清正がたすきをほどき、服装を整えていた。
一間ほど離れてそれまでに試しものにされたさるみの遺骸が置かれていた。左馬助は感嘆してその遺骸を見た。みな二の胴、三の胴を見事に両断されており、そうでないのは土壇のさるみだけであった。
清正が近寄った政宗とその太刀をちらりと見た。
「かたがた、業物数ありといえども、このさるみの胴を斬りあましたは、日本の名折れではないか」
大声でそう云いながら諸将を見回す。だが、諸将はすでに刀を試した後とあって、苦笑してさるみの太い胴を眺めている。
「名折れにはならんだろう。われらの刀は人を斬るもので、牛を斬るものではない」
と、小西行長が笑った。
「牛のようであろうと、さるみは人よ」
清正がそう云い捨て、にやりと笑って政宗の方を向いた。
「この胴を斬る太刀は、伊達どのの御腰の物のほかなかろう」
まだ試していない刀は、政宗の物だけだ。さぞかしよく斬れるだろう、試してやろう、というのだ。
政宗の佩刀は、石川昭光から献上された備前景秀。どこに出しても恥ずかしくはない長船の名刀ではあるが、あれほどの太い胴を斬れるかどうか。
清正は斬れるわけがない、と踏んで試してやろうと云っているのだ。
諸大名の視線が、興味深げに政宗に集まる。
左馬助は歯噛みして主を見つめた。これはあの意趣返しではないのか。
晋州城を総攻めにする前の評定でのことだ。衆議がまとまらないのに業をにやした浅野長政が、諸大名の供にも意見を求めたのだ。
「御伴の衆、存知よられたることがあれば、憚らず申されよ」
だからといって、供づれ風情が意見を云えようはずもない。しんとしらけた沈黙の中、長政の扇が左馬助を指した。
「あれに政宗の御伴に原田左馬助見えられたり。近う寄って一手申されよ」
お歴々の目が左馬助を見る。畏まって黙っていると、長政が重ねて云った。
「左馬どの、近くへ参り評定をも承り、存知よる旨があればお申しあれ」
そう云われても困惑するほかない。逡巡していると政宗もが
「左馬、弾正どののお召しぞ」
と呼ぶので、仕方なく左馬助は、大名衆の際まで進んで畏まった。
「そなたに限らず、諸大名御伴の中に存知よりたる衆、近へ参られよ。顔を見知らぬゆえ名を呼びかけられぬが、苦しゅうないぞ――」
とさらに呼びかけて長政は、また左馬助に発言を促した。その時である。
さいぜんから渋面を作っていた加藤清正が大声で遮った。
「左馬も右馬も知るものか」
我慢しきれぬ、といった体で席を見渡す。
「これほどの諸大名が寄り合うての御評定。天下勢の大合戦を、田舎の小競り合いのように戯れては、方々が意見を申しかねるのも、もっともじゃ」
田舎の小競り合い、と馬鹿にされて左馬助は思わず立ち上がった。清正に向かおうとして政宗に制せられる。いきり立つままになおも進もうとした時、
「主計どの。左馬は弾正どのもご存知のもの」
政宗の声に、足が止まった。
「田舎の小競り合いとおしゃるが、小を以て大を図るのではないか。人の詮議をなさるより、先陣の役どころを果たされよ。お嫌ならばそれがしが承る。田舎の小競り合いをお目にかけよう」
からりと笑って、
「罷り立て、左馬」
政宗がこちらを見た。
その言で、長政が手を打ち
「御評定相済みたり」
と宣して、攻城の備えを指示した。小気味よい気分で一礼し、正面を見ると苦虫をかみつぶして黙る清正の顔が見えた。
「左馬、そちは牛の胴を割ったことがあるか」
政宗が清正を見たまま小声で云った。
「ござりませぬ」
ひそ、と答えると
「化け物ならある、と云うておったな」
さらりとそう主が云う。いえ、あれは化け物ではなく盗賊で、という暇もなく、
「いいか、左馬。これはお前の刀ということにする」
云い放つや、政宗は太刀を腰からはずした。
「主計どの、さすがお目が高い」
諸大名に聞こえるよう、政宗が声を張った。
「だが儂の腰の物は今朝、寝刃をつけに遣り、側近き者の刀に差し替えて参った。これにてもお試しあれ」
景秀を政宗が差し出した。
政宗自身の太刀で斬れなければ世上の物笑い。近習の太刀、ということにしておけば斬れなくても言い訳がたつ。首尾よくきれれば、近習の太刀ですらこれほどのものと名誉の結果。それが政宗の魂胆だが、今朝寝刃をつけに遣ったとは、いかにも言い訳がましい。
清正が目を見開き、ほう、と笑った。そんな魂胆はわかっている、というわけだ。周りからも失笑が漏れる。
それを笑みで受けて、いざ、と政宗が一足詰めた。
ほう、と清正がもう一度云った。笑みが消えた。
さらに一足。
すわや。左馬助はにじり出た。
平田五郎はじめとする朋輩たちが一斉ににじり出る。つられるように、清正の供の臣たちも殺気立ち、互いに手は膝にあれどいつでも刀を抜かんばかりの気が満ちた。
今度は清正が平然と一足詰めて、――いざ、と太刀を受け取る。
左馬助は息を詰めた。ぐい、と朋輩も主をも掻き分けて前へ出る。さっと清正の弓手に片膝ついて畏まり、景秀を手にした清正を睨みつけると、目の端に五郎がやはり馬手の方に片膝ついているのが見えた。
一旦整えた衣服をもろ肌脱ぎに帯を締め直して腰に巻きつけ、柿色の手拭いを鉢巻きにきりりと締め上げた清正は、政宗の太刀をすらりと抜いた。清正の目が刃をしげしげと見る。嬉しげに指で刃をなぞり、
「胴を据え直せ」
命じて土壇の胴に向かうと、ふうっと息を吐いて気を引き締め、太刀を中段に構えた。
息を呑んで左馬助は清正を見つめていた。流れる汗が、暑さの所為なのか、清正の所為なのかわからない。いや、そんなことはどうでもよい。清正の気炎に万座が固唾をのんでいた。
――やっ
裂帛の気合いとともに清正が刀を振り上げるや、土壇から砂煙があがった。
牛ほどのさるみの胴は、前後に割れてこけ落ちた。刀は六寸あまり土壇に斬りこんでいた。
わっと歓声があがった。左馬助も我知らず吼えていた。清正が会心の笑みを浮かべている。土壇に食いこんだままの刀から手をはなし、ぐびりと水を飲んで、清正が天を向いて雄たけびをあげ、大笑した。
満足げに諸大名を見回す清正と目が合って、左馬助は我にかえった。土壇の太刀を取ろうとしたとき、
「典厩!」
清正が左馬助を制した。驚いて振り返ると清正が鍬を手に近づいてくる。
「待て待て、そのまま抜く奴があるか。この粗忽者が」
叱責の台詞とは裏腹、にやりと笑って清正が左馬助を見た。「典厩」とは唐国で馬寮の司の意。左馬も右馬も知るものか、と云っていた割に、左馬助の名を覚えていたらしい。赤面する左馬助に構わず、清正手ずからそろそろと鍬で土を除け、そっと刀を取りだすと、きれいに水洗いした。水分を拭い取ると、またほれぼれと刃を見つめる。
「さてもさても斬れたるものよ――」
牛ほどのさるみが何の手ごたえもなく、するりと斬れた。前にのめるところであったわ、冗談めかして云った清正が、太刀を鞘に納めて左馬助に差し出した。
「あっぱれ、御小姓の刀や候」
威儀を正し、晴れやかに清正が云う。左馬助は呆然と立ったまま、景秀を受け取った。清正に見惚れたといってよい。
「見事なる斬りようかな」
やんやの喝采の中、政宗が誇らしげに清正を褒めた。左馬助は手の中の景秀を見つめた。先ほどの斬りようが瞼に残っている。うずうずと身体が跳ねだしそうだ。
政宗の手がのびて、景秀をつかんだ。
「ゆくぞ、左馬」
「は、はいっ」
あわてて諸大名に一礼して、主の後についた。
「……所望してもやらぬぞ」
一間ばかり歩くと政宗が低い声でつぶやいた。
「拙の刀ということにする、と仰せでした」
見透かされたのが少し悔しくなって左馬助は食い下がってみた。
「ならぬ。刀は景秀じゃ」
「手柄を、たてます」
「おお、期待しているぞ」
なんだかはぐらかされたような気がするが、
「心得ました」
と力をこめて左馬助は答えた。
後ろから清正の可笑しそうな笑い声が聞こえた。
政宗がおおいに面目を施したこの備前景秀は、この逸話から「くろんぼ切」という号を得て現存している。