木村宇右衛門覚書26

※読みやすいよう、漢字や仮名を書き改めています。

一、ある時のお咄には、仙道本宮一戦の時、何としたることにやありけん、味方ことごとく敗軍して、茂庭佐月などを始め、歴々の者ども討死、先手町場へつぼみ入りついて出候えば追いこまれ追いこまれ木戸を三度まで取られ、東の手はことのほか敗軍のよし、告げ来るによって、西の手を早々あけさせ、旗本を詰め小旗を差し替え、手まわり4-50召し連れ乗り入れ見れば、敵ことのほか気負いかかって川の端ににつき、町頭へ込み入り候間、成実の手を横筋違いに、町頭より西南にあたる地蔵堂の山先へ繰り出し、先衆には旗本を入れ替え、町後ろの田道をすくに人取橋をしきり、跡先よりおっとり包み
「討っとれ」
と下知しければ、成実詰め合い、川端にて一戦始まる。こなたは人取橋へ敵を追いさげ、討つつ討たれつ入り乱れたる大合戦なり。川上川下にて敵味方討たれ、流るる血は紅のごとし。人取橋の坂幾度となく乗り上げ乗り降ろしに、馬白汗になり、息荒く足元しどろなり候間、川へ乗り入れ、口を洗わせ、水をかうところに、右脇に立ちたる口取り・九八といいて、下郎に珍しき目の利いたる心太く真なる奴、乳の下を二つ玉ににて射られ、持ちたる柄杓を、左脇に立ちたる相手の者に差し出し、
「これ持て」
と言いてよろめくを、馬の上より髻を捉え、
「手負いたるか、九八。ここは川なり。こなたへもたれかかりて川より上がれ。敵は川より向かいへ追い崩し、味方続きたるぞ」
と言葉をかけ候えば、両手を合わせ
「深手にてござ候。捨てさせ給うて、ここに時刻移させ給うな」
と言いながら川へ伏す。不憫なる次第なり。しかるところへ成実徒者2-30人、馬の前後しどろに立て、一文字川へ乗りこみ、
「御運尽き給いたるか。大将の馬の立てどころ」
と言いながら、我ら乗りたる馬の総胴を、団扇の柄にて強かに打って、川より追い上ぐる。一方を頼む人にはあっぱれあるまじき大将かな、と心の内に頼もしく思い、
「馬を助けんため、誤って候」
と言いければ、
「物な仰せられそ。矢鉄砲は篠を束ねて降るごとく。流れ矢に合い給うな。仕掛けたる軍場を醒まして参り候」
とて両方へ馬を乗り別れ、人取橋向いへ敵を追い散らし、勝鬨を取り行いたるとのたまう。その時召されたる御鎧、後に見れば、中立挙の御臑当に玉傷1ヵ所、鞍の前輪をかすり御腹に1ヵ所、御方に玉そえりたる跡1か所、御甲の左の脇小筋2間擦り矢に当り、後まで札よき御武具なりとて、御秘蔵ならせ候。古雪した彦七が鍛えたるなり。御他界以後御廟所に入れるなり。

(小井川百合子著「伊達政宗言行録 木村宇右衛門覚書」 新人物往来社 1997 より作成)

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