わたりそめにし


元服を迎えるということは、もっと晴れがましく祝いがましいものだと乙松丸は思っていた。この春に十四の歳を迎えて、今年こそはと気負っていたのだ。
ところがどうだろう。
母は泥に汚れた守り刀を前に泣いている。
父はそんな母を気にする風でもなく、
「忌が明けたら元服の儀を行う。亘理の嫡として励め」
がらがらとしたいつもの、恐ろしい声で乙松にそう言った。
用は済んだとばかりに父が立ち上がって、部屋の戸を開けた。
暖かい、なのにどこか冷える春の強い風が、庭の桃の枝を揺らした。散った花びらが部屋に舞いこんで、乙松の膝先にはらりと落ちた。
討死は、あることだ。
そう、あることだ、と乙松は自分に言い聞かせる。だが、足音荒く立ち去った父の不機嫌。言葉もなく泣き伏す母の嘆き。
乙松は唇を噛んだ。
討死した兄の代わりに元服だ。
父――伊達稙宗は大勢の子を近隣諸大名と縁組して南奥に勢威を拡大した。娘の嫁ぎ先に相馬・芦名・田村・二階堂。そして息子の養子入り先に、大崎・葛西。乙松の兄の彦四郎綱宗も外祖父・亘理宗隆の養子となっており、亘理家を継ぐはずだった。
弟に生まれた乙松は、綱宗のようにはっきりと決まった身の処し方があるわけではなかったが、伊達の血縁と勢威の元、南奥は安泰、乙松もどこかの家を継いで伊達家のために働くのだと。そう思っていた。
今は、伊達家自身が二つに割れて争っている。
嫡子であった長兄の晴宗が、去年の夏、父稙宗に反旗を翻したからだ。阿武隈川をはさんで、東の梁川に稙宗、西の桑折西山に、晴宗。
綱宗は晴宗の軍と戦って死んだので、その首はきっと西山にあるのだろう。
晴宗は首を実検したろうか。弟を少しはあわれに思ってくれただろうか。綱宗はまだ十八で、これが初陣だった。
父から少し下がって控えていた腹違いの兄の五郎実元が、涙を拭いた母に一礼して、立ち上がった。
綱宗の守り刀を届けてくれたのはこの兄だ。実元は、彦四郎兄より一つ年若い。脇腹の生まれだが母を早くに亡くして、稙宗正室の芦名氏の館で養育されていたのが、歳の近い彦四郎と仲が良く、よく乙松たちの館へ顔を出していた。
この乱の初めから戦に参加しているので、実元の初陣は彦四郎綱宗より早い。今は既に一軍の将として駆け回っている。
「兄上」
乙松が呼ぶと実元が振り返った。
「なんだ」
汗と血の臭いを漂わせた実元の鎧直垂は泥に汚れ、綱宗が死んだ戦の激しさを物語っていた。
「あの、彦四郎兄の守り刀を、ありがとうございました」
「礼を言うのはこちらだ」
実元は頭を下げた乙松の横にしゃがんで、乙松の頭をぐしゃりと撫でた。
「亘理どのの奮戦で懸田を保つことができた。懸田は我らの喉元だ」
相馬・亘理・芦名・田村の諸大名が稙宗に協力して軍を出している。懸田は相馬への街道の抑え、かれらが集結するのに適した要地だ。
実元が膝をかえて母の方を向いた。
「御方様。お父上――亘理殿が彦四郎のあとに乙松を入れてくださること。私からも御礼申し上げます。お屋形様や私が今在るのは亘理殿始め皆様方のご尽力のおかげです」
四方の大名が稙宗に味方する中で、晴宗が折れないのは、桑折・片倉・茂庭といった譜代の家来たちをしっかりとおさえているからだ。
逆にいえば、稙宗を支えているのは、周辺の諸大名ということになる。乙松が祖父・亘理宗隆の嗣子となることは、亘理は引き続き稙宗を支持するという意思表示でもあった。
「……彦四郎は、お屋形様とあなた様のために、戦って死にました」
目を伏せたままの母から、か細い声が聞こえて、実元が眉を寄せた。
「母上」
乙松はあわててたしなめたが、母の声は続いた。
「あなた様がいなければこの戦は――」
実元が歯を噛む音がした。左手が脇差を握りこみ、親指が鯉口へ動く。
晴宗の叛の端緒は、越後上杉家に養子にゆく五郎実元に、精兵500騎が付けられたことだった。それでは、伊達は抜け殻になる、と晴宗が反対したのだ。それで実元は越後にゆけぬまま、父とともに晴宗と戦ってきた。
乙松は色を失って、実元の腰に飛びついた。
「のけ、乙松」
「母の無礼は幾重にもお詫び申し上げます。だから、兄上」
実元が乙松を一瞥して吼えた。実元の勝色の直垂が揺れたかと思うと、頬をしたたかに張り飛ばされて、乙松は床に叩きつけられた。
悲鳴が聞こえた。
乙松、乙松、と揺り起こされて我にかえると、自分にすがりついた母と目があった。
――よかった、生きてる
そういえば、彦四郎兄が死んでから、母と目が合うのは初めてだ、と乙松は気づいた。張られた頬と打った半身が熱く、母の冷やりとした手が心地よかった。
乙松はのろのろと半身を起こした。
実元が顔を歪めて、乙松と母を上から睨みつけていた。
「母上」
と、乙松は母の肩を抱いた。
「父上の意向で養子にゆくのは、私も五郎兄上も、そして彦四郎兄も同じです」
実元を恨むのは筋違いだと、乙松は思う。母もわかってはいるだろうが、他に恨みのぶつけ場所がないからだ。
先ほどの母の悲鳴を聞きつけて、縁や庭に集まってきた小物たちを、いまいましそうに見やると、実元はもう一度吼えるような声をあげて部屋から去った。

 

 

×     ×

 

 

亘理宗隆が、彦四郎綱宗の百ケ日法要に乙松を嫡子として参列させたいと申し入れてきたので、それならば大人になっていった方がよかろうと、乙松の元服は予定よりも少しばかり早く行うことになった。
「宗」は伊達家の通字で、諱の下の字に「宗」を使うのは、原則として伊達家の男だけだ。昔に分かれた分家や、譜代で重きをなす家も「宗」の字を使うが、諱の上の字に使う。乙松の兄弟でも、母親の身分の低い右兵衛宗澄や左衛門宗清は「宗」の字が上だ。
亘理宗隆は独立した国人領主だが、伊達家の馬打ちとして軍事的指揮下に入った際に「宗」の字を受けた。
だから彦四郎綱宗が元服した時には、皆が驚いた。当主稙宗の子息とはいえ、亘理に養子にゆく者が「宗」の字を下に用いたからだ。
この時から、亘理家は伊達家親族衆の上座――稙宗の娘婿・懸田俊宗に次ぐ席を与えられるようになった。
実元の名が、全く伊達家の男らしくないのは、上杉(あちら)の偏諱を受けたからだ。
これは大崎や葛西へ行った兄たちも同じで、大名の家を継ぐのだから当然のことだ。
実元が大森へ出立すると聞いて、乙松は実元に会いに行った。
先日のことがあったので足が重かったが、会わずにおくのも後悔すると思った。自分が亘理へゆくと、ひょっとしたら二度と会うことはないかもしれない。
実元が大森へ行くのは、八丁目の堀越能登が稙宗に味方したからだ。長井の衆の多くは晴宗方だから、大森を抑えれば大きな牽制になる。
「兄上、乙松です」
しとしとと雨の降る音を聞きながら、おそるおそる実元の部屋の戸を開けると、実元は自分の道具を改めているところだった。
華やかな紐で縅されて、使いこまれてはいるがよく手入れされた具足。鞘に竹雀が蒔絵された長光の刀に、粟田口の太刀。広蓋に入った陣幕にも竹雀が見える。
旗も紋も、実元は上杉から受けた勝色の旗と「竹に雀」の紋を使っている。
越後へ行ってから使ってはどうか、という者もいたが、実元は頑として聞き入れずに使い続けていた。
初陣の前に、彦四郎綱宗もこんな風に道具を広げて、嬉しげに数え上げていたのを、乙松は思い出した。
「なんだ」
実元は淡々とひとつひとつを改めてては、櫃にしまいこませてゆく。
「私の元服式には、おいでいただけぬと伺いましたので、ご挨拶を」
実元の出立は三日後の吉日の予定だ。
「ああ、元服して亘理へ行くのだったな」
「はい。兄上には長きに渡り、お世話になり、まことにありがとうございました」
礼を取ると、実元は手を止めて乙松の方を向いた。
「亘理へ参りましても一族の者として、父上や兄上のように働く所存です」
死んだ彦四郎兄の分まで働きたい。乙松はそう決して声に力を入れた。
「いい心がけだが、乙松」
彦四郎のような死に方はするなよ、と実元が言った。
もちろんです、死ぬものですか、と乙松は重ねた。が、続く実元の言は意外なものだった。
「伊達のために働こうなどと夢思うな」
一瞬、言葉を失って乙松は、実元をしげしげと見つめた。実元の表情は特にそれまでと変わることもなく、かえって先の言葉は本心なのだと感じられた。
「でも、私は『宗』の字をいただくはずです」
乙松には、なぜ実元がそのように言うのかわからない。
「伊達のため――。伊達のためとは如何いうことだ」
と実元が言った。わずかないらだちが、声音に混ざっていた。
「西山の次郎兄上とて、伊達のために立ったのだろうさ。亘理を継ぐお前が働くのは亘理のためだ。順序を違えるな」
――亘理のため、
乙松は復唱した。
「お言葉、肝に銘じます。――それでは兄上は」
乙松は唾をのみこんだ。訊ねてよいのか、迷いがある。伊達に居ながら「宗」の字を持たないこの人は。
「兄上はどうなされます」
思い切って口に出すと
「おれか」
実元は傍らの竹雀を見やって呟いた。
「おれはいずれ越後にゆくさ」
自らに言い聞かせるように力をこめた語尾が少し震えていた。

実元の出立の日も雨になった。
出立の儀式には列席を許されなかった乙松は、実元を見送ろうと梁川の城の土塁に登った。南へ向かう勝色の旗の列が、まだ水面の見える田の間を進んで行くのが、町場の向こうの雨のけぶりの中にぼんやりと見えた。
梅雨が明けて、乙松は元服し、彦五郎元宗と名を変えた。

 

 

×    ×

 

 

梁川から亘理へゆくには、幾つかの道がある。
白石から槻木をまわるか、伊具を経るか。いずれも晴宗の勢力のすぐ近くを通過しなければならない。
そのため、元宗の一行は稙宗に味方している相馬領を通って海道へ出ることになった。
峠を越えて風を受けたとたん、母の輿から、ああ、という声が聞こえた。潮の香りがする、と母が言ったが、元宗にはわからない。
山を下りゆくと、視界とともに野が開けた。明るい、と元宗は目を細めた。痛いほどに日差しが照りつける。
山裾に広がる田畑は少なく、野の向こうにまた山もなく、ただ遠くに黒くきらきらと光る真っ平らな――
海だ、海が見える。宇多湊だ。
と、一行から歓声があがった。
それで元宗は、あれが海というものなのだと知った。黒い海は青空と直に接して、一直線に伸びていた。
海道へ出ると、どこかなまぐさく腹の虫が鳴くような匂いが風の中に漂い、母の言う潮の香りとはこのことかと、元宗は合点した。
相馬中村の松川浦には宇多湊、亘理には鳥の海に逢隈の湊がある。多くの俵物を積んだ舟が湊から湊へ出航するのを見て、元宗はつい、
「あれに乗るのか」
と問うた。
「すぐですから」
陸(おか)をゆきます、と小臣が笑った。外海は波荒く、舟は多くの荷を運ぶためのもので、旅客を運ぶことはあまりない。
「とはいえ、千葉介の昔から、両総から牡鹿遠島までの海は、千葉の民のものです」
またの機会にご案内つかまつりましょう、と言ったのは、案内役の相馬の臣で、元宗は思わず頬を緩めた。
亘理、相馬、そして兄の一人が養子に行った葛西、陸奥の海沿いに並ぶ各氏はみな、鎌倉殿を助けた千葉介常胤を遠祖とする千葉の一族だ。争うこともあるが、その底にある連帯を元宗は感じた。
――伊達はどうだろう。
元宗は振り返って、青灰色の影が重なる阿武隈の山々を見た。たくさんの積乱雲(にゅうどうぐも)が山の向こうに湧き立っていた。
海道を北へ進む道すがら、海は丘の向こうに見え隠れ、ときどき入江が切り込んでは、漁りの舟の姿が見えた。浜の砂は黒みを帯びて輝き、亘理領に入ると、山沿いを通る海道と海は次第に離れ、間には湿地と見えて一面の葦原が広がっていった。
田畑は意外と少なく、海道の辺りまでしか広がらない。山の木々は短く刈られて、湿地の葦原に比べると頼りないが、きっと見晴らしはいいことだろう。実際幾つかの詰城が海道脇の山に見えて、指物がはためいているのは、山道(せんどう)に比べれば落ち着いているとはいえ、戦に臨んだ体制を続けているのだと察せられた。
亘理小堤城は海道の西、街場を抜けて小高い丘を上った台地の上で、小振りながらも梁川とよく似た整った土塁の間に門が見えた。
大手に並んだ出迎えの臣の間を進むと、
「彦五郎さま、馬をお降りください」
供に声をかけられた。
門のところで当主の亘理宗隆が自ら出迎えに立っていて、慌てて元宗は馬から降りた。

城の奥、山に向かって緩やかな坂を上がったところに持仏堂があった。案内された元宗は驚き、母は涙を浮かべて手を合わせた。
彦四郎綱宗の木像が厨子の中に祀られていた。丁寧に彩色されたそれは、まるで生きているかのようで、華やかな若武者の姿をそのままに写していた。
「彦四郎には気の毒をした」
宗隆が灯りを供えて言った。
梁川で元服してそのままに懸田で亘理勢として戦った綱宗は、亘理に入ることなく、海を見ることもなかった。
「せめて、だ」
宗隆が開け放たれた持仏堂の扉の外を見やった。元宗が目を向けると、宗隆の視線の
先に海があった。

堂の縁に出て遠望すると、逢隈の湊が見えた。城下の町から伸びる道は二本、一つは湿地を貫いて湊へ伸び、もう一つはこれまで通ってきた海道で、山沿いに阿武隈川に向かう。
「亘理の礎は海と道だ」
と宗隆が言った。
山道で育った元宗には、亘理の田畑は少なく頼りなげに見える。水が悪いのだと宗隆は言った。
山沿いは水に乏しく、伊具との境から用水を引いてどうにか田に引いている。海への湿地は塩を含んで耕作に適さない。
「だが」
と宗隆は湊を指した。
「あそこで載せ降ろす俵物があるだろう」
俵物の中身は海の恵、黒い砂浜は鉄を産する。多賀の国府(こう)へ向かう者、名取の熊野社へ参詣する者、みな亘理で足を止めて阿武隈の大河を渡る。鉄や俵物も河を渡り海を渡って、塩竈の津へ、宇多の湊へ、または阿武隈を上って伊具の丸森へと運ばれる。

目を通しておくように、と言われて渡された元服の祝賀贈答の目録をめくってゆくと、亘理家中の他、伊達の家中や相馬や留守・国分・黒川など近隣の大名の名が並んでいた。その中に、伊達五郎、と実元の名もあって、元宗はなぜだか安心した。
牒をめくるうちに元宗は絶句した。晴宗とその腹心、中野宗時の名があった。
綱宗を討ったのはかれらの軍ではないか。なのに、弟の元宗の元服に祝いをよこし、義父の宗隆もそれを受けたというのか。
どうにもこらえきれずに、元宗は宗隆に訴えた。
だが宗隆は、
「何かおかしいか」
と元宗を見据えた。
「それはそれ、これはこれだ」
知行あてがい書も、梁川・西山両方からくるぞ、と宗隆は笑った。
あてがわれる知行所の場所は、相手方の者が今知行しているところだから、
――勝てばここをやる
ということ。昨日の味方が今日もまたそうとは限らない。逆もまたそうだ。私情にかまけて、全体を見失ってはならない。
そんなことを元宗に語ってから宗隆は、
「――だがやりきれなくはあるな」
と苦笑した。
「目録(あそこ)に並ぶものの諱(な)を考えてもみろ、宗、宗、宗……。自分の諱、そなたたちの諱。つくづくこの戦が伊達の洞のものと思い知らされる」
そこで言葉を切って宗隆は息をついだ。少なくなった髪が、白髪になってきていることに元宗は気づいた。
「皮肉なことにな、彦四郎(あれ)が討ち死にして、わしは梁川から質を取り返すことができたんだ」
宗隆が質、と言ったのは母と乙松――元宗のことだ。
「元宗、」
と宗隆は諱を呼んだ
「『宗』は伊達の宗だ。だが「元」はわしがこの字でと頼んだ」
千葉氏の一族である亘理の家の通字は「胤」が使われてきたが、ここ何代か「元」が使われたことがあるのだという。稙宗がそれを知った上で名付けたかはわからないが、ともあれ乙松の名は定まった。
「――それで、『元宗』なのですか」
元服し名を頂いて大人になることは、自分が生きる場を定義されることだ。
伊達の「宗」と亘理の「元」。
元宗は瞼の裏に思い描いた。
山の向こうに遥か刈田から吾妻に至る峰々を望み、阿武隈の氾濫原に拓かれてゆく田畑とそれを眼下に臨む数々の館。生まれ育った伊達の地は、穏やかで肥沃な場所だった。
まばゆくきらめく浜と海。季節折々の魚貝、塩、鉄が取れ、舟が着き、市が立つ湊。阿武隈を渡る舟を待つ、宿を抱えた街と道。まだ来て間もないが、亘理の地は不思議なほどに明るい。
――お前が働くのは、亘理のためだ
実元の言葉を、元宗は思い起こした。
ああ、そうか。
実元のいらだちを、元宗は理解した。名を得て定まるはずの場を、あの人は喪ったのだ。
「義父上――」
元宗は宗隆に深々と一礼した。
「「元」の一字、ありがたく拝領つかまつりました」
宗隆が嬉しげに笑って、小姓を呼び、一番良い酒を持ってくるように言いつけた。
ひやりとした酒を、元宗は宗隆と酌み交わした。宗隆が上機嫌に謡うのを聞きながら、心良く元宗は酔った。この時の酒の味を、生涯元宗は忘れなかった。

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