仙台志料による成実の伝記 伊達成実(巻之二)

※ 原文は漢文ですが、管理人が読み下し文にしています。
※一部字が潰れて読めなかったところは■にしてます。解読できたら改めますのでご勘弁。

天正16年4月、納言公畠山氏を亡ぼす。二本松城を成実に賜う。38000石を領す。6月、佐竹義重、芦名・岩城・石川三氏と兵14000を合わせ、来侵す。納言公、見て兵600騎を福原に陣し、諸将を分置す。成実、謂いて曰く、
「窪田の北に平原有り。以って敵■に当たるべし」
と。子守成実、堅く守りて出ず。敵、計有るを疑い、すなわち退く。成実、池を掘り、塁を築くこと各二重なり。次の日増築して高さ8尺とす。柵を廻し■城郭の如し。敵、望見て、神と為す。塁前に水田有り。会津の士、尾熊因幡、兵300を率い、渠を■道となす。成実、銃の善き者にこれを射たしむ。因幡、創を蒙りて退く。敵、窪田郡山中の間に二砦を築き、援路を絶つ。公、命じて窪田川に砦を設け、これに抗し、諸将にくじを抽して番戌せしむ。片倉景綱・田村宗顕番戌す。景綱これを請いて成実と■す。諸隊相語して曰く、両雄衝き当たり、必ずなすところあらんと。成実曰く
「戦を開くこと得しめずして、援路梗塞し、郡山はなはだ危うし。戦わざるべからざるなり。坐して曠日を視る。また怯ならずや」
景綱、可ならずして曰く
「衆寡匹ならず。軽々しく戦うべからず」
敵将・新国貞通歩騎100余と塁前を過ぐ。成実大いに喜びて曰く、
「機、至れり」
片倉藤左をだして追わしむ。藤左、深入りし、はなはだ危うし。二将出て援くる。二塁軍を挙げ、出て戦う。ついにこれを破る。進んで二柵を抜き、首200余級を獲る。四氏ついに鉾を争うを得ず。和して退くを請う。この日、郡山対陣。
19年9月、納言公磐手山に移封す。角田城を賜い、伊具16村を食む。
文禄2年、朝鮮の役に従い、凱旋す。尋して関白秀次事を起こす。石田三成、公を讒し虐党となす。関白大いに怒る。公、憂懼す。成実、公を■け急上す。親しくその罪無きを弁ず。曰く、
「遅疑は日にわたり、すでに機会を失う。万一不測のことあらば、すなわち臣、諸将士とこの城を守り、西軍を受け、もって死すべし」 
公、これにおいて西上す。事無きを得る。
3年、伏見邸に留守す。
4年、ゆえありて伏見を去る。高野山へ赴く。高森雪斎・石川昭光、桑折点了・蟻坂丹波を遣わし、再三規諭すれども答えず。ついにその所を知らず。後に相州糟谷村に居す。東照公廩米100口を給う。諸氏礼聘すれども応えず。関が原の役、上杉景勝5万石をもってこれを徴す。雪斎・昭光・景綱、人を遣わし、百方理を喩す。始めて帰る。公、これを待ちて、厚く加え、棒100口を給う。
7年10月、亘理城を賜う。元和元年5月、大坂の役において功あり。
14年、北上・阿武隈、洪水す。平地の水深5丈。田圃室廬ことごとくみな漂没す。幕府、白金5000貫を賜う。義山公(忠宗)、成実を入謁させ恩を謝さしむ。時に年71。幕府、殊にこれを待ちて礼してもって、閣老酒食を賜わしむ。軍事を問う旨あり。成実、強記明弁。応対流るるごとし。部曲・行陣・布営より、戦闘・方略・勝敗大数に至る。歴々面に見るごとし。聞く者嘆賞す。歩障を隔て、将軍これを聴く。左右を顧みる。深善にも時服10領、外套2襲を賜う。拝謝して退く。閣老起ちて送る。営門内の乗轎を許す。20年采地を加う。2万石を食む。成実、欲寡く、妻妾を嗇ず。ゆえをもって子無し。納言公九子・宗実を養い、もって嗣とす。

(※宗実以下の略伝を中略)

成実、13歳軍に従う。相馬氏を攻め、おおいに戦う。軍に従い、戦闘すること9年、功、その右に出るもの無し。しかして、石川昭光・高森雪斎の位禄その右にあり。意、おおいに平らかならず。すなわち高野山に遁る。納言公、桑折点了・蟻坂丹波を遣わし、百方解諭す。成実、固執し、可ならず。すなわち羽田右馬を遣わし、角田家■を率い、出羽へ遁れんとす。公、「この謀、豊公に仕え、我と比肩する謂いなり」 岩手山留守屋代勘解由に命じ、角田城を討たしむ。すなわち2000の将兵進攻す。右馬、石川弥平・伊場小二郎・及び遠藤・金沢・内崎・白根沢・萱場・牛坂ら100余人とこれを拒む。みな怯■をもって主公の名を辱めずと謂い、烈しく戦いて屈さず死亡す。留まる者30人、なお戦の城を閉じ、自ら婦女30人を刺し、鎧兜を脱ぎて自殺す。この輩、みな実元・成実二世に、父子兄弟軍忠に励む。家を■し、禄を食む。みな納言公父子感状に加うるものなり。しかして一朝この惨に■う。衆みなこれを冤す。成実、この事を聞き、大いに憤り、小田原下郡に退居す。東照公これを聞き、禄100口を給う。公、東照公にこれを止むを告ぐ。後、年霜を経て、石川・高森・留守・片倉四氏百方解諭す。成実、また憤りやや解け、ついに上杉氏の聘を辞し、復帰す。慶長5年、石川氏に属し、白石・福島に戦う。公、また優待す。亘理郡30,000石を賜う(永慶軍記)。

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