仙台志料 伊達邦成古文書 より抜粋

伊達成実天正11年家跡を受く。性山公(輝宗)家跡を納言公に譲る。13年10月8日。納言公畠山義継を攻む。不戴天の讐を報う。進んで二本松を図す。14年7月、相馬義胤の請を以て、城兵を免ず。成実二本松城を賜い、33村を領す。片倉景綱大森に移り、初めて一城を領す。19年納言公岩出山城において、成実に伊具郡17村柴田郡1村を賜う。角田に城す。豊臣氏、列侯一門に皆大阪に家することを法す。成実家族を率い西上す。
文禄4年成実納言公と隙し、高野山に遁す。年28。青木藤太・志賀弥七・常盤隼人・羽田小吉・杉村九左・岡半兵・岡九市・小形織部従う。浅野弾正臣・進藤彦右に因りて出仕を謀る。弾正これを可とす。慶長3年8月18日、豊臣公薨す。大久保忠隣臣・白畑義右弟・惣兵徳川氏に仕うを謀る。納言公女越後少将に嫁するに会い、事諧わず。忠隣小田原に迎え糟谷郷の一寺に寓す。慶長5年4月、直江兼続、遊佐佐藤右を遣わし、成実を養子に請う。私に小田原を発し、忠隣大いに驚き、闕門せしめ出ず。やむを得ず太田に寓す。石川昭光・片倉景綱、納言旨を奉じ、迎復の使に発す。忠隣、成実を延見し甲冑を贈り、従者常盤隼人に衣袍黄金1枚を贈る。石川義宗太田に至り、角田に迎え入る。7月23日、白石軍営において納言公に見ゆ。歳33。百人口を賜う。7年亘理郡20村を賜う。連年旱損。慶長15年量丈検地を請い、更に新地200貫を賜う。正保2年78歳老を請い、新地に菟裘を営す、未だ成らず。3年6月4日、病卒す。

 

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