猿倉越

「会津を攻める――」
と、伊達政宗が唸るように言った。原田左馬助と片倉小十郎は神妙な顔でそれを聞いた。
政宗家督の祝いにきた仙道諸氏の中に、塩松の城主で大内定綱という男がいた。この男、
「この期にご奉公を」
と言った舌の根も乾かぬ内に、
「伊達殿は頼むに足らぬ」
と言を翻してはばからない。
その大内が頼んだのが会津葦名家である。
なるほど、伊達家の当主とはいえ、政宗若干18歳。しかしその会津の主・亀王丸はわずか2歳だ。
(――あなどられた)
と怒ったのは政宗だけではない。
若くして代々の宿老家を継いだ左馬助もその一人である。太い眉をつり上げて大いに憤慨し、
「この上はその会津を討って、大内に目にもの見せてやろうず――」
と吠えた。
御前へ召されたのは、この放言を主の政宗が聞きつけたかと思えば、神妙にもなる。
とはいえ、会津と事を構えるのは容易でない。
「仙道を経ずに会津、となりますと、檜原峠が順当ではありますが」
片倉小十郎が思案顔で云った。
今までに何度か、伊達家は檜原峠から会津へ侵入を試みた。永祿8年の時には倒木で道をはばまれ、翌年には雪中の油断を誘ったが寒さに破れた。政宗が生まれる前の話である。
峠は谷筋にあり、尾根から見下ろす敵の有利を覆すのは難しい。大軍は細い列となり、数の力を発揮できないまま、列を寸断され、一人ずつ討たれてゆく。そこで当時の当主輝宗は和平策に転じ、妹を嫁にやって葦名と縁を結んだ。
「峠の城は、道をふさぐことに意義があります。真っ向から攻めるは得策ではございません」
そのようなことはわかっている、と言いたげに政宗が爪を噛んだ。
「左馬、そちはどうだ――」
左馬助は磐梯の山麓を想起した。なだらかに見える稜線とは裏腹に、山への取り付きはいずれも険しい。そもそも米沢から直に葦名領へ出る道らしい道は、檜原以外にはないではないか。
小十郎が左馬助の顔をちらりと見たが、言葉が出ないを察してか、再び語り始めた。
「ご存知のとおり、会津衆は一枚岩ではございません。幼君擁立が決まるまでには、お屋形さまの弟君――小次郎さまを御養子に、という話もございました」
「……しくじったがな」
政宗の声は相変わらず憮然としている。この入嗣失敗により、伊達家は会津への影響力を事実上失った。父・輝宗の隠居の理由の一つと言っていい。
小十郎は気にするでもなく言葉を続ける。
「ゆえに、会津のうちでも小次郎さまを立てた衆をお味方になさるが、ようござりましょう」
聞きながら左馬助は、山裾に思いを巡らせていた。

あのあたりはよい山だが、軍を動かすには向かないのだ。軍を動かすには人間だけが動けばいいというものではない。兵糧・弾薬・軍馬・弓矢など運ばねばならぬものがたくさんある。
(猟ならば、かほどに案ぜぬでもよいのだがなあ――)
左馬助は心中で苦笑した。
まったく、あのあたりはよい山で、鹿、猿、兎、猪などが夥しくとれる。狩りに行くとゆきかう猟師にもよく出会うものだ。
この間は解体した熊をかついだ猟師の一隊が、まだ深い雪の残る森の奥から道なき道を踏んで現れた。
どこでとれたか問うと、言葉少なに弓で、山稜を指した。
「ふむ」
左馬助は獲物の熊を見た。毛皮の色つやはよし、
「おれが買おう」
供の平田にそう伝えさせ、肉・胆もともに、屋敷に運ばせて金子を渡した。――それだけの価値はある、見事な熊であった。

「それはよき調儀だが、」
政宗の声が響き、左馬助は我に返った。
「檜原の近くによき者がいるか」
この場合、内応者と峠をはさんでしまうのが早道である。檜原を通らず、檜原に近く、できればそんな在所のものがいい。とはいえ、檜原を通らずつなぎをとれる、という部分が難題だ。
「近くとなりますと、喜多方の柴田弾正、関柴の松本備中、それから――」
小十郎がいくたりかの名をあげたが、左馬助の耳に飛び込んできたのは地名の方である。あの熊をしとめた猟師の一隊――かれらと話した平田がその地名をいってはいなかったか。
「関柴、喜多方ならば、檜原を通らずにつなぎがとれるやもしれぬ」
左馬助がそう、つぶやくように云うと、政宗と小十郎の視線が集まり、ひとりごとを聞き咎められた気分で、目をしばたいて顔を上げた。
「関柴は、昨年叛して葦名の本城に攻め込んだ松本太郎の一族です」
小十郎の声音に興味の色がにじんだ。
「子細を話せ」
政宗の目に射られ、観念して熊の一件を左馬助は語った。
あの猟師の一隊が降りてきたのは、檜原よりも西の尾根である。切り立つような険しい斜面を巻いて歩く。道、というよりは踏み跡というが正しい。
かれらと話した平田が、
「あれは会津者です」
と云った。
「なぜわかる」
「会津の訛です。そう思うて問うてみましたら、関柴から山に入った、と申しておりました」
尾根を越えて熊を射止めたので、かついで登り返すのは難しく、米沢側に降りたのだと云う。あのあたりの猟師はそうした山を越えての行き来がそれなりにあるらしい。
「私も縁の者があちらにおります。さような例はよく存じおります」
平田はそう言って、かれらが帰っていった尾根を見上げた。
「その猟師道を経れば、関柴・喜多方へ出る、ということだな」
政宗が独眼をぎらりと光らせた。
「御意」
「その平田とやら、信用できるか」
左馬助は思案した。親しく使ってはいるが、平田は譜代ではなく、近年流れてきた会津者。しかも左馬助自身家督したばかりで、家中の把握は十分かと言われれば自信がない。
「心底は存じませぬ」
左馬助は正直に云った。
「が、目端の利くやつです。二心はないと存じます」
「ならばよし、だ」
政宗は大きく頷いた。

館に戻った左馬助は、早速平田を呼び、政宗から命じられた調略を申しつけた。
「関柴・喜多方を説いて返り忠させよ」
両者とも謀反人の一族として針のむしろ、伊達からの誘いは渡りに舟なはずだ、と小十郎は言っていた。
平田もそれに同意したが、
「気にかかりますのは――」
と、思案顔になった。
「ご両所とも境目の城ゆえに、他の会津衆が油断なく見張っておりましょう」
「もとより承知。この左馬助が後詰を仰せつかった」
関柴・喜多方が会津と手切れすると同時に、原田勢が援護に入る。合わせて政宗自身が檜原から会津に攻め込む。
これが今回の会津侵攻の手はずであるが、そのためには米沢から関柴・喜多方に至る、兵を通す道を開かねばならぬ。
「――平田、」
左馬助は身を乗り出し、
「道を案内せよ」
下見に参る、と左馬助は、雪焼けが残る顔をほころばせた。
脳裏にはあの熊が残っている。
(思えば、会津は眠れる熊かもしれぬ)
会津守護とまで自ら認じる、巨大な熊。その熊は中興の祖とうたわれた、止々斎盛氏の死後は冬眠したかのように、会津盆地という穴ぐらに籠もっていかに見える。
強敵を追う狩りのような高揚を、左馬助は覚えた。

吾妻連峰から飯森山を経て、飯豊山にいたる稜線が、春霞の向こうに美しい。
吾妻の主峰からいくつかの起伏を繰り返しながら下る稜線は、綱木川上流の檜原で最下部に達し、また起伏を繰り返しながら、飯森山に向かってゆるやかに上ってゆく。飯森山の手前にある鞍部を、左馬助は目指している。
山に近づくにつれて、山また山の重なりが深まってゆく。左馬助は大きく息を吸いこんだ。俗世を離れた気配が濃くなってゆく、この雰囲気が好きだった。
米沢から鬼面川を遡り、八谷の集落。ここが一番山奥の集落で、ここまでは左馬助も来たことがある。
平田の話では、先の猟師が降りて来たは枝道で、この村からは少しましな道があるということだった。
左馬助の愛馬を、ヨツグロと言う。葦毛の馬だが、四つの足首だけが、墨壷に踏みこんだかのように黒い。
水と秣を飼い、わらじを替えさせていると、村人と何かをしゃべっていた平田が戻ってきて云った。
「御馬はこの里へ置いてゆかれますように」
左馬助は、む、と口を曲げた。
「馬は行かれぬと云うか」
今日は狩装束ではあるが、いざ戦のときに兵を連れるは馬を連れると同義である。馬の通れる道かを確かめる必要があった。
平田はそれまでしゃべっていた村人と目を見交わした。平田の背にはかんじきと雪沓が括りつけられている。
「上の方にはまだ、雪が残るところもござります。道も険しうござりますによって、御馬に万一があってはなりませぬ」
駄馬ではござりますが、と平田は先の村人に馬をひいてこさせた。
「これを替え馬にして召されませ」
雪の支度をし、替えのわらじをたくさんぶらさげたその馬は、この辺りで荷駄をつねづね運んでいるとみえ、荒れた毛並みながらも頑丈そうに見えた。
左馬助は無言のまま頷いた。
村人が無愛想にヨツグロの手綱を受け取った。村長が鄭重に、
「皆さまの御馬は、此処にて山に慣らしておきます」
と深々と頭を下げた。
村を発った一行は、川を離れ、斜面の中を上りにかかった。これまで遡ってきた川を下に眺めながら、山肌を縫うようにゆっくりと上がって行く。
道は狭く、人二人が横並びになれない。馬も人も縦一列に並んで歩いた。
急、というほどの斜面ではなく、岩も少ない。山側を切っていけばもう少し道幅を広げられそうだ。
一丈五尺の道幅が街道の標準で、つまり一軍がまともに行動するにはそれだけの幅が要る。
(せめて一間半、いや二間の幅を取らねば)
左馬助はそう考えながら、道の先を見やった。ブナの木が葉を広げはじめ、淡い緑が枝先を彩っていた。
めざす鞍部は鬼面川の上流を詰めたところにあたる。一旦支谷へ入って崖を巻き川沿いに戻る。道が険しいわけでもなく、ガレ場というわけでもない。ただ、気がつけば遡行してきた川は、遙か下に水音を気配に残すのみとなっている。
「もっとも高い峠ゆえ、大峠と申します」
平田がそう言って稜線を見上げた。
「峠への道はござりまするが、これだけの人数が通るのは初めてだと、村の者が申しておりました」

道の方向が谷筋を大きく離れ始め、左馬助は不審を口にした。
「――どこへ行く」
平田が振り返らずに応えた。
「あの谷は詰められません」
崖や滝が多く、馬は行けないのだと云う。
「こちらの路も御馬は、さて――」
平田は言いよどんだ。
これまで川沿いにおおよそ南へ向かっていた道だが、日の方向からすると西へ向きを変え、再び支谷へ入ったようだった。
谷側の斜面が次第に急になりなってゆき、谷は飯森山の方に向かって切れこんでゆく。路肩ははなだらかに見えるその先から、川に向かって急激に落ち込み、ところどころに大きな岩が顔を出していた。
岩陰に残っていた雪が、道にもあらわれ、一行は雪沓を履いた。やがて水気をたっぷりと含んだ雪越しに泥を踏んで歩く。
平田が、不意に足を止めた。谷に橋の痕跡らしきものがある。
谷向こうで道はいっそう細くなり、木々はまばらに、急な崖から頼りなげに生えている。芽ぶきはじめた森が柔らかな光を導くこちらとは対照的であった。
左馬助は馬を下りた。
深く切れた谷からは雪解けの冷気が、しん、と上がり、どうどうと流れの渦巻く音が聞こえた。
「猿倉沢と申します」
平田が谷向こうを見据えて云った。
「冬は天候のよい時に雪渓をわたり、夏は仮橋を架けます」
もっとも、冬はよほど山に慣れた猟師しか通りませんが、と平田はこれまで左馬助が乗ってきた馬を見やると、思い切ったように云った。
「馬は連れぬ方がよいと存じます」
左馬助は大きな眉を寄せ、口を曲げて唸った。此処まで来て、何を云うか。
「……我らはいくさをしにゆくのだ」
この道では小勢にならざるをえない。此度の調略がうまく進んだとしても、徒歩ばかりの伊達勢を見て、松本備中は何と思うか。
「馬は捨てぬ」
怒鳴ると、左馬助はどかりと岩に座り込んだ。平田が眉を寄せた。
かまわずに左馬助は、ぎろり、と平田と案内の村人を見回した。
騎馬がもっとも苦手とするのは湿地である。古く粟津の戦で木曽義仲が討たれ、近くは相馬との戦で泥田に誘いこまれた伊達勢が手痛い敗北を喫した。
それに比べれば、斜面はさほど問題にならない。落馬せぬ熟練は必要だが、それだけだ。
「馬を通す道を拓くよう、申しつける。道幅は一間。算段は米沢の原田屋敷へ申し述べるよう」
案内の中で一番年嵩な男が、おずおずと平伏していた頭をあげた。平田が、さ、と近づく。
「この者の申しまするには」
猿倉沢まではまず道を拓くことができるであろう。沢には仮橋を二つ架けるようにする。沢の向こうは、崖地で道を切るのははかどらない。おとのさまには何時ごろのご出兵をお考えか。
おおよそ、そのような言上であった。
「夏のうちに」
と、左馬助は答えた。調略の話がついてからの時機、田畑仕事の忙と閑、そして内政外交の状態を鑑みて、夏までには征くかどうかの目処がたつ。そう考えたのである。
「平田!」
呼んで
「徒歩であれば、今この沢を渡れるな」
念を押した。
「御意」
との答を得ると、左馬助は大きく頷いた。
「そちはこのまま進み、かねての手配をせよ。会津側の道をも見聞して参れ」
承った平田が立ち上がり、先の村人とともに谷底へ降りてゆく。半刻ほどして、二人の姿が沢向こうに現れ、道を進み始めるのを確認して、左馬助は馬首をかえし、大きく息を吐いた。
行きには気にならなかった岩やゴロ石が、やけに目につく。胸にまでその石がつかえたかのような、苛立ちを呑みこんで、きっと頭をあげ、折り重なる山を睨みつけた。

米沢に戻った左馬助は、在所から掘茂助をはじめとする譜代の侍を数人、各自が信頼する小者とともに呼び寄せ、八谷の村へ派遣した。道普請の監督と応援のためである。
米沢で大きく人夫を募りたかったが、作戦の機密を守るためには避けねばならなかった。
五日ほどして、平田が戻ってきた。茂助も一緒である。
「――二つ返事、とは参りませんでした」
慎重な気性そのままに、平田の報告は交渉時にありがちな飾り気や山っ気がない。
「と、いうことは、最終的には肯ったということか」
左馬助は身を乗り出して聞いた。
「御意」
と、平田が答えた。
この話、乗らぬはずがない、と左馬助は思っている。一旦かかった嫌疑は、よほどのことがない限り晴れない。ならばいっそ、と思うのが人の心だ。
するすると話が進むもの、とどこかで思っていた。
「さりながら」
平田が続ける。
「関柴は、北は飯豊・大峠の山に囲まれ、東は檜原への道を堅固に守る大塩の城。さて喜多方でございますが――、松本太郎の乱以来、残る四天の衆がかわるがわる援勢に参るよし。大層逡巡なされました」
その淡々とした口ぶりに、左馬助は信頼感を持った。
「さもありなん。ただ叛しただけでは袋の鼠じゃ。我らの後詰に成否がかかる。――茂助」
道普請は如何だ、と左馬助は向きをかえた。
「当初の思案どおりの広さは難しゅうございますが――、とりあえず道を開くを優先しております。これは茂助の思案ではござりますが、」
茂助は日焼けした人好きのする顔をほころばせた。
「梅雨になる前に事を起こしとうござりますな」
この男は厳しい状況になると笑う癖がある。それがまた、からっと明るく笑うものだから、なんとかなりそうな気がしてくるから不思議なものだ。
果たして本当になんとかなることもあれば、ならずに頭を掻いていることもあるのだが――。
茂助は理由をあげた
今回の会津攻めは、伊達家中にも反対意見が多くあること。平田の報告にあるとおり、松本備中にも逡巡があること。
「皆の気が変わらぬうちに動かねば、時機を失います。そして何よりも――」
茂助の笑みが大きくなる。
「なんといっても急ごしらえです。大雨に道が崩れれば、此度の攻め口そのものが消え失せます」
「崩れぬようには?」
「さて、相手が山ゆえ確とはわかりませぬが、仮に檜原越同様に道を保つといたしますと、とても隠密には参りますまい」
「会津側の道は如何に」
尋ねると平田がかしこまり、
「猿倉までと似た体にて。雪はいくぶん少なうござりました。此度の案内の者――嘉兵衛と申しまするが、猟という名分でできうる限り道をつけると申しおります」
「あいわかった!」
左馬助は大きく膝を叩いた。
「お屋形にその旨言上いたす。両名は八谷へ戻り、道普請に精を出すべし」

果たして出陣は5月3日と定まり、左馬助は八谷の村に先発している者を中心に、関柴へ征く十騎を選んだ。道普請をできうる限り進めるため、入梅ぎりぎりの日取りである。選んだ十騎には、普請に参加しながらの道の下見、猟師に紛れての会津側への物見を重ねさせた。
政宗は米沢を発つと同時に長井の衆に陣触れ、檜原へ侵攻する。同日に会津領へ入るため、左馬助は前日に八谷へ入り、明くる払暁、小具足姿で進発した。1ヶ月余の普請で、道は十分とまではいえぬが、馬と口取りが余裕をもって進める程度には広がっていた。
猿倉の沢には二本の吊り橋が架けられ、馬を進めるとぎちり、と蔓縄が鳴った。一頭ずつしか渡れないが、渡った先の道が狭くなるのでちょうどよい加減だ。
左馬助も此所は馬から降りて、歩く。足元からは、どうどうと水の増えた沢の音が響いている。
ふと下を見下ろしてみたが、繁りだした青葉が谷を遮り、水面は見えず、ただ轟々とした水音が底から立ち上って左馬助をつつんだ。橋をかけるときに使ったらしい太い縄が二本、谷を渡してあった。
初めての道は遠く感じるが、慣れた道は早く感じるものだ。
未の下刻、順調に大峠に達し、つづら折れを下って少し開けた台地に出た。此所で長めの休止をとって物具し、馬のわらじをつけなおすと、平田を松本備中の元へ先触れに発たせた。できれば今夜は関柴の城に入りたい。
急峻な崖に切られた沢沿いの細い道を進んでゆく。ところどころに水が湧き出し、細い滝を作って急な斜面を落ちる。この水で道が濡れ、滑りやすいのが難といえば難ではあるが、ほかにさしたることもなく、途中の大きな岩を巻いて、夕刻にかかる頃、関柴の集落のはずれに出た。
坂を降りた先に木戸があり、民家の横に数十騎の物具した兵が見えた。左馬助は馬をとめた。
「との」
茂介たちが緊張の面もちで左馬助を見た。
「懸念に及ばぬ。敵なれば、平田の注進があるはずだ」
前方から将とおぼしき人物が馬上のまま進み出た。
「原田どのか」
「いかにも」
一馬身後ろに兵を止め、左馬助も進み出て駒を相対させる。
「それがし、松本備中――」
名乗りながら備中はじろり、と左馬助の兵を値踏みするように見回した。
「お手前の軍勢はこれですべてか」
「――お屋形さまは檜原よりお越しにならるる」
少しむっとして左馬助は答えた。
「此処は境目ゆえに――山の見張りもぬかりない。我らは侵入してくる伊達勢を迎え討つ、というて城を出て参った」
「先触れの者には」
「出あわなんだが――、噂は聞いたな。本日、伊達の軍勢越山す、と。その数、百騎とも云い、また五十騎とも云う。返り忠の噂も絶えず、敵の数定かならぬ。疑心暗鬼の衆は城より離れて様子をうかがうておる」
伊達勢を「敵」と表現した備中が、軽く片手をあげた。松明を手にした兵が何人か進み出た。火に赤く照らされた備中の顔に、深い皺が刻まれていた。未だ最後の決断を逡巡しているようであった。
左馬助は笑みを作った。
この流言は、小勢を侮られぬための、平田の才覚であろう。
――生かさねばならぬ。
ここが勝負どころ、と唾を飲みこみ、声を張った。
「境目のご守備、ご苦労お察しいたす」
自分の軍勢、そして備中の軍勢に目をやる。
「なるほど、我らは小勢。なれどお手前の手を合わせれば、何騎になろうや。檜原には長井の衆のみならず、伊達の衆も向かっている。今この時が手柄のたてどき、遅れれば名を下げよう。火の手をあげる方向を見誤らぬよう、熟慮が肝要と思うが、如何に」
備中の顔を見据えると、無言の対峙がしばし続いた。松明の火は、城からも見えているはずだ。汗が頬を伝った。
駒を一歩、備中の方へ進めたその時。
「――会津へ!」
大音声が聞こえた。
掘茂助が数騎とともに駆け出していた。備中が思わず、横を走りぬけてゆく茂助たちの方を見た瞬間、、
「火をかけよ、茂助に続け――!」
左馬助はあらんかぎりの声とともに采配を振った。
残っていた伊達勢が駆け出す。釣られるように備中の勢が動きだした。
備中が眉間に険しい皺をたてて自分の勢を見送りながらため息をついた。
「原田どの」
面をあげて左馬助を見つめた備中の顔つきが変わっている。
「ことなったあかつきには、檜原の金山差配まかせてもらおう」
「おおよ、その段、しっかと言上いたそう」
馬首をかえした備中に、左馬助は晴れやかに笑った。

備中の勢を先に立て、左馬助は喜多方を目指した。喜多方を衝けば、檜原は十分な後方支援を得られなくなるのみならず、芦名の本拠地・黒川も指呼の間に入る。
途中、関柴舘の横を通り抜けた。陣をはるつもりだったが、ちらと見れば平地に堀を切っただけの屋敷構、手切れして籠るには何とも頼りない。
喜多方城主柴田弾正は松本備中と同族、会津衆が敵味方の判断に混乱をきたしている間が、喜多方を得る機だ。
あたりの民家が一つ、また一つと火に包まれてゆく。
炎の熱を頬に感じながら最後尾について駒を進める。今頃は政宗が檜原峠を越え、明日には会津領へなだれこむはず。
夕刻にかかり、濃紺になりゆく空の、半ばまでが炎で赤い。
急に前方で怒号が聞こえた。不意に隊列が止まり、たたらを踏んで乱れる。鉄砲の音と、叫び声。
「如何した!」
左馬助は大声で問うたが、応える声はない。敵襲には違いないが、夕闇に紛れ、敵味方の様子が判然としない。兵が逃げ戻ってくるのを叱咤し、崩れぬよう馬を乗り回す。
平田が馬を駆って馳せ戻ってきた。
「黒川の勢が、松本様に当たっております」
左馬助は歯噛みした。会津の本城黒川の勢が出張ってきたとあれば、圧倒的な数の差がある。
「お屋形さまの勢の動きはわかるか」
政宗の檜原侵攻が伝われば、会津衆は分散される。だが、案に相違してこちらのみが突出していれば――
「物見を走らせましたが、未だ檜原に到着なされておられませぬ」
血の気が退くのを左馬助は感じた。
平田の顔が蒼白に震えている。
「ゆえに」
平田が手にした松明を大きく振った。横の闇がざわめいた。
「手柄は会津にて、たてさせていただきまする」
言って身を翻した平田と入れ替わるように、矢が風を切ってふった。
「寝返りは松本備中ただ一人、伊達勢は原田左馬助ただ一人、小勢打ち取らずんば会津の名折れ、包み討ちに討たれよ方々――」
平田の音声が夜陰に響く。
――見誤った!
飛来した何本の矢を切り払い、左馬助は、ぎり、と口を噛んだ。崩れた兵が脇をすり抜け、てんでに逃げ散ろうとしている。
闇の中から現れた敵勢の後ろから、法螺の音が重なった。
「退き鉦を、」
一瞬の迷いを呑みこんで左馬助は叫んだ。
「退き鉦を鳴らせ!」
弾正の兵と左馬助の兵が入り乱れる。混乱しながらも、鉦を叩かせ、集まる兵をとりまとめ、盾をかかげて矢弾を防いだ。何人かが倒れたらしく、人の身体を蹄で踏む感触と馬体の揺れ。
弾が尽きたか暗さのためか、鉄砲の発射が少ないのは救いだ。
元の峠を指し、夜道を駆ける。待ち伏せされていたら、との懸念が頭をかすめるが、不案内の土地、それでも一気に通り抜けるより他にない。
ひときわ大きな火の手が、左手に見えた。関柴舘が燃えているのだ。
(茂助は、備中は――如何なった)
分断されてしまった味方の、行方はしれない。
「後ろにかまうな。ただただ駆けよ!」
郎等を先にたて、自身は率いる集団の殿についた。猪首に身をかがめ、錣を深く、歩兵には盾を背負わせる。追いくる矢玉の勢いをそらすには、ひたすらに走ることだ。
駆けながら左馬助は、追っ手が減っているのに気づいていた。追い払えばそれでよいのか、裏切者を討つが先なのか、いづれかは知らぬがありがたい。
山にとりつき、月のない沢沿いの道を滑落せぬよう、みな徒歩になった。峠にたどり着こうと、休みなく進む。野伏への警戒は必要だが、追っ手の姿はなく、時折振り返って見下ろすと、関柴の集落が赤くくすぶり続けていた。
峠で足を止め、主従は寄り集まって互いを確認した。
「どの程度討たれた」
「小者がかなり――、侍は此処に居るは七騎でございます」
沈鬱な声が応える。
茂助を含む三騎がまだ戻っていない。討たれたものか、山に迷うたか。
うなづいて目を伏せたあと、ふと思い出して左馬助は顔を上げた。
「嘉兵衛、いるか」
これに、と畏まった嘉兵衛の姿に、なぜかほっと息をついた。
「左馬助のこの不首尾、お屋形さまに一刻も早うお知らせせねばならぬ。檜原峠まで道無き尾根だが、駆けられるか」
はい、と短く答えた嘉兵衛の声が、怒りか悔しさか微かに震えている。
嘉兵衛を発たせたあと、休息を命じて、左馬助は峠に立った。眠る気分にはなれなかった。
茂助が戻って来たのは、明け方であった。馬を失い、徒歩姿である。
左馬助の前に膝をついた茂助は、松本備中の討死を語った。姥堂川の河原まで逃げたが、そこで討たれたという。まだ戻らぬ二騎は知らぬが、後に自分の後に続いている者はいない、とも。
「これを」
と茂助は小さな袋を差し出した。布の底には血がにじんでいる。
「なんだ」
「平田の耳でござる」
紐をほどくと確かに左の耳が手のひらの上に転がり出た。
「何やら火事場でほうけておったので、鎗づけいたした」
そういえば。
左馬助は思い出した。きゃつの元の在所は関柴と聞いたやもしれぬ。
「この後に及んでの逆心、捨て置かれぬゆえ、首討って御前にと思いまいたが、こちらも追われる身なれば、耳にて御免候え」
改まった口調とは対照的に、顔は例の如くからりと笑う、――いや、笑おうとして――。
左馬助が茂助の肩に手を置くと、その肩がぴくりと震えた。
「――よう、戻った」
そう声をかけたとたん、茂助の目から涙があふれ出た。
「…………口惜しう、ございます」
流れる汗も涙も構わずに左馬助を見たまま、茂助がきっぱりと云った。
ああ、おれは、敗けたのだ。負け戦だ。左馬助は瞑目した。
「この雪辱はいつか必ず」
茂助が言に大きく、応、とうなずいて、左馬助は立ち上がった。
出発前に左馬助はもう一度峠に立った。
朝日の中に見下ろす会津の盆地、左手に見える磐梯の秀峰。
いつか、必ず。
心中にそう刻んで、馬にうちまたがる。
行きに渡った猿倉沢は、今もどうどうと水しぶきをあげていた。

磐梯山からのぼる朝日

挿絵:「萩原」ハギヲさんから頂戴しました!

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