伊達成実、通称は藤五郎、後、安房と称す。伊達政宗に仕えて上将の任にあり、人となり英毅、智仁勇三徳を兼備せり。伊達氏中興の偉業は、蓋し成実の勇を三軍に振い、謀を帷幕に運らしたるの余に出づるものと謂うべし。人取橋の役は実に伊達氏安危存亡の繋るところ、而して政宗の軍殆ど危うし。是に於いて成実手兵を率い、縦横奮戦、終に敗を転じて勝となす。郡山の役、仙道七将鋭を悉して政宗に当る。成実、片倉景綱と其の衛に当り、以て終局の勝を制したるが如き其の勇の顕著なるものなり。また一兵を用いずして、敵の驍将・猪苗代盛国、大内定綱、片平重綱を降致したるは、以て其の智を見るべく、白沢某が不臣の罪を尤めず、却って之を薦めて隊将となし、其の能を発揮せしめたるが如きは仁を施すの尤もなるものなり。後、故ありて出奔するや、徳川家康厚禄を以て招けども従わず、上杉景勝も亦、5万石を以て之を聘す、就かず。政宗百方招諭するに及びて来帰す。すなわち亘理2万3800石を賜い、長く一門の班に列す。正保3年丙戌6月4日歿す。享年79。
Page Top