亘理訴状による伊達実元の功績

 

天和2年(1682)、亘理伊達家当主が幼くして急死。藩は末期養子をたて、知行半減という方針だった。それに家中は反発、別の養子を希望し、しかも領地は全部安堵してくれと訴えでた。
実元・成実の忠功を列記して、

「これだけの功があるんだから減らさないで(ToT)。 跡目は中村伊豆がいいな」

と、いうわけで「亘理訴状(亘理町史翻刻掲載)」から実元の功績部分を以下に抜粋。


先祖実元儀、上杉貞実公御苗跡に相済み御約諾なり、竹に雀幕の紋・宇佐美長光御腰の物、「実」の一字、そのほかいろいろ指し遣わされ、すでに越後へ取り移り申されるべく、日限まで相定め候所に、横逆の者これあり、稙宗様晴宗様御父子の御間むつかしく罷りなり候につき、御和談の御取持ち申されるべく、越後へ参られず、御和睦相調い、末世御家中に罷りなられ候は忠孝の儀と存じ奉り候。

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