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絶影

山の間に海が切れこみ、遠目にはまるで島が浮かんでいるように見える。ゆえに、牡鹿の半島を遠島と呼ぶ。
その遠島のかかりに大瓜はある。西へゆけば湿地と砂浜が広がり、松島を越えて南へ下り、浜街道を宮城・亘理。
髻を切ったざんばら髪でその浜街道をゆく男がいる。馬上で太刀袋に入れた木太刀を背に負っているが、その木太刀の長さが尋常でない。一間半。地につかんばかり。
男は、大瓜鷲ノ巣の城主・原田左馬助宗時の臣、名を堀茂助という。
風が砂を巻き上げ、茂助は目頭をおさえた。
主の原田左馬助は高麗御陣(文禄の役)で病を得て、異国の地で没した。遺体はかの地に埋葬し、茂助は一握りの遺髪を持ち帰った。大瓜ではその遺髪で葬儀が行われた。
思えば主は、この地の冬しかご存じなかったのだ。
伊達政宗の宿老であった原田左馬助は、政宗の岩出山転封に伴って、置賜の原田城から牡鹿の大瓜に移ってきた。
灰青の空に銀色に輝く海。献上された鱈に、これが干鱈の元の魚か、と興味深げに眺める。山国に育ったのだから、海そのものが珍しく、左馬助はしきりに首をひねっていた。
「年が明ければ唐入りということは、この海を渡るということか」
とても想像がつかない、という口とは裏腹に、顔を輝かせてつぶやいていたのを、茂助はよく覚えている。
十一月に大瓜に入り、翌年一月には唐入りに出立したから、居たのはわずか三ヶ月に満たない。

異装の茂助に、道行く人が振り返る。
京の地でこの木太刀を佩いていたのは、主の左馬助である。
豹革の馬鎧、金熨斗形の大小、拵えの中ほどを金鎖で釣り上げて佩いたこの木太刀。京雀の語り草となった華やかな美丈夫であった。そのことも鄙の百姓はしるよしもあるまい。浜街道から阿武隈をわたり、坂元の城に茂助は向かった。
木太刀を背からおろし、馬を降りる。手に持つと薙刀と紛う長さになる。門で取次ぎを乞うと、意外や城主その人が駆け下りてきて、慌てて礼をとった茂助のざんばら髪と木太刀を声もなく見た。
ああ、という嘆息が茂助の頭上に降った。

坂元の城主・後藤孫兵衛信康と主の原田左馬助は刎頚の友であった。寸暇を惜しんで訪ねあい、茂助も主の供や使いで何度も会ったことがある。
招き入れられたのは簡素な六畳ばかりの書院であった。
――お久しうござります、と茂助が平伏すると、久しいな、と孫兵衛も静かに云った。
いつもはここで、左馬助が陽気にしゃべりだすのだ。政宗のこと、戦のこと、上方衆のこと。挨拶さえすめば心おきなく飲み、食い、話す。あまりに主ばかり話すので茂助は困って笑い、孫兵衛はといえば塩と酒をなめながら、黙ってそれを聞いている。
前に訪れたときもやはりそうだったものだが、今日はただ、鳥のさえずりが聞こえるばかり。
「本日参じましたのは」
茂助は膝行して木太刀を捧げた。
「主の形見でございます」
孫兵衛は黙ってそれを受け取り、紐をほどいて太刀を取り出した。木太刀といえども拵えに梨地の漆を施した立派なものだ。
「誠一封の書は数行寄せては泣き候と申し候事、今思い合わせ候。申したき事は山雲海月よりあまりあり候へ共、文はかなわぬ義ども多く候間、早々、我がふみながらなつかしく候」
低くつぶやく孫兵衛の声が聞こえた。茂助の視線に気づいたのか
「最後にこちらに来た文だ」
と孫兵衛がつけたし、
「本当にあやつはもういないのだな」
と目を伏せた。
軽々と片手で持った木太刀を、そっと膝の前に置いた孫兵衛が
「で、あやつ本当にこの大太刀を佩いたのか」
と、茂助に尋ねたので、――ああそうか、このお方は奥州を発ってからの主のことをご存じないのだと思いいたった。
「それは、もう見事な男だてでござりました」
聚楽を出立するときの左馬助の晴れ姿を語って思い切りの笑顔を茂助が作ると、ようやく孫兵衛の表情がやわらいだ。
「茂助よ、一局打ちながら左馬のことを聞かせてくれ」
小姓が碁盤と酒肴を運び、孫兵衛と茂助の間に置いた。
「では畏れ多きことながら、主に代わりまして」
茂助が黒を、孫兵衛が白を持つ。
「左馬は弱かったな」
孫兵衛が笑った。私も弱うございます、と茂助も笑った。
「では同じように石を置くか」
黒石が八子、盤面に配置される。
確かに左馬助は囲碁が苦手で将棋の方を好んでいた。盤面の隅々に目を配るのは同じことながら、
「だって玉をとればよいのだろう」
と云う。
「そしてこちらは王が残ればよいのだ」
勝ち負けの単純さが良いのだと。そのくせ孫兵衛のところにくると下手な囲碁ばかり打っていた。傾いた格好を好み、思ったことをすぐに言葉に出し、行動に移す。化け物が出ると聞けば股立ちとって退治に赴き、なにか気に障ることがあればすぐに口論をふっかける。
この木太刀を作ったときも、左馬助は得意げに孫兵衛に話にきた。
「ただの飾りになんの意味がある」
とあきれて孫兵衛が云うと
「数寄のわからぬやつよな」
お屋形(政宗)さまは喜んでくださったのに、と口をとがらせた。
そしてこのような左馬助の稚気を孫兵衛は愛したのだ。
それは孫兵衛一人だけではなく、左馬助を知る人に共通のものであったらしい。
宿老、という立場もさることながら、政宗はどこへ行くにも左馬助を伴っていたし、左馬助の方も常に政宗の傍らにいた。
「名護屋や高麗では歴々の大名衆に、お屋形さまのお小姓と思われまして、供の我らは身の置きどころに難儀いたしました」
茂助は黒石を小目に置く。
「浅野弾正様など、そのお小姓が宿老として文のやりとりをしていた原田左馬助と聞いて目を白黒なさったとか」
聞きながら孫兵衛は愉快そうであった。
「俺のところでもお屋形さまの話ばかりしていたよ」
盤上に石の模様が広がり、入れ替わってゆく。
手談をしながら唐入りの話は続いた。名護屋での水争い、釜山で加藤清正と直談した僥倖。

「病を得ましたのは、晋州城を下したあとでございます」
高麗では慣れぬ水と不十分な兵站から倒れるものが多かった。雑兵が戦病死することなど珍しくもないが、究竟なひとかどの将までもが倒れてゆく。
昨年は太閤秀吉の養子・岐阜宰相秀勝までも亡くなったそうな、とささやいていたところ、伊達家中では左馬助の従兄の桑折摂津政長が闘病の日々を送っていた。
その日の左馬助は起きたときから眉を寄せ、気だるそうであった。
顔色が悪いので茂助が気遣うと、頭痛がする、と左馬助は云った。
夕べお屋形さまのところから戻ったのが遅かったので、寝不足かな、と苦笑していた。
談合に行く、と陣屋を出る足取りがいつもの精彩を欠いていたのだが、はたして宵になって帰ってくるときには、遠藤文七郎と片倉小十郎の肩を借りて戻ってきたのだった。
あわてて駆け寄り、主の身体を抱きかかえると火のように熱く、身体の節々が腫れている。
「――茂助」
小十郎の表情が険しい。
「お屋形さまのご命令だ。原田家中一同、左馬助とともに便船を得て、名護屋へ戻れ」
腕の中で左馬助が身じろいだ。荒い息を吐きながら振り返る。
「……その儀は…お断り、申し…上げた」
きっと文七郎と小十郎をにらんでそう云うが、気力をふりしぼっているのが茂助の目にもわかる。茂助の胸を借りて立っているのがやっとの状態である。
「左馬どの。お屋形さまがあれほど仰せられたではないか。此処にいては治るものも治らぬ。高麗の病なのだから、高麗を離れれば治るであろう……」
文七郎の声はむしろ悲痛であった。談合の席から左馬助は立ち上がることができなかったのだ。左馬、左馬、と政宗の呼ぶ声に一時は答えることもできず、戸板を用意させているところに、ようやくよろめきながら手をついて腰を上げた。
「茂助。病人の戯言、聞くに及ばず。疾く帰れ」
小十郎が重ねて云った。
「桑折さまは、もはや戻れぬ。そうなる前に、疾く」
その言葉に桑折政長の容態が重篤なことが分かった。
茂助は身震いした。此の地で腫気を患えば、十人に九人は帰らぬ人となる。左馬助の不調は感冒などではなく、政長と同じ腫気だ。
「――帰朝の儀、しかと承りました」
茂助は左馬助をしっかと抱いて大声で応えた。左馬助の身体から力が抜けた。復命に戻る二人を見送りながら、茂助は泣いた。泣いて笑った。
急ごしらえの輿に左馬助を乗せ、一行は釜山へ向かった。左馬助の熱は下がらず、身体中に発疹が出た。
左馬助が目を覚ました、と聞いて茂助は馬を降りて輿に寄り添った。
「ご気分は」
左馬助は大きく肩で息をしていた。
「……どうせ死ぬるなら、お屋形さまのお側でと思うたが」
かすれた声で自嘲気味に笑う。
「何を仰せです。ぜひとも帰朝して、また働いていただかねば、後藤さまに嗤われますぞ」
からりと笑いとばしてそう云えば、左馬助はかすかにうなづいた。
「ああ…そうか。そうだな。孫兵衛に嗤わるるか」
はい、当分はいじめられましょう、と軽口を云って、茂助は孫兵衛から届いた文を持ってこさせた。これまでに何度となく、左馬助が読み返していた文だ。手に渡すと、読んでくれ、と主に請われた。
再び文を手にとって、輿の横で読み上げる。左馬助は目をつぶってじっとそれを聞いていた。いや聞いているのか、また眠りに落ちたのか、左馬助の荒い息ざしからはわからない。ただ、釜山を目指す道すがら、こうして孫兵衛や政宗の文を読むのが習慣になった。
病人を抱えての道行は、通常の倍かかったが、釜山浦に着く頃には左馬助の発疹は消えかかっていた。ただ熱はあいもかわらず、ひどく消耗していたので、船に乗ることが危ぶまれた。風がなければ海を渡れず、風が強ければ海が荒れる。思い悩んで日を過ごすうちに、政宗が出した飛脚に追いつかれ、茂助は桑折政長の死を知った。
釜山浦は絶影島の宿で今日何度目かの繦をかえさせた左馬助は、紙と筆がほしい、と云った。
背に鎧櫃と布を置いて半身を起こしてもたせかけ、茂助が磨った墨で何やら書こうとする。それは親しい人への文のようであったが、ほんの数文字書きつけては筆を投げだし、目をつぶる。
「ゆるりと書くゆえ、……其処に、置いておいてくれ」
承った茂助は、左馬助の呼吸がひどく浅くなっていることに気づいていた。
二日後、容態が急変した。左馬助の書きつけは、読めるもの読めないもの数枚を小姓がまとめていた。

孫兵衛が石を置く手を宙で止めた。盤上は孫兵衛の白が厚みをもった模様を作り、いつもと変わらぬ強さに見えた。少し逡巡したかのように孫兵衛の手が迷い、石を碁笥に戻すと、木太刀をとって袋を改める。
袋の隠しから一枚の紙片が出てきた。
「……茂助」
紙片を読んだ孫兵衛が顔をあげて茂助を見た。
「ああ、もうわかってしまいましたか」
茂助は大仰に頭をかいた。
紙片を隠しに入れたのは茂助だ。思えば、少々孫兵衛に妬いていたのかもしれぬ。少しく意地の悪いことをしてみたかったのだ。主の意に背かぬ範囲で。
紙片には「後藤信康に寄す」と題された一編の詩が書かれていた。弱々しく崩れて行が歪み、なんども墨をついだ字。左馬助が最期に書きつけた数枚のうち、最後まで読めるものはこの一枚だけだった。

老無恙也我猶全
雁使飛来消息傳
枕路兼通西海上
夢魂定可到君邊

――夢魂、定めて君がほとりにいたるべし――
――魂魄は夢のうちに孫兵衛の傍にゆくのだ――

そう主は書いていた。
長い、長い間、孫兵衛は紙片を見つめていた。握りしめた紙の端が皺をつくり泣き顔のように見えた。
「左馬よ、……」
孫兵衛がぽそりと友の名をつぶやき、悔しさと愛しさと哀しさが混ざったような顔でぎゅっと目をつぶって口を噛んだ。
「……おれは、和歌の一つも詠んでやれぬ」
政宗が左馬助の死を悼んで南無阿弥陀部の名号を組みこんだ和歌をものしたことを聞いているのだろう。
「どうぞ、主の分までご奉公を」
茂助は床に手をついて深々と頭を下げ、そして投了を告げた。

異装の茂助が浜街道を上る。
左馬助の追善供養に、高野山に上るのだ。
坂元を発つとき孫兵衛が茂助に路銀を出して、帰りの分だ、と云った。
「後藤さまにはかないませぬ」
しばし、さしだされた路銀を見つめた茂助は、笑って懐にいれた。茂助はこのまま遁世するつもりだったのだ。
「原田の家は弁慶どの(左馬助の従弟)が跡目になるのだろう。そちがおらずしてどうするのだ」
「お志、かたじけなく頂戴つかまつります」
待っているぞ、と孫兵衛が云った。
馬上から振り返ると、そのたびに孫兵衛の長身が見え、そしてやがて見えなくなった。

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