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作品コメント

 管理人作の歴史小説のコメント

 
 
わたりそめにし
一回目の「わたりそめにし」、というわけで、元宗が亘理に入るときの話です。うちの乙松(元宗)くんは実元兄上が大好き。
「亘理のため」と実元がいい ます。「自分のために生きろ」とは決して言わないのです。
えんえんと風景描写をしました。もっとうまく風景描写できるようになりたいな。
竹雀由来仄聞
実元・晴宗異腹説を知ったとき、なんだかいろんなことが腑に落ちた。
私的設定。羽田は実元より年長で、人取り橋で活躍した右馬之助は今回登場の羽田の息子。「亘理世臣家譜略記」では同一人物だけど。(成実の家臣団参照)。いや、だって養子にいく16の小倅に家老としてつけられるんだから、ベテランな年頃の方が自然だからさ。
大森は後日信夫郡一大きな町に発展する。これ実元の功績。ま、もともと地勢的にすごーくいい場所だっていうのも大きいが。またこの数年後に将軍からおねだりされるような名馬を持ってたんだから、実元ってお金持ち。そういや、人取り橋合戦でも、政宗本陣のほかで一番鉄砲の数が多かったのも成実勢だった。
実元は勇猛で賢くて、と評されてた割に、資料を読んでいるとあまり戦の記述は出てこない。輝宗の時代に相馬戦に参戦したのと、八丁目城を取り返した程度。一方で外交関係には頻繁に登場する。実元の外交に重きを置く姿勢は天文の乱中に培われたものという設定である。兵を動かさずにいろんなものを得てきた人だ。
「従うものあっての将、治めるものあっての主」
御曹司とまつりあげられながら、浮き草暮らしだった実元の感慨は、裏返して本家に対し「将にたらずんば従わず」という意地にもなる。
自分で書いといてツッコミ。作中で晴宗が脇腹を理由に実元の一族筆頭を一度拒否してますが。実際は正室腹はみな養子に行っちゃって、伊達に残ってるのは家の女房から生まれた宗澄と宗清だけだから、たとえ脇腹でも実元が筆頭ですな。亘理元宗あたりとだとどちらが席次が上か微妙なラインだが、この頃だと亘理氏は馬打ちであって家臣じゃなかったろうから、やっぱり除外。まあ、植宗には系図に載ってない子供もいたみたいだから、そういうことで。
「竹に雀」紋について。紋を下賜するパターンは多いが、献上するパターンは少ない。献上して、その紋を使うメリットが献上される側になければならない。この当時の伊達家と越後上杉家では、上杉家が格上であり、伊達家が成上がりである。紋は家格を象徴するから、授受は家格を並べることを意味し、下賜は名誉となる。
下賜された側は通常遠慮して、デザインを一部変更するから、それで後日、成実が政宗と同じ定紋を使っていて綱元に咎められたりするわけだ。「俺と政宗は同格だ」と言ってるようなものだからね。
話を戻して。だから実元が紋を献上したのは大きな意味があったと、私しゃ思いたいわけです。なにせ、本家の実元にたいする遠慮ぶり、というか厚遇ぶりは目立ちます。 もっとも岩城常隆(輝宗の兄)あたりは実元に対する書状ではっきりと「足下」と呼んでますが(苦笑)。
9代政宗の通称について。作中、9代政宗の通称が「五郎」である、というのは、あるサイトに掲載されている系図からひっぱってきたもの。しかし、寛政譜などでは「五郎」の記載はなく、ソースを疑問に思っていたところ、作品発表後に、とめ@伊達男さんからご教示いただいた。9代政宗の通称が「五郎」である、という記載は「永禄伊達系図」に存在するとのこと。しかし、この系図には、他の系図に比べて相違点も多く、どこまで信用できるかの判断は避けたい(だって、岩城親隆が稙宗の息子になってるし)。永禄3年成立らしいので、当時にそういうことになっていたのなら、結果オーライだなぁ。
桃夭
 じつは私、久保姫ファンでして。無敵のえくぼパワーを鏡清院が受け継いでおりまして、晴宗も実元もそれにあっけなくやられちゃったわけなのです。
実元などは家庭の事情がなかなか複雑ですから、ひねくれた家族観をもってそうです。でもそれは鏡清院を得たことで、少しずつ癒されていくわけで。家族的な幸せとは無縁に生きてきた人ですから、鏡清院や久保姫のような存在には驚きます。兄夫婦のあり方は長く実元にとっては謎だったのですが、鏡清院を娶って納得!  かな。
鏡清院の方はまだ結婚に夢をみている年頃です。(あの時代にしちゃそれだと幼すぎますが、両親がラブラブですから、そんなもんだと無邪気に思ってるということで)彼女にとって実元は「やさしい叔父上」。そのやさしさは実元の処世術から出てるということには気づいてない。気づかないまま、実元の処世術だの体面だの意地だのをよい意味で壊していくのです。
しかし、なんだか初めてラブラブものを書いた気がします。 いいなぁ、夫婦って。
きざしはじめ
 そもそも書こうと思ったのは、「子どもが出来たことに実感のもてない実元」でした。その部分はなぜか冒頭数行で終わってしまい、怒った奥さんは家出してしまいますし、さぁこれはどうやって話の収拾をつけようかと……(-_-;)
結局、親夫婦にもご登場願い、まだどこか初々しい娘夫婦とそれこそ円熟した親夫婦の対比で話をつくりました。うちの晴宗がどことなくお人よしなのは、たぶん「久保姫の時代」の影響です。それにしても、どちらの夫婦も、外面はともかく実はかかあ天下のようです。 また羽田と伊庭には大河ドラマの左月と基信コンビの影響がまともに出ています(汗)。
作中で解説しきれていない時代背景などを……。(注・マニアックです(^^ゞ)
大森城には本丸の南に「姫御殿」と称される出丸があります。「姫」というからには女性が住んでたのかな、というわけで本作ではここを鏡清院の舘とし、通称を「於南」としました。 なお、於南(鏡清院)のオナカにいてるのは成実です。
この時点から約3年後、中野宗時の謀反が発覚・鎮圧される「元亀の変」が起こります。「治家記録」にはこの事件と実元との関わりの記述はありませんが、「政宗記」の方に、「内匠案者の者にて実元に引合、彼常陸を米沢より実元居城信夫の大森へ語らひ出し、其後内匠実の作法に行ければ、伊達の家長久となる」との記載があります。それで「火付けと火消し」という設定を作り出しました。いつか「元亀の変」そのものも書きたいものです。
挿絵は北天の日暮さまより、16000のキリ番で強奪しました。アツアツの夫婦二組でございます。憮然とした晴宗、にこにこ顔の久保姫。夫にかけよる於南。実元がひそかに照れくさそうです。素敵な挿絵をありがとうございました。
子愛
北天の日暮さんの雑記(2006/10/12 子育て奮闘中)から頂戴したネタ。絶対ありえないけど、あったら楽しいと思って書きました。晴宗と笑窪の子ども――一人も死んでしまわずに成人したのがスゴイと思います。これも晴宗に自慢させたかったんだけどなー。
峠を越える道
「呵呵大笑」のナノ吉さまに相互リンクお礼の献上作品です。リクエストは「ちび成実の面倒を見る(世話を焼く)小十郎」。
時宗丸とくれば「脱走」(笑)。
天正2年、実元は八丁目城を落としております。どうもこれは勝手にやって事後報告っぽい。で、輝宗は実元に釘をさす意味もあって、梵天丸の学友に時宗丸を選んだ、という設定でございます。
なにげに峠を米沢の東に設定して書き上げ、地図を見ると方角が違ってあわてて書き換え(^^ゞ。最初から地図見て書けよって感じです。 でも尾根が張り出してるので本当に見えるかどうか知りません。米沢は……10年ぐらい前に一度行って、半日だけ観光した記憶があります。もう一度行きたいな。
板谷峠についてはこちら⇒  山形新幹線の開通でスイッチバックに乗りそびれた思い出があります。昔は荷車の越えられない難所だったとか。
かの生まれ子
小十郎が生まれてくる子を殺そうとしていた逸話から。大河では成実が「オレが拾うて育ててやる!」と言ってて、これはこれで非常に萌え! なのだけれど、政宗の手紙が素晴らしいのでネタに使いました。
それにしても小十郎。やることやっといて、殺すのはあんまりでしょう!
よく政宗への忠義や遠慮で語られるエピソードなのですが、忠義や遠慮で殺されてはたまりません。いや、まだ忠義でころされるなら、先代萩の方がマシ。小十郎には利己主義者であってほしいのです。子ができることを受け入れられない。
と、いうわけでパニクって「おしかえす」発言となったわけですが、小十郎には「小十郎はひとりでも、ひとりで小十郎があるわけでない」ことを意休斎や政宗を通じて実感してもらえるといいなぁ、という妄想なのです。
なお、重綱については一人っ子説採用です。
雪の日
 なんかラスト気に入らない。雰囲気だけのお話です。元はマンガ4P。雪まみれの蓑の中で笑う成実が描きたかったのです。
 
猿倉越
1年半もかかって書いた割に、実はいろいろ不満が残る。(←ハギヲさん、ごめんなさい!) この関柴合戦、実はまず資料に困った。
臭いものにはフタの負け戦のせいか、記録が残ってないのか、成実記の記載におんぶにだっこの簡潔すぎる記載しかない伊達家側。人数から合戦規模からまずありえへんやろ、とうなってしまう針小棒大記事の会津側。人名とかも資料によって異同ありすぎ。
と、いうわけで、結局いろいろねつ造(滝汗)しました。
特に左馬助の率いた人数はまったくでたらめ、関柴合戦の時刻も経過もでたらめです。人数も時刻も書いた資料は会津側のにあるんだけれども、人数は急ごしらえの難路としてはあまりにも多いし、時刻も旅程(入田沢-関柴=約33キロ、標高=大峠1150m・入田沢500m・関柴250m)を考えると、米沢から一日行程ではかなり難しく、入田沢からでもキツい。
ブログの方で進捗をちょこまか書いてたけれども、この猿倉-大峠ルート、いろいろ面白い。 山の険しさ美しさ、鉱山利権、二兎どころか何兎も追いたくなってしまったのが敗因と思う。
キャラの方は成実とのかき分けに困ってしまった(うちの設定ではちょっとキャラがかぶってます)左馬助に対し、平田と茂介がよく動いてくれてちょっと嬉しい。
事変―粟の巣―
陣さんに「伊達成実アンソロジー」にお誘いいただいた際、うっかりこんと、長年書きたかった輝宗の死を書く、と言ってしまったのがいけなかった。おかげでエライ苦労をして書上げたもの。
作中、畠山義継の室が成実の腹違いの姉という設定になっている件については、当サイトの「粟の巣の変―輝宗の死をめぐるいろいろ 2 」を参照してください。
政宗・成実は名目上は当主だけど、まだまだ輝宗・実元が実権を持っている。強がってみてはいても親の掌の上な政宗・成実。こわもて策略家の輝宗・実元に翻弄される義継。さりげなくおいしいとこ持ってった留守叔父さん。鹿子田・新城も含め、長さの割に登場人物が多い作品ですが、資料追っかけながら設定を詰めてゆくと、自然にそれぞれのキャラが立って動き始めた感じです。
書上げた後もしばらく頭から抜けなくて、それも大変でした。
留守さんが成実に「鉄砲を前に出してくれ」と頼むシーンがお気に入りです。
験かつぎ
 Google mapのありがたさが身にしみました。やっとこさ位置関係と地形がある程度わかったよ……。「飯が美味ければ大丈夫」というのは、自分が風邪ひいたときの実感だったりします。
輝宗の死は成実にとっても、目の前でしてやられた以上の痛恨事だったと思います。実元と成実は自分が仲立ちした降伏を見事におじゃんにされたわけで。
原田左馬助という男
左馬助が孫兵衛にケンカを売ったのがきっかけで、二人は仲良くなりましたよ、の逸話から。
でも、ケンカを売ろうにも、大崎葛西一揆以前はあんまり接点がないのですよ、この二人。苦肉の策で、年賀の挨拶のときってことにしました。
爾汝の交わり
「原田左馬助という男」の続きの小咄。孫兵衛は結局左馬助がかわいい。
 
転封
 元はマンガ4P。描いてから十年か……(遠い目)。それをそのまま小説化するってのも変な気分だわ。
変更点はマンガで酒を注いでた小姓がいないこと。小十郎に頭を下げる成実の追加。成実の舞も追加。「手酌はわびしい」のセリフはお気に入り。
それにしても、ほのぼのしたお話ですね~。(←他人事のようにように言うな)
会津猪苗代合戦記――摺上原の戦
伊達家創作アンソロジー『ダテモノ』 参加作品。
長年伊達家を書いていて、合戦シーンは初挑戦。そして見本に掲載した政宗の会津入りのシーンも、政宗をこんなにかっこよく書いたのは初めてではないかという(苦笑)。そしてうちの成実のカッコヨサも十分に書け、執筆前から入れたかった政宗の血まみれなお箸のエピソードも入れることができて、作者としては満足な作品。
しかし、ラスト部分のみいずれ改稿したい。。。。。うまく終われなかったので。
前夜
さる人に「まさしげを書け」とけしかけられて書きました。大昔から私は、まさしげ派ですが、作品で書いたのはこれが初めて。こういうのは書かずに妄想するのが楽しいんですよ。書いちゃったけど。
小田原前夜
 元のマンガ(4P)とだいぶ変わってます。お東サマなんかひとコマも出てなかったのに。そういやマンガの方は視点がちょっとふらついてたかも。
軍配と采配の使い分けが今いちよくわかってません。成実が預かるのも軍配であるべき気もします。政宗の出立は旧暦5月。梅雨のさなかです。んで、相馬が留守を狙ってきたんで、すぐに帰ってきて再出発します。
田村挽歌
 最後の政愛のシーンを書きたいがために捏造した作品です。
田村家再興は政宗の宿題になり、卯松丸や竹松丸(政愛の息子)が夭折したため、この約束が果たされるのは忠宗の代です。
政宗は愛姫をとても愛していますが、惜しむべきはピントはずれなのです。愛情を示そうとしても見当はずれになってしまう。愛姫はそのおおらかさでうまく合わせてる、というのが脳内設定でございます。
しかし愛姫も生真面目なところがありますし(なにせスタートが大河だし)、総領娘だけに田村家の名跡のことはすごーく気にしただろうなぁ、と。
田村宗顕も気になる人物でして。西上中に急死した、と成実などは言ってますが、実は生きていて、後年片倉重綱の元に身を寄せたそうです。宗の字を廃して定顕と名を変えてますからよほど政宗の仕業がよほど腹に据えかねたんじゃないかと思います。
梅雨の雷
鶴さんからのキリリクです。お題は『政宗と側室のラブラブなお話』。できれば六郷氏こと新造の方で、ということでした。
この「新造の方」ですが、「飯坂の局」との混同が著しく、謎にみちた存在です。宇和島藩祖秀宗と飯坂宗清の生母ですが、治家記録では「家の女房。姓氏父祖伝わらず」となっており、飯坂の局とは別人。
「飯坂盛衰記」は新庄城主六郷伊賀守の女としますが、六郷氏は新庄城主であったことはありません。
なんとなく宇和島と飯坂で、二人の生母の出自をエラクしようとしている気配が見えるので、うちのサイトでは、治家記録の「家の女房」説採用です。「於六」という命名は、「六郷氏」とされているから(安直)。
この時期政宗は初めて、「支配する側」から「支配される側」に回ります。政宗にとって於六は被支配者であり、被保護者だったのですが、そう思ってたのは支配者の錯覚だったという感じにしたかった。
於六の部屋の阿弥陀仏と政宗のつぶやき「自灯明」は、一応対比のつもりで書いてます。他力の阿弥陀と自力の禅です。けれども二人の関係は、外見とは裏腹に、政宗が於六に依存しているのです。政宗が自分の弱さを見せることができる女性は、於喜多のほかには於六だけ。
於六のキーワードは「柳に雪折れなし」なのです。期待をしない。夢をみない。一見流されているように見える、ある意味徹底した現実主義者なのですが、幸せを素直に受け止める気立てのよさと芯の強さを持った女性、という設定。
ところが「口数が少なく控え目」と設定したものだから、話の中でも動かない、しゃべらない。扱いにくいキャラクターになってしまいました……。こういうときは挿絵や漫画がほしい!
いわずもがなですが、於六の腹にいるのは秀宗です。受胎時期を出生日から逆算すると、天正19年正月の上洛前しかない。ということは、5月に帰ってきたらそろそろ妊娠わかってるよね、ということで。
佐沼なで斬り
政宗は何回かなで斬りをしていますが、大崎葛西一揆の佐沼合戦はその一つです。政宗の残酷さについて、小手森合戦がよく紹介されますが、大崎葛西一揆は一番ひどいんじゃないかと思います。
佐沼合戦は孫兵衛左馬助の刎頸コンビが大活躍する逸話があるので、それが元ネタです。
大活躍、と書きましたが、武将の「大活躍」ですから、決して「明るくいい話」なんかではない。血なまぐさく残酷なのです。「武将」な二人を書きたかった。
旨酒
ええと。孫兵衛と左馬助の馴れ初めです。
うちの左馬助は、政宗ともです。だって左馬助を悼む政宗の和歌って、どこかセクシャルじゃないですか。偉い先生の本にもそう書いてあった。恋人を失ったかのような和歌。
政宗があんな和歌詠んだのは、左馬助に対してと新造に対してだけだと思ってます。
いとしいくに
 重綱の元服話です。なのになぜか小十郎と成実の話になっちゃいました。しかも成実のろけてるし。
うちの景綱はもてます。だって美少年重綱の父親ですから。それで京女うんぬんのセリフがさらっと出てくるのです。
成実と小十郎の話を書くときは、ついつい二人の立ち居振る舞いにこだわってしまいます。
『肌小袖』を小姓に渡させていたら、史料に「手ずから」と書いてある。あわてて書き直しました。左手で渡しているのは、もちろんそれが作法だからです。ヤケドのせいではありません。
なぜ「重綱」なのかも書きたかったんですが、書けませんでした。理由のでっち上げに玉砕(汗)。通字と思われる「景」の字を使わなかった理由はなんとなくわかりますが、「成」の字を使わない理由、「重」の字を使う理由がでっち上げられませんでした。
この話を書いてる間に4コマのネタがわらわらと。伏見で頑張る左門くんのギャグです。小説化しちゃいました。
あばたもえくぼ 
 飯坂氏は山岡荘八の小説(大河ドラマ)では「猫御前」と名づけられていますのでそちらの方がとおりがいいかと思いますが、この作品ではこういうことに(^^ゞ
飯坂盛衰記に、痘瘡のために引きこもった飯坂氏の元に政宗が訪ねていくエピソードがあり(たしかそうだったと思う)、それが元ネタになってます。なかなか感涙ものでしたのでぜひ小説にしたいと思ったのですが、小噺になってしまいました。
がんばれ! 左門くん 
 「いとしいくに」を書いてる間にネタがわきあがってきた作品。政宗は左門が美少年であるのをいいことに「小早川秀秋のトコ一晩行ってこい!」なんてことを命じてます(史実(^_^;) 
くろんぼ斬り景秀
政宗が持つ名刀景秀で、加藤清正が捕虜を試し斬りにする逸話から。さわやかな感じに書いてますが、書きながら吐きそうな気分に。
だって! 捕虜をてなぐさみに試し斬りにして遊んでるんですよ、この話。ああ、気持ち悪い。
政宗が年老いてから、自慢話で小姓に語った話でもあります。
この話がさわやかに語られてしまう時代だ、ということがつらい。
絶影
原田左馬助の死亡地は対馬説と釜山説がありますが、釜山にしました。
うちの設定では左馬助の病気はツツガムシ病です。風土病で転帰が早くて空気感染しなさそうで、ってことで寄生虫病および人畜共通感染症の中からチョイス。漢詩にも「恙」って字がでてくるし、まぁそれでいいやと。
それにしても茂助さん、よく動いてくれます。いいキャラになってくれました。ありがたや。
朝鮮の梅 
 瑞巌寺や宮城刑務所にある朝鮮の梅。どうやって持って帰ってきたんだろう……、というところから出てきた作品。やっぱり挿し木でしょうねぇ……。
茶は知己に逢って喫す
鶴さまからのキリリク。お題は「政宗と成実の食べ物談義」。
鮭というのは北の魚ですから、伏見時代、きっと成実は生鮭が食べたかっただろうなぁ……。でもって、うちのキャラとしてはいつも成実が政宗を励ます側なんですが、たまには逆でもいいよなぁ……。
と、いうところから、どんどん「食べ物談義」から脱線。結局夫婦ネタとなりましたが、またもや玄松院が故人です。生きてる姿を書いたことない。うちの設定としては、文禄の役後の大名屋敷はベビーブームで、玄松院の死因は前置胎盤あるいは胎盤早期剥離による出血なのです。
短い話なのに、ずいぶん時間がかかってしまいました。しかも最後会話に逃げてるし。でも成実が泣くところを書きたかった。ふだん気張ってる人が、ふと気が緩んで泣く、というのを。
なお、作中、お茶の作法は突っ込まないでください。いや、政宗だって階から能舞台に上がったりしてるし、ということで^^;
 
夢は枯野を
 これはマンガ(6P)とあまりかわってません。今見るとちょっと赤面ものです。
冒頭、「次郎」は政宗、「五郎」は成実です。言うまでもありませんが「中原に鹿を追う」=「天下を狙う」です。みみずを「地竜」とかくのも本当です。風邪薬に「地竜エキス」入ってるものがあるとおり、熱さましの薬として使われます。(←小説とは関係ないいわい・汗)
帰りなん 
 本当に小十郎が自分で口説きに行ったとは思えません。でも、そこはお話ですから……。「一方をまかせるにはよき大将なり」これは政宗の成実評です蒼天航路 33で夏候淵の死の話。これを読んだときに、この政宗の評を思い出しました。だからなんなんだ(汗)。
Tears of Mars
 伊達兵部、伊達兵部と作中で連発していますが、伊達騒動の宗勝ではありません。成実です。
んで、石川義宗視点。これまたマイナーな人ですが、石川昭光の嫡子です。昭光は政宗の叔父で仙台藩一門石川家の祖となった人。秀吉の奥羽仕置までは一応独立大名でした。
成実は家中の序列で石川氏の次に甘んじたことに対して不満を持ってたようですが、義宗だって成実に内心反発してたに違いない。
義宗の家督は世臣家譜ではこの時点からさらに3年後の慶長8年になっていますが、そうすると文禄4年の重臣連署誓詞に義宗の名があることに矛盾するんじゃないかな、と思います。そういうわけで本作品ではすでに義宗は家督後、ただし昭光も大御所的に実質支配してるという設定です。
しかしこの作品のメインは語り役である義宗ではなく、成実&玄松院(亘理氏)です。慶長5年、帰参したばかりの成実が一時石川氏に身を寄せていたころの物語です。
玄松院は亘理重宗の娘で、天正15年に伊達成実に嫁ぎました。文禄4年に伏見で没し、当時の成実の所領である角田に葬られています。納骨に成実が角田へ戻ったかどうかは記録がないです。「帰った」説が多いですけど、6/4に玄松院死去、7/15 豊臣秀次自刃、8/24 石川義宗・成実ら、政宗の家臣19名秀吉に誓書を提出ですから、移動時間を考えるとスケジュール的にはけっこう微妙です。
玄松院の墓所は角田長泉寺の石川氏の墓地内にあり、「亘理御廟」と呼び習わされていたそうです。この呼び方に、石川氏の好意を感じます。
本作は成実帰参のとき、石川昭光のとこにいたんなら、墓参りしててほしい。いや、してるに違いない、との妄想から書いた話です。
私は文禄4年成実出奔説を設定上使ってますので、ひょっとしたらこれは成実の初めての墓参です。連れ合いの墓の前にたつのはとても悲しいことですが、故人への愛を一段とかみしめるときでもあると思うのです。
黒沼の魚 
伊達政宗 (人物叢書 新装版)は、政宗の誕生伝説で始まり、誕生伝説で終わるのです。仙台城のある「青葉山」、そして「黒沼」は、福島の信夫山のものを移したことも書かれてありました。それで、少年の日の政宗と成実が、信夫山の黒沼で、魚を追いかけまわすと面白いなぁ、と思ったのが始まりです。
なのになぜか仙台移転の話に。
寺社が陣になる、というのはけっこう多くて、人取橋の時の岩角もそうです。寺社と大名のお付き合いが気になります。
 
 
土の恵、浜辺の幸  
北天の日暮さんから、「父二人」と「きざしはじめ」の挿絵を強奪した返礼に献上。リクお題は「政宗と成実」。成実の逸話をいっぱい詰め込んだ作品です。「イワシと味噌汁」は伊達政宗と片倉小十郎、「意外と質素」は「伊達政宗言行録―政宗公名語集」(ただし、相手は太閤でなく、将軍家と思われる)。亘理拝領を成実が嫌がった、のは確か亘理町の資料……だったかな?? 阿武隈での芋煮はフィクションです。念のため。ホントは成実にはらこめしを食べさせたかったのだけれど、それはうまくいかなかった。だって季節がちがうんだもの(;_;)
しかしこの話には大ポカがあります。舞台となる慶長7年暮れ~8年明け。政宗は仙台にいません(爆)。あーーーくそぅ。ミスったなぁ。
成実の亘理拝領ネタは、実は完全シリアスで書きかけていたものがありました。綱元視点と成実視点で、亘理重宗もからんでそれなりに部分部分はできてたのですがつながらず……。佐門視点で食べ物を縦糸にするとあら不思議、本作になっちゃったという……。
基本的に明るいタッチの作品ですが、成実の言葉遣いを、出奔前と後で比べてみてください。また、綱元のセリフにも注目。和解し、認め合いながらも政宗と成実との間には大きな隔たりがうまれているのです。藩政初期に果たした綱元の役割は大きいものがありますが、綱元もまた、戦国期と藩政期で大きな変身を遂げています。これも今後掘り下げたいテーマです。
その家室に宜しからん
 いろいろ詰めたい部分はあったのですが、資料を追いかけきれず仏性院のモノローグに逃げ込みました。
岩城常隆の遺腹の子――政隆(後の岩谷堂伊達氏の祖)を抱えて、一所懸命肩肘はって生きてきた彼女が、夫を得て自然体になれる。そんなのを書きたかったのですが、上に書いた事情もあり、作者としてはちょっと不完全燃焼ぎみです。三人称で書き改めたいもの。
仏性院の母は須賀川の女城主として、政宗を相手にやりあった女傑であります。最後の成実のせりふはそのことを指します。
茶室にいたのは、亭主が政宗。客座にいるのは当事者二人と、奉行の綱元。あれ、四人て書いてあるやん、と思った方は鋭いです。作中では誰か書いてない謎の四人目は、実は小十郎(景綱)です(汗)。成実の「所望」を政宗に取次いだのが小十郎という設定なので。セリフがないばかりに、このような扱いに……。岩城政隆の仙台入りを取り次いだのも小十郎です。
 
 
 
そして迎える日
小十郎は晩年、肥満しても動きやすいよーに、と政宗から軽い具足を拝領しています。そのエピソードを題材にしました。
小説というよりも、降りてきた言葉をただ書き連ねただけですね。とにかくリフレインを使いたかったのです。
題名は鵡川さん主催の片倉小十郎景綱生誕450年祭で配布されているものを頂戴しました。
迎える日――景綱があの世へ旅立つ日です。なんか書いててせつなくなりました。
父二人―宗実回想
 大人になった成実(笑)。いや、もう老人だけど。ちょっと宗実のものわかりが良すぎる気はするが、昔の作ながらも気に入っている作品。
ラスト伝聞形になっているのは、宗実は仙台在府中という設定です。
政宗が近世大名になったのと同時に家臣のあり方も変わったでしょう。と、いうか傘の下の同盟国はみな「家臣」になっちゃたんですね。そのあたりもいずれ書けたらいいな。
挿絵は北天の日暮さまから頂戴しました。老年の政宗が頼る存在、とくれば綱元と成実だと思うんです。
修羅の遠近(おちこち)
普通に考えて、小十郎(重綱)が書状持ってゆくなんてありえないのですが、どうにかして彼に亘理に行ってもらわないと話が成り立たないので苦肉の策。
登場人物みんなが互いをうらやましがってる、ある意味さんすくみ^^;
もともと、なぜ政宗と成実が「実盛」に涙したのかを書きたかった。と、いうか、若いころから不思議だったのを、近所のお葬式に参列したときに一つの答えを思いついたのです。きっともっと自分が年を重ねればまた解釈も変わってゆくと思う。
小十郎の話に流れて行きそうになるのを、成実の話に引きもどすのに難儀しました。

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