天正15年12月10日 伊達政宗書状

安子島所領の儀について、前日申し届き候き、今度以細書に始終ともに承り候。近頃祝着の至りに候。惣別かの地の事も33郷の内に候えども、先判に下し置き候儀、世間にその隠れもなく候。その上、安治(安子島治部)の進退、違乱なく立て置き申し上るは、判の通り争いとかく承り候べきかと存じ、そこもとへ打ち越され候みぎり、深く申さず候き。あわせて守四(守屋四郎右衛門)・片小(片倉小十郎)にて堅々申し含め候つ。何をも入らず大境の儀に候条、付け置かれ候いてしかるべく候や。なにより入魂のご存分、紙上にあらわされ候。不始の儀に候えども、一段満足の至りに候。はたまた去り難き用の所に候条、今月14-5日頃遠藤駿河守此方へ相越されるべく候。そこもとへ相談申すべき事ども候。堅々お越ししかるべく候。待ち入り候。恐々謹言。

極月10日     政宗御判
   五郎殿

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