伊達成実の家臣団
一応、苗字のアイウエオ順。なぜ「一応」かというと、読みに自信がないから。
成実の生存期間中に、活動の記載のある家臣を収録しています。
参考資料:「亘理世臣家譜略記」「政宗記」「郷土わたり81号、57号、46号」「貞山公治家記録」「伊達天正日記」「くらのすけ屋敷」「伊達世臣家譜」 「私本仙台藩士事典」「亘理町史」「仙台藩家臣録」 「白石城主片倉氏と家臣の系譜」「亘理伊達家文書調査研究会成果報告書1 北海道大雄寺所蔵 亘理伊達家中諸家文書目録 附伊達市所蔵「奥州相馬氏野馬追図屏風」」
情報提供:ハルさま とめ@伊達男さま
※1 亘理世臣家譜略記の番号。亘理世臣家譜略記成立時の序列をあらわす。
※2 蕨宍戸家文書(「郷土わたり57号」掲載分)による馬上(馬)・徒行(歩)・不断鉄砲(不鉄)・新地馬上(新馬)・新地御徒行(新歩)・御不断組(不)・宗実公召連候御家中(宗)・岩城御前様召連候御家中(岩)の別。寛永19年の原本を元禄11年に写したものという。
青木大和守
- 天正日記に「二本松(成実)より」の使いとして登場。政宗直臣の可能性もあり。
青木玄蕃允
- 懸田俊宗の臣。沢尻氏は一族。元亀2年実元に属す。天正4年川俣の戦いに功あり。輝宗より感状を賜う。
青木胤綱
- 弾正忠。青木玄蕃允の子。田村家との交渉に活躍。
青木綱広
- 備前。青木胤綱の子。人取橋合戦の際、小浜城留守居を務める。成実出奔時に政宗の直臣となり、200石を受ける。郡代として黒川郡大谷庄成田村に住む。子孫は仙台藩平士。
- 成実出奔時の角田城接収に参加(仙台志料「伊達成実高野に遁る」)
浅沼重次郎
- 大坂夏の陣に従軍(徒行)。
浅沼惣九郎
- 角田時代に死去か。高野山観音院にて、遠藤主計に菩提を弔われる。(市史仙台vol12 収載「高野山観音院過去帳 乙本」)
浅沼勘兵衛
- 最上御陣に従軍(徒行)。
浅間勘平
- 徒行(蕨宍戸家文書)
安瀬藤八郎
- 徒行(蕨宍戸家文書)
安部采女
- 亘理世臣家譜略記45 成実に仕える。
安部半内
- 亘理世臣家譜略記45 後に九郎平。安部采女の三男。成実に召しだされる。
安部惣兵衛
- 亘理世臣家譜略記277 安部采女の長男。片足が不自由なため、弟の喜左衛門が家督を継いだが、後に別して御不断として召しだされる。
安部喜左衛門
- 亘理世臣家譜略記87 安部采女の次男。采女の家督を継ぐ。
安部喜平
- 馬上(蕨宍戸家文書)
安部長作
- 徒行(蕨宍戸家文書)
安部喜礼
- 徒行(蕨宍戸家文書)
阿部淡路
- 亘理世臣家譜略記96 徳川家譜代阿部正勝の子or兄弟(?)。武者修行中に大森へ。ちょうど成実が2歳のときで、実元に御守役を依頼される。それが縁で仕官。
阿部新助
- 亘理世臣家譜略記96 阿部淡路の長男。大坂夏の陣に従軍(馬上)。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
阿部新助
- 最上御陣に従軍(徒行)。
- 徒行(蕨宍戸家文書)
阿部惣八
- 亘理世臣家譜略記148 阿部淡路の次男。分家。
阿部五郎右衛門
- 亘理世臣家譜略記101 伊達から仕える。
阿部五郎平
- 馬上(蕨宍戸家文書)
阿部勘解由
- 亘理世臣家譜略記111 七郎右衛門。伊達から仕える。
阿部十左衛門
- 亘理世臣家譜略記142 成実に召しだされ、宗実に付けられる。
阿部源兵衛
- 亘理世臣家譜略記174 実元の上杉入嗣の際、上杉家へご祝儀の使者を務める。実元につけられる。
阿部市右衛門
- 亘理世臣家譜略記174 阿部源兵衛の子。
阿部小兵衛
- 亘理世臣家譜略記174 阿部市右衛門の子。
阿部久内
- 大坂夏の陣に従軍(徒行)。
- 新地馬上(蕨宍戸家文書)
阿部嘉左衛門
- 大坂夏の陣に従軍(徒行)
阿部謹玲
- 最上御陣に従軍(馬上)。
阿部惣右門
- 最上御陣に従軍(馬上)。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
阿部仲平
- 馬上(蕨宍戸家文書)
阿部平之丞
- 馬上(蕨宍戸家文書)
阿部十三郎
- 最上御陣に従軍(徒行)。
- 徒行(蕨宍戸家文書)
阿部七郎平
- 徒行(蕨宍戸家文書)
阿部十蔵
- 徒行(蕨宍戸家文書)
綾野小源次
- 徒行(蕨宍戸家文書)
荒井喜右門
- 新地徒行(蕨宍戸家文書)
荒川秋秀
- 日向。成実に天流の刀術を伝える。(東藩史稿)
- 荒河又左衛門と同一人物?
荒川源之丞
- 最上御陣に従軍(徒行)。
- 徒行(蕨宍戸家文書)
- 亘理世臣家譜略記113 に荒川又左衛門家の二代目に「源之丞」の記載あり。不調法にて改易、高瀬村居住を仰せつけられる。その後召し返され、兵法指南。
荒川(荒河)又左衛門
- 馬上(蕨宍戸家文書)
- 成実に天流を伝える(伊達政宗伝授書軍 B-16,B-26)(亘理町史)
- 荒川秋秀と同一人物?
- 亘理世臣家譜略記113 に荒川又左衛門家。初代又左衛門は芸道を以て召出され、高8貫文をたまわる、とある。成実と関わる記載はなし。
安細出雲
- 亘理世臣家譜略記46 伊達から仕える。馬上番身合として奉公。
安才甚左衛門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
五十嵐清三郎
- 徒行(蕨宍戸家文書)
五十嵐仁左衛門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
砂金越後
- 亘理世臣家譜略記240 元亘理重宗の臣。幼少時に重宗が死去し亘理へ。御名掛として徒歩で召しだされる。
石井豊前
- 亘理世臣家譜略記125 伊達から仕える。
石井左平
- 大坂夏の陣に従軍(徒行)
- 最上御陣に従軍(徒行)。
- 徒行(蕨宍戸家文書)
石井伝右エ門
- 馬上(蕨宍戸家文書)
石川実光
- 弥平、弥兵衛。石川郡主石川氏の庶流か? 奥羽永慶軍記に登場。後に政宗の直臣。馬印は琵琶。
- 大崎合戦に武頭として参加(奥州葛西実記)
- 「石川氏一千年史」23代稙光の項に「三男光暉、母堂長松院。福田小三郎と称す。羽州最上郡新庄城主、足利修理大夫源義守朝臣に仕ふ。石河弥兵衛と称す。子光友、天正中伊達氏に仕ふ」とある。
石川光貞
- 勘解由・源兵衛・讃岐。石川弾正久国の舎弟・石川丹波の嫡男。古小手森落城のとき、人夫に変装して脱出、鈴木因幡を頼り成実の麾下となる。その後天正16年、片倉景綱の麾下となり、浪人分として奉公。(白石城主片倉氏と家臣の系譜)
石垣太郎左エ門
- 元和年中より居住。石垣屋.
- (亘理町史P318)
市川大学
- 亘理世臣家譜略記108 伊達から仕える。
伊藤丹波
- 亘理世臣家譜略記49 成実に仕える。
- 大坂夏の陣に従軍(馬上)。
- 最上御陣に従軍(馬上)。
伊藤丹波
- 亘理世臣家譜略記120 道無。成実のころ馬上番に召しだされる。金山城攻めに先手として活躍。金山の御門を拝領。御櫛番を勤める。強弓の得意。
- 最上御陣に従軍(馬上)。
伊藤喜右衛門
- 馬上(蕨宍戸家文書)
伊藤太郎平
- 馬上(蕨宍戸家文書)
伊藤惣左衛門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
伊藤仁平
- 徒行(蕨宍戸家文書)
伊藤外記
- 新地徒行(蕨宍戸家文書)
伊場小二郎
- 奥羽永慶軍記に登場。伊庭野広昌の係累か?
伊庭野広昌
- 亘理世臣家譜略記23 四郎右衛門。遠江。実元の上杉入嗣の際、実元につけられ、植宗より引両紋鳥毛対鑓と長刀備前長船長光を賜る。人取り橋の合戦で老体ながら大活躍し、討死。家老職。
- 先祖は伊達家の奥州下向(文治5年)の際同行し、代々宿老。
- 所領=伊達郡東根(屋敷1間)、粟野(樋向の内畠1貫文)、屋代(相森豆田百刈)、下矢野目(在家1間)、伊具庄笠島郷内)
伊庭野広義
- 亘理世臣家譜略記23 内蔵丞。元亀2~寛永17。天正17年郡山対陣の際、鉄砲玉をうなじに受けるが生還。一生この玉を取り去らず、これをひねって酒の楽しみとした。遺言により、没後玉を取り出し、武具箱に納めたという。
- 最上御陣に従軍(馬上)。
伊庭野七之丞
- 最上御陣に従軍(徒行)。
伊庭野七平
- 馬上(蕨宍戸家文書)
伊庭野三左衛門
- 最上御陣に従軍(徒行)
- 徒行(蕨宍戸家文書)
伊庭長平
- 徒行(蕨宍戸家文書)
今井帯刀
- 亘理世臣家譜略記39 伊達から仕える
今井藤兵衛
- 馬上(蕨宍戸家文書)
今泉発平
- 不断鉄砲(蕨宍戸家文書)
上田良庵
- 亘理世臣家譜略記5 三折。医師。父永庵は初め政宗に仕えていたが、後に宗実の客分となっていたことから家臣となる。
上田半左衛門
- 亘理世臣家譜略記175 伊達から徒歩で仕える。
- 徒行(蕨宍戸家文書)
牛坂佐渡
- 亘理世臣家譜略記25 父の代に北条家を辞し、永正の役後伊達尚宗に仕官。佐渡は養子で実は堀越能登の次男。500石を領す。実元の上杉入嗣の際、侍大将として馬上30騎を預けられ、実元につけられる。そのまま実元の家臣となる。
- 諸領地=伊達郡牛坂(牧野弾正分除き残らず)、山の川(1間)、信夫郡石那坂(平沢黒沢屋敷馬場屋敷1間)
牛坂実隆
- 亘理世臣家譜略記25 左近。牛坂佐渡の子。成実の合戦に従い武功があった。
牛坂佐渡
- 亘理世臣家譜略記25 牛坂実隆の子。
牛坂興隆
- 亘理世臣家譜略記25 喜四郎。後に喜左衛門。牛坂佐渡の子。仙台若林城で政宗に拝謁。祖父実隆の武功を賞され、盃を下され、国宗の脇差を拝領。政宗より喜左衛門と改名するよう言われ、名を改める。
牛坂左源太
- 馬上(蕨宍戸家文書)
内崎元隆
- 右馬頭。美作。越後。父・甲斐兼重は大崎氏の一族。諫言が入れられず大崎家を退転。成実を通じて伊達家への被官を依頼。右馬頭元隆は田村の跡目騒動に関し、大越紀伊守と交渉。後、政宗に20貫文で召出され美作と改称。伊達秀宗の家老となるが、不仲になり帰国。越後と改称。子孫は宝暦9年断絶。
- 文禄期、羽田右馬介・遠藤主計とともに角田留守居(仙台志料「伊達成実高野に遁る」)
- 成実出奔時の角田城接収に参加(仙台志料「伊達成実高野に遁る」)
内馬場日向
- 奥羽永慶軍記に登場
梅津甚内
- 徒行(蕨宍戸家文書)
江尻
- 奥羽永慶軍記に登場
遠藤主計
- 文禄期、羽田右馬介・内崎右馬頭とともに角田留守居。羽田と交代に上京。(仙台志料「伊達成実高野に遁る」)
- 文禄2年9月5日 高野山観音院にて遠藤下野の菩提を弔う。(市史仙台vol12 収載「高野山観音院過去帳 乙本」)
- 文禄2年9月5日 高野山観音院にて浅沼惣九郎の菩提を弔う。(市史仙台vol12 収載「高野山観音院過去帳 乙本」)
- 成実出奔時の角田城接収に参加(仙台志料「伊達成実高野に遁る」)
遠藤駿河守
- 天正16年大内定綱帰順の際、政宗のところまで定綱と同行(治家記録)
- 郡山対陣で敵方の知人に文を送る。
- 仙台藩広間遠藤家 永禄期の当主として「遠藤駿河」の記載あり。粟野大膳仕置の節、名取にいき川上村に数年居住。なぜか本領断絶し、慶長年間、駿河の嫡子藤左衛門奉公を伊達本家に願い出て許される。
- 伊達政宗文書162参照
- 六花(福島市『信夫村』口頭伝承) より引用。
小田と平石の境にある山は、朝日館とも新地館ともいわれている。 ここは昔伊達輝宗のころ、伊達家の家臣で遠藤駿河守が住んでいたと伝えられており、いまでも空濠のあとなど、山の中に残っている。 (『「福島市史」別巻Ⅳ 福島の民俗Ⅱ(地名)』より)
遠藤下野
- 小手森城攻めで講和交渉を担当(成実記)
- 法名 覚叟正円禅門 命日 (文禄2年?)3月18日(市史仙台vol12 収載「高野山観音院過去帳 乙本」)
遠藤嘉兵衛
- 大坂夏の陣に従軍(馬上)
- 最上御陣に従軍(馬上)
遠藤信綱
- 亘理世臣家譜略記8 越中。始め政宗に仕える。宗実入嗣の際、中老として亘理へ。高10貫文。
遠藤和泉
- 徒行(蕨宍戸家文書)
遠藤与兵衛
- 徒行(蕨宍戸家文書)
遠藤甚内
- 徒行(蕨宍戸家文書)
大河原仁右衛門
- 大坂夏の陣に従軍(馬上)
- 最上御陣に従軍(馬上)
- 馬上(蕨宍戸家文書)
大川原満エ門
- 不断鉄砲(蕨宍戸家文書)
大河内内膳
- 亘理世臣家譜略記176 元、畠山の臣。成実に召しだされる。
大久市右衛門
- 亘理世臣家譜略記129 元は政宗に仕えていたが、故ありて改易。成実に召しだされる。
大槻資後
- 最上御陣に従軍(馬上)。
大槻伊右衛門
- 馬上(蕨宍戸家文書)
大槻甚右門
- 新地御徒行(蕨宍戸家文書)
大堀惣内
- 大坂夏の陣に従軍(徒行)
大堀惣兵衛
- 新地馬上(蕨宍戸家文書)
大堀弥五郎
- 大坂夏の陣に従軍(徒行)
大堀弥五助
- 徒行(蕨宍戸家文書)
大堀角兵衛
- 最上御陣に従軍(馬上)
- 馬上(蕨宍戸家文書)
大堀源五助
- 最上御陣に従軍(馬上)
大堀七平
- 徒行(蕨宍戸家文書)
岡左馬助
- 亘理世臣家譜略記26 成実に仕え、大坂夏の陣に従軍(馬上)。蒲生氏郷の重臣、岡重政の縁の者だという。
岡弥太夫
- 大坂夏の陣に従軍(徒行)。
岡田七兵衛
- 新地御徒行(蕨宍戸家文書)
緒形平三郎
- 亘理世臣家譜略記41 伊達から仕える。
岡元対馬
- 亘理世臣家譜略記284 伊達から徒歩で仕える。
- 徒行(蕨宍戸家文書)
小形久兵衛
- 最上御陣に従軍(馬上)
小形右平治
- 馬上(蕨宍戸家文書)
岡部安清
- 伯耆。芦名旧臣岡部駿河守の孫。父の大隈は京都で成実に宿を提供したことが縁となり、成実の推挙で政宗に仕え、700石を得る。伯耆安清の代に罪を得て所領没収され、白根に寓居するが、元和9年、許されて亘理に移り、隠居料50人扶持を得る。岡部家は姉婿が相続し、仙台藩士。
- 岸和田藩の祖、岡部内膳は大隈の弟とするが、岸和田藩の寛政譜に大隈及び駿河の記載はない。(角田市史2) 参照→武家家伝-岡部氏
- 拙者曽祖父岡部大隅会津譜代彼地没落以後伊達成実御取持を以、貞山様へ被召出…大隅実子伯耆儀は成実御訴訟に付、元和9年に御領内御免被成、成実御介抱にて亘理に居住仕、於彼地正保4年12月29日に病死仕、其子拙者父岡部有節も浪人にて同所に罷在候処…(延宝書上 26-9 岡部玄節)
小形彦右衛門
- 馬上(蕨宍戸家文書)
小川高家
- 亘理世臣家譜略記84 五郎兵衛。慶長8(1603)~正保3(1646)。伊達から成実に仕える(先代か?)。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
小川土佐
- 亘理世臣家譜略記40 宗実入嗣の際、亘理へ。
小野雅楽助
- 亘理世臣家譜略記116 伊達から仕える。
小野雅之助
- 最上御陣に従軍(馬上)
小野彦左衛門
- 亘理世臣家譜略記116 小野雅楽助の嫡男。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
小野権太夫
- 亘理世臣家譜略記265 小野彦左衛門の弟。成実の代に分家、徒歩にて仕える。
小野左馬之助
- 最上御陣に従軍(馬上)
小野佐馬之丞
- 馬上(蕨宍戸家文書)
笠原五郎兵衛
- 亘理世臣家譜略記290 宗実入嗣の際、亘理へ。徒歩で仕える。
春日辺久八
- 亘理世臣家譜略記134 元、二本松畠山の臣、春日辺半内の嫡子。成実の客分として、大阪の陣などに従軍。武功の者であるとして、寛永年間に高橋越中の知行を分けて拝領し、家臣となる。高橋越中の妹婿。
片平平左衛門
- 亘理世臣家譜略記334 伊達から徒歩で仕える。
片平助兵衛
- 新地御徒行(蕨宍戸家文書)
加藤(嘉藤)大炊左衛門
加藤加賀
- 亘理世臣家譜略記77 伊達から仕える。大阪の陣に出陣。
加藤豊前
- 亘理世臣家譜略記107 伊達から仕える。伊達の頃は30貫文。
加藤孫右衛門
- 亘理世臣家譜略記107 加藤豊前の子。角田移封の際に知行を賜る。3貫文。
加藤玄蕃
- 亘理世臣家譜略記138 加藤豊前の次男。分家し、小姓として宗実に仕える。仙台屋敷詰。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
加藤仲右衛門
- 大坂夏の陣に従軍(徒行)。最上御陣に従軍(馬上)。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
加藤勘平
- 最上御陣に従軍(徒行)
- 徒行(蕨宍戸家文書)
加藤又左衛門
- 馬上(蕨宍戸家文書)
加藤公佐
- 馬上(蕨宍戸家文書)
加藤左門
- 馬上(蕨宍戸家文書)
加藤次郎作
- 徒行(蕨宍戸家文書)
加藤甚兵衛
- 徒行(蕨宍戸家文書)
加藤七兵衛
- 徒行(蕨宍戸家文書)
金津
- 奥羽永慶軍記に登場。
金山伝右衛門
- 亘理世臣家譜略記161 牛坂佐渡の後妻の子。牛坂佐渡の隠居料を継ぐ。
鎌田清重
- 亘理世臣家譜略記349 九郎右衛門。初め政宗、ついで忠宗に仕え宗実入嗣の際、亘理へ(登米伊達家御家中家譜書上)。徒歩で仕える。(亘理世臣家譜略記には「某」と記載)
鎌田四郎兵衛
- 伊達郡鎌田村に居住し、成実に仕える。子孫は伊達吉村の代本藩に鍼医として召出される。
- ※ 仙台藩虎の間 鎌田家先祖四郎兵衛、伊達郡鎌田を知行。晴宗代永禄年中旗頭を務め、杉目城代。嫡子源蔵、跡を継ぎ四郎兵衛と改称、輝宗代備前と改称。
萱野左馬之助
- 馬上(蕨宍戸家文書)
萱野清左衛門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
萱野権内
- 徒行(蕨宍戸家文書)
萱場時政
- 亘理世臣家譜略記24 内蔵助、但馬守(郷土わたり81号)。宮内(亘理世臣家譜略記)。元織田家の臣(亘理世臣家譜略記)。
- 伊達家譜代の臣萱場を領す(郷土わたり81号)。植宗に属し、実元の上杉入嗣の際、実元につけられ、植宗より鳥毛対鑓と長刀を賜る。
- 足軽大将を勤める(郷土わたり81号)。
- 拝領地=伊達郡徳江(つちやた在家1間)、上長井(小山田松木在家)
萱場元時
- 亘理世臣家譜略記24 源兵衛。萱場時政の子。実元より「元」の一字と指小旗を賜る。人取橋合戦に活躍。
萱場元時
- 亘理世臣家譜略記24 源兵衛。萱場元時の長男(親と同名)。長鉄砲の名人。政宗に鉄砲術を賞賛され、鉄砲と小道具を賜る。成実の亘理移転の際、屋敷を賜る。成実がたびたび知行加増を言い出すも、その度に辞退。とうとう「しるし」として1文を加増。
- 最上御陣に従軍(馬上)。
- 伊達政宗文書2561参照
- 伊達政宗文書3752参照
萱場但馬
- 亘理世臣家譜略記97 萱場元時の次男。
萱場金兵衛
- 亘理世臣家譜略記60 萱場但馬の次男。伊達から成実に仕える。
萱場養助
- 大坂夏の陣に従軍(徒行)
萱場次郎兵衛
- 大坂夏の陣に従軍(徒行)
- 徒行(蕨宍戸家文書)
萱場治郎平
- 馬上(蕨宍戸家文書)
萱場源治郎
- 最上御陣に従軍(徒行)
川村源内
- 徒行(蕨宍戸家文書)
木口縫殿之丞
- 馬上(蕨宍戸家文書)
木口長三郎
- 徒行(蕨宍戸家文書)
木口勘作
- 徒行(蕨宍戸家文書)
北新助
- 亘理世臣家譜略記153 伊達から仕える。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
北下野
- 北新助と同一人物?
木村左衛門
- 亘理世臣家譜略記305 伊達から徒歩で仕える。
木村九右衛門
- 最上御陣に従軍(馬上)
- 馬上(蕨宍戸家文書)
木村半之丞
- 新地御徒行(蕨宍戸家文書)
国嶋平内
- 不断鉄砲(蕨宍戸家文書)
国嶋重左衛門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
黒川仲庵
- 大坂夏の陣に従軍(馬上)
- 最上御陣に従軍(馬上)
- 馬上(蕨宍戸家文書)
- 寛永20年10月23日、切支丹として親子とも斬罪に処せられる。(亘理家中系譜常盤景定項)
- 医者。パラヤス(日本名孫右エ門)の宿をし、女房・子供5人(男2人・女3人)とともに斬罪となる(亘理町史P263)
黒川仲庵女
- 奥方で仕える。常盤景定の妻。この縁で黒川仲庵の所領は常盤景定に下される。
黒川六郎右衛門
- 新地馬上(蕨宍戸家文書)
黒田惣エ門
- 不断鉄砲(蕨宍戸家文書)
黒田惣右エ門
- 新地御徒行(蕨宍戸家文書)
黒田伝左衛門
- 新地御徒行(蕨宍戸家文書)
黒沢五左衛門
- 新地御徒行(蕨宍戸家文書)
黒沢十右衛門
- 新地御徒行(蕨宍戸家文書)
黒沼助之丞
- 新地馬上(蕨宍戸家文書)
黒野長定
- 亘理世臣家譜略記13 1536-1620.2.21 五郎太夫。元北条氏直の臣。小田原の陣後、大久保相模守忠隣に仕える。成実が出奔後糟谷村に浪居した際、なにかれと世話をした。慶長19年1月大久保忠隣改易にあたり、成実を頼って亘理へ。仙台での仕官を取り持つ間の客分のはずが、家中の上座へ置かれ屋敷も賜り、ついに成実の家臣となる。 五郎太夫が病死した時、成実みずから香典を持って悔やみに訪れた。
黒野時定
- 亘理世臣家譜略記13 1571-1631.8.4 覚兵衛。黒野長定の子。
- 大坂夏の陣に従軍(馬上)
- 馬上(蕨宍戸家文書)
黒野定吉
- 亘理世臣家譜略記13 黒野時定の嗣。
黒野三十郎
- 最上御陣に従軍(徒行)
- 徒行(蕨宍戸家文書)
桑嶋清左衛門
- 不断鉄砲(蕨宍戸家文書)
小荒井伊兵衛
- 14歳で政宗小姓となるが、1641年、故ありて所領没収。3ヶ月亘理伊達家に預け置かれる。後、復職。
- 延宝書上28-18 小荒井甚兵衛。拙者祖父小荒井伊兵衛儀其比は左平次と申候。14歳にて御小姓組に被召出御仕着にて御奉公相勤申候処に、寛永18年に不調法之儀御座候て進退被召上、伊達安房殿へ被預置候。…
小泉万六
- 亘理世臣家譜略記90 伊達から仕える。
小泉甚右衛門
- 馬上(蕨宍戸家文書)
小泉八右衛門
- 亘理世臣家譜略記209 成実の代に召しだされる。
- 大坂夏の陣に従軍(徒行)
- 馬上(蕨宍戸家文書)
小泉勘左衛門
- 最上御陣に従軍(馬上)
小泉九郎右衛門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
幸野藤左衛門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
小熊治右衛門
- 亘理世臣家譜略記108 市川大学の長男。角田移封の際に御伴。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
小熊八兵衛
- 亘理世臣家譜略記283 市川大学の次男。成実が徒歩で召しだす。
- 徒行(蕨宍戸家文書)
後藤大炊助
- 亘理世臣家譜略記190 はじめ植宗に仕え、実元の上杉入嗣の際、実元につけられる。天文の乱に植宗に加勢。天文15年2月、植宗より武功ある書を賜う。
- 拝領地=中村彦九郎の所帯並びに門目丹波守分、刈田庄関山中を賜る。
後藤余五右門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
木幡刑部
- 亘理世臣家譜略記126 始め兵蔵。元は会津の臣。成実に召しだされる。
木幡六兵衛
- 亘理世臣家譜略記166 木幡刑部の長男。成実のころ分家。
- 徒行(蕨宍戸家文書)
木幡三郎右衛門
- 亘理世臣家譜略記126 木幡刑部の次男。刑部の跡を継ぐ。
木幡武平
- 新地御徒行(蕨宍戸家文書)
小林七衛門
- 新地御徒行(蕨宍戸家文書)
小松笹兵衛
- 亘理世臣家譜略記185 岩城御前(二階堂氏)の伴として亘理へ。
小松清左衛門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
斎藤源蔵
- 亘理世臣家譜略記89 後、作兵衛、越中。元亘理元宗の臣。大鼓の上手だったので、成実が元宗に乞い、馬上番として成実に仕えることに。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
斎藤源蔵
- 徒行(蕨宍戸家文書)
斉藤権右衛門
- 亘理世臣家譜略記91 伊達から仕える。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
斉藤定時
- 亘理世臣家譜略記141 亘理元宗の臣・斉藤和泉の次男。寛永年中、16歳のとき成実に召しだされる。宗実に付けられる。
斎藤兵部
- 上杉家の臣・藤田能登守に属していたが、慶長5年白石城攻めの際、馬上12騎・鉄砲50丁を率いて上杉方から伊達家に翻る。成実の旗下に奔るという。
斎藤太郎左衛門
- 不断鉄砲(蕨宍戸家文書)
- 下の斎藤太郎左衛門との関係は不明。
斎藤伊兵衛
- 寛永10年まで五日町検断。姉婿の斎藤善兵衛(太郎左衛門)に検断職を譲り、以後は生薬屋の井筒屋を経営(亘理町史P280)
斎藤太郎左衛門
- 善兵衛。斎藤伊兵衛の姉婿。寛永10年~万治元年まで五日町検断。(亘理町史P279)
- 上の斎藤太郎左衛門との関係は不明。
斎藤太郎右衛門
- 1564-? 磨上原の戦で、芦名の将・金上盛備をうちとる(政宗記)。下の斎藤太郎衛門との関係は不明。
斎藤太郎右衛門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
斎藤与左衛門
- 不断鉄砲(蕨宍戸家文書)
斎藤惣右衛門
- 馬上(蕨宍戸家文書)
斎藤助一郎
- 徒行(蕨宍戸家文書)
斎藤彦平
- 新地御徒行(蕨宍戸家文書)
斎藤
- 信夫庄の郷士の時、白石城攻めに参加。成実に直参し、馬上番。文政期の当主は斎藤右衛(郷土わたり46号)。上の行の斎藤氏との関係は不明。
坂元作内
- 徒行(蕨宍戸家文書)
佐々木高重
- 亘理世臣家譜略記82 勘左衛門。成実に召しだされる。
佐々木信高
- 亘理世臣家譜略記82 勘左衛門。佐々木高重の子。
佐々木善兵衛
- 亘理世臣家譜略記239 相州小田原(大久保家)浪人。仙台に住居している時、徒歩で召しだされる。
笹崎
- 代々愛之進と称す。佐々木、佐々崎とも称する。近江時代からの片倉氏の家中。片倉景綱の白石移封時に亘理に残留し、家臣となる(郷土わたり46号)。
佐瀬常祐
- 亘理世臣家譜略記3 一笑。磨上原合戦で討死した会津四天王佐瀬常種の子。会津芦名家滅亡の後、浪人していたが、白石若狭と親しくしていた。その縁で政宗の囲碁の相手を命ぜられ、ついに家臣となる。宗実の守役から家老となり、宗実とともに亘理へ。
佐藤作右衛門
- 亘理世臣家譜略記29 鷲尾治兵衛の前名。
佐藤作右衛門
- 亘理世臣家譜略記30 鷲尾治兵衛の弟。宗実入嗣の際、御小姓頭として亘理へ。鷲尾治兵衛の改名の際、兄の名を称することになる。
佐藤伝左衛門
- 亘理世臣家譜略記151 伊達から仕える。
- 最上御陣に従軍(馬上)
佐藤加茂左衛門
- 亘理世臣家譜略記177 岩城御前(二階堂氏)の伴として亘理へ。
佐藤徳左衛門
- 亘理世臣家譜略記256 伊達から徒歩で仕える。
佐藤左七
- 亘理世臣家譜略記160 伊達から徒歩で仕える。
佐藤藤右衛門
- 亘理世臣家譜略記297 宗実入嗣の際、亘理へ。徒歩で仕える。
佐藤源左衛門
- 不断鉄砲(蕨宍戸家文書)
佐藤勘十郎
- 不断鉄砲(蕨宍戸家文書)
佐藤孫四郎
- 馬上(蕨宍戸家文書)
佐藤茂左衛門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
佐藤平兵衛
- 徒行(蕨宍戸家文書)
佐藤善九郎
- 新地御徒行(蕨宍戸家文書)
佐藤善吉
- 新地御徒行(蕨宍戸家文書)
佐藤雅之助
- 新地御徒行(蕨宍戸家文書)
佐藤定郷
- 治郎右エ門。伊達郡羽田村平場郷に住む佐藤意郷の嫡男。天正10年、政宗に初出仕。白石片倉氏家老・佐藤次郎右エ門家の祖。成実が政宗に請うたため、三兄弟(定郷・標郷・秀直)ともに成実につけられ、また片倉景綱が政宗に請うて三兄弟ともに景綱につけられる。(白石城主片倉氏と家臣の系譜)
佐藤標郷
- 金蔵。伊達郡羽田村平場郷に住む佐藤意郷の次男。天正10年、政宗に初出仕。成実が政宗に請うたため、三兄弟(定郷・標郷・秀直)ともに成実につけられ、また片倉景綱が政宗に請うて三兄弟ともに景綱につけられる。兄・佐藤定郷の跡をつぐ。(白石城主片倉氏と家臣の系譜)
佐藤秀直
- 大学。のち伊勢。伊達郡羽田村平場郷に住む佐藤意郷の三男。天正10年、政宗に初出仕。成実が政宗に請うたため、三兄弟(定郷・標郷・秀直)ともに成実につけられ、また片倉景綱が政宗に請うて三兄弟ともに景綱につけられる。白石片倉氏家老・佐藤大右エ門家の祖。(白石城主片倉氏と家臣の系譜)
作間源右門
- 新地御徒行(蕨宍戸家文書)
三江内越中
- 亘理世臣家譜略記136 元、会津芦名の臣。嫡男・高橋越中が成実に仕えたため、同行。
沢尻
- 青木氏の一族。成実出奔時に政宗の直臣となる。
志賀隆義
- 亘理世臣家譜略記1 四郎右衛門。元岩城重隆の臣。久保姫輿入れの際のゴタゴタで岩城に愛想を尽かし、大崎の地にいるところを実元が客分に迎えた。
志賀隆正
- 亘理世臣家譜略記1 備後、備前(?)、内膳。志賀隆義の子。天正2年、八丁目城を実元が占領後の交渉について、輝宗への使となる。
志賀大炊左衛門
- 亘理世臣家譜略記1 志賀隆正の子。渋川の戦いなどで活躍。加藤大炊左衛門と同一人物?
- 羽田右馬助の弟(政宗記「安達郡渋川戦之事」)
- 渋川の戦いにて活躍。(政宗記「安達郡渋川戦之事」)
志賀山三郎
- 徒歩。鉄砲の上手。天正16年3月玉井草調儀にて、高玉太郎左衛門を射る(政宗記)
志賀備後
- 大坂夏の陣に従軍(馬上)
- 志賀大炊左衛門と同一人物?
- 最上御陣に従軍(馬上)
志賀内膳
- 馬上(蕨宍戸家文書)
鹿野丹波
- 亘理世臣家譜略記52 伊達から仕える。
鹿野八右衛門
- 大坂夏の陣に従軍(徒歩)
- 馬上(蕨宍戸家文書)
完戸(宍戸)下野守
- 亘理世臣家譜略記38 九郎左衛門。始め植宗に仕え、度々の忠勲があった。実元の上杉入嗣の際、出入役として実元につけられる。子の代に故あって家跡断絶。先祖は常州宍戸の出。
- 下長井の棟役徴収役。拝領地=柴田郡(塩沢)、伊達郡(飯田・九郎左衛門手作)、伊具庄(毛萱関場在家1間)
- 馬上(蕨宍戸家文書)
完戸内記
- 亘理世臣家譜略記38 完戸下野守の三男。晩年医業を為し、玄折と称す。成実に召しだされる。
完戸名兵衛
- 亘理世臣家譜略記93 完戸下野守の次男。大阪の陣に出陣し、手柄あり。
宍戸内膳
- 大坂夏の陣に従軍(馬上)
- 最上御陣に従軍(馬上)
- 完戸名兵衛と同一人物?
宍戸角兵衛
- 大坂夏の陣に従軍(徒歩)
宍戸外記
- 最上御陣に従軍(馬上)
宍戸佐平太
- 馬上(蕨宍戸家文書)
宍戸権之助
- 徒歩(蕨宍戸家文書)
七宮伯耆
- 亘理世臣家譜略記86 後、勘九郎。伊達から仕える。猪苗代調略の使者。
柴田彦兵衛
- 亘理世臣家譜略記9 政宗側室(宗実母)柴田弘の甥。宗実入嗣の際、亘理へ。承応事件の主役。
柴田常弘
- 亘理世臣家譜略記9 豊後。始め政宗に仕える。柴田彦兵衛の父。彦兵衛が年若のため後見として亘理へ同行。承応事件により、彦兵衛とともに切腹。仙台藩着座芝田家もこの人の子孫。
嶋田藤右衛門
- 亘理世臣家譜略記127 成実の二本松移転の際、同行、馬上番を仰せ付けられる。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
志茂助右衛門
- 亘理世臣家譜略記131 伊達から仕える。
下六郎兵衛
- 最上御陣に従軍(馬上)
下吉左エ門
- 馬上(蕨宍戸家文書)
下九郎左衛門
- 新地馬上(蕨宍戸家文書)
下善右衛門
- 徒歩(蕨宍戸家文書)
下郡山内記
- 輝宗に仕えていたが、勘気を蒙り、放逐。成実の元に身を寄せる。人取橋の合戦で成実を補佐。
- 法名 東岸道伊。文禄3年8月3日、下郡山膳九郎により、高野山観音院にて菩提を弔われる。(市史仙台vol12 収載「高野山観音院過去帳 乙本」)
白土甚四郎
- 亘理世臣家譜略記127 岩城御前(二階堂氏)の伴として亘理へ。岩城家重臣白土家の一族か?
白戸茂左衛門
- 大坂夏の陣に従軍(徒行)
- 馬上(蕨宍戸家文書)
白根沢重綱
- 丹波。青木胤綱の弟。成実の出奔時に政宗に仕える。子孫は仙台藩平士、300石。成実の逸話に登場。
- 成実出奔時の角田城接収に参加(仙台志料「伊達成実高野に遁る」)
- 寛永2年足軽衆扶持方について藩奉行衆より指示(石母田家文書222)
- 寛永3年足軽衆江戸御番について藩奉行衆より指示(石母田家文書232)
- 寛永3年政宗留守中の江戸に足軽50人を率いて詰める(石母田家文書261)
- 寛永3年12月の月行事三番(石母田家文書267)
- 寛永6年? 拾五浜逃死人詮索ついて石母田大膳に報告(石母田家文書158)
- 寛永6年 入牢者名簿の御尋(石母田家文書371)
- 寛永9年仙台城本丸門番(石母田家文書418)
- 欠落した百姓について石母田大膳に書状(石母田家文書59)
白石甚之丞
- 亘理世臣家譜略記302 宗実入嗣の際、亘理へ。御近習として仕える。(当時は御広間呼懸)
菅野権内
- 亘理世臣家譜略記186 伊達から移転の際、願い出て徒歩に召しだされる。
杉浦長綱
- 亘理世臣家譜略記14 五郎兵衛。政宗側室(宗実母)柴田弘の姉婿。始め政宗に仕え、宗実入嗣の際、亘理へ。
杉目治左衛門
- 亘理世臣家譜略記342 宗実入嗣の際、亘理へ。徒歩で仕える。
杉目源右門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
杉山摩海
- 亘理世臣家譜略記76 後、越中。朝鮮出兵の際、成実が朝鮮から連れ帰る。当時7歳。奥方で養育され、成長の後仕官。
杉山九左衛門
- 出奔に同行(東藩史稿)(仙台志料「伊達成実高野に遁る」)。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
鈴木因幡
- 石川光貞が小手森譲脱出後、鈴木因幡を頼って成実に仕えたとある(白石城主片倉氏と家臣の系譜)
鈴木九左衛門
- 亘理世臣家譜略記37 宗実入嗣の際、亘理へ。
鈴木源太郎
- 亘理元宗の頃より桜小路に居住。慶長8年、成実の新井町建設により、新井町に移転、慶安4年まで検断職(亘理町史P277)
鈴木笹平
- 大坂夏の陣に従軍(徒行)
鈴木三郎治
- 亘理世臣家譜略記184 伊達から徒歩で仕える。
鈴木三之丞
- 徒行(蕨宍戸家文書)
鈴木十郎左衛門
- 武石亘理史に仕えた武士。亘理氏の涌谷移封時、兄は亘理氏に従い、弟が亘理に土着。鈴木屋初代となる(亘理町史P318)
鈴木長左衛門
- 元大崎氏臣。大崎滅亡後成実の家臣となる。子孫は町人となり宝暦ごろより検断職(亘理町史P276)
鈴木藤左衛門
- 亘理世臣家譜略記321 成実の代に仕える。6代後に一旦改易。
鈴木備前
- 亘理世臣家譜略記137 成実の代から、伊達から召し連れられる。
須田
- 輝宗に殉死した須田伯耆の弟。一時成実に仕えていた。その縁で須田伯耆自身も出入りしていたとか。(政宗記)
須田小十郎
- 輝宗に殉死した須田伯耆の二番目の子。(群書類従 伊達日記)
- 伊達日記の記載内容は通称の記載があること、二番目の子であることの他は前項の須田と同じである。
清野壱岐
- 「せいの」と読む。
- 亘理世臣家譜略記117 伊達から仕える。文禄の役に従軍。その際、旗竿にいい、として成実が持ち帰った竹を清野壱岐の屋敷に植えるよう命ぜられる。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
清野監物
- 亘理世臣家譜略記165 伊達から仕える。故ありて改易。伊達へ立ち退く。二子は再度召しだされる。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
清野
- 大森城時代からの随身。亘理に入ってからは山役人の徒歩侍(郷土わたり46号)。
- 「西館(八丁目城・武水註) …伊達左京大夫輝宗の臣清野備前守其子遠江守居住す。其後に堀越能登守居となむ。信達古語に清野遠江守その君輝宗に背けり。その罪によりて西館にて生害す」(信達一統志 鼓岡邨)
- 「天誉山盛林寺 …小倉邨林寺末寺なり。開基は清安大居士と法名のみにて其姓名をしらず。大率は清野備前守ならん」 (信達一統志 鼓岡邨)
平孫兵衛
- 亘理世臣家譜略記100 武芸の達者。宗実入嗣の際、亘理へ。
平倉太
- 馬上(蕨宍戸家文書)
高野久慶
- 亘理世臣家譜略記32 宗実入嗣の際、亘理へ。
高野三右門
- 不断鉄砲(蕨宍戸家文書)
高野勘十郎
- 徒行(蕨宍戸家文書)
高野新右門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
高野伝右門
- 新地御徒行組(蕨宍戸家文書)
高橋越中
- 亘理世臣家譜略記136 三江内越中の子。姓を高橋に改める。伊達より仕える。
高橋久八
- 不断鉄砲(蕨宍戸家文書)
高橋嘉右衛門
- 馬上(蕨宍戸家文書)
高橋清兵衛
- 徒行(蕨宍戸家文書)
高橋彦兵衛
- 徒行(蕨宍戸家文書)
多川主膳
- 成実譜代の臣だったが、文禄の役の際、政宗の小姓となる。元和5年、44才で病死。
「仙台藩家臣録」より原文抜粋:「私祖父多川主膳儀伊達安房殿御譜代之者御座候所に、 文禄元年高麗御陣之時分安房殿より御所望被遊、 主膳十五歳にて貞山様御代右同年に御小姓に被召出、 御知行被下置候」
武田源内
- 亘理世臣家譜略記31 元最上義光の一族。最上家没落の後、浪人として仙台にいたところ、宗実入嗣の際に仕官。
武田源左エ門
- 成実配下として亘理に移住、榎袋村に帰農。慶長9年大肝入に任ぜられ、鹿島村新井町に移り、酒造を始める。武田屋。(亘理町史P310)
- 現在の亘理町字新井町74 武田酒造。銘柄は「椿山」
武田左馬亮
- 天正日記に「二本松(成実)より」の使いとして登場。政宗直臣の可能性もあり。
太細金七
- 亘理世臣家譜略記95 政宗のもと、情報収集にで活躍した武人。奥州仕置の後、成実に仕え、姓を太細と改める。
太細長右衛門
- 亘理世臣家譜略記95 太細金七の子。故ありて改易。3年目に召し返される。
太細長右衛門
- 亘理世臣家譜略記95 太細長右衛門の長男。
太細虎之助
- 亘理世臣家譜略記147 太細長右衛門の次男。学業のため称名寺にいた。承応事件の際、称名寺に入った宗実に召しだされ、奥小姓となる。
太細孫右エ門
- 最上御陣に従軍(馬上)。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
但木直次
- 亘理世臣家譜略記53 越後。天正10(1582)~正保3(1646)。成実に仕える。直定とも。
亘理入府後、城中で他の重臣と口論になり、それが元で改易の上追放の憂き目に。3年後に呼び戻され、元通りに知行安堵された上に、追放中の収入も貰ったので感激して忠勤に励む。馬上番身合として奉公。
大平の世の中で身命を投げ打つ戦もないので、殉死を願い出て許され、追腹御誓約の盃を賜る。
直次の隠居屋敷には度々成実が馬を見に訪れたと言う。
成実の死後、大雄寺に日に三度ずつ参詣拝礼し、6月20日に殉死。法名関翁透鉄。辞世「おのづからすます心の雲はれて まことの月のひかりをぞ見る」
但木喜四郎
- 亘理世臣家譜略記99 但木直次の次男。但木直次の隠居領を相続。
但木五郎左衛門
- 亘理世臣家譜略記53 但木直次の長男。
唯木時昌
- 亘理世臣家譜略記54 与五右衛門。成実に仕え、出奔の際伴をした。大阪の陣では鉄砲隊を預かる。
只木与五右衛門
- 唯木時昌と同一人物?
- 不断鉄砲(蕨宍戸家文書)
唯木時定
- 亘理世臣家譜略記54 三太夫。唯木時昌の子。御近習として成実に仕え、出奔の際伴をした。
只木五郎左衛門
- 馬上(蕨宍戸家文書)
只木源作
- 最上御陣に従軍(馬上)
只木文右衛門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
只野日向
- 亘理世臣家譜略記6 玄意。初め政宗に仕える。宗実入嗣の際、中老として亘理へ。
丹野源吉
- 亘理世臣家譜略記98 大坂夏の陣に従軍(徒行)、名をあげる。
丹野源左エ門
- 馬上(蕨宍戸家文書)
丹野若狭
- 亘理世臣家譜略記122 伊達から仕える。
丹野三郎右衛門
- 不断鉄砲(蕨宍戸家文書)
丹野権兵衛
- 最上御陣に従軍(徒行)。
- 徒行(蕨宍戸家文書)
丹野市右門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
丹波蔵人
- 馬上(蕨宍戸家文書)
千葉三之丞
- 亘理世臣家譜略記105 宗実入嗣の際、亘理へ。
千葉玄春
- 亘理世臣家譜略記139 宗実入嗣の際、亘理へ。御台所に勤務。
手代木重定
- 亘理世臣家譜略記15 勘解由。始め政宗に仕え、宗実入嗣の際、亘理へ。
手代木丹波
- 亘理世臣家譜略記16 手代木重定の弟。宗実入嗣の際、亘理へ。
寺嶋新蔵人
- 亘理世臣家譜略記154 伊達から仕える。
寺嶋太郎左衛門
東條治右衛門
- 亘理世臣家譜略記187 伊達から御近習御相手として仕える。
東條治平
- 馬上(蕨宍戸家文書)
東條弥角
- 徒行(蕨宍戸家文書)
常盤勝定
- 亘理世臣家譜略記4 伊賀。和泉。幼名平七。田村清顕に仕える。清顕死後の田村家内紛の際、伊達家への帰属を主張。政宗より刀を賜る。田村宗顕切腹後、二本松・角田に住居。
常盤与惣兵衛
- 亘理世臣家譜略記4 後、伊賀。常盤勝定の子。
常盤実定
- 亘理世臣家譜略記4 隼人。信濃。幼名正八。常盤与惣兵衛の子。文禄元年17歳で成実に出仕。側近くに仕え、「実」の字を賜り実定と名乗る。成実出奔の際も伴をする。成実が亘理拝領の御礼として宇佐美長光の太刀を政宗に献上する際に使者となる。天正8(1580)~?
- 最上御陣に従軍(馬上)
- 馬上(蕨宍戸家文書)
- 成実出奔の際、供をする(仙台志料「伊達成実高野に遁る」)
常盤吉定
- 亘理世臣家譜略記4 右京。内蔵助。但馬。常盤実定の嫡男。寛永15年成実の江戸行きに伴をし、その際、田村家の縁で愛姫より小袖を賜る。事情があって扶持を半分召し上げられる。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
常盤元定
- 亘理世臣家譜略記55 始め権六。蔵人。常盤実定の次男。元安とも。慶長14(1609)~正保3(1646)。成実に殉死。辞世「月の入るあとをしたいてやがて身は 同じ道にと行くすえの空」。法名昌安繁心。
常盤景定
- 亘理世臣家譜略記12 縫殿丞。常盤実定の三男。成実の側近くに仕える。寛永15年成実の江戸行きに伴をし、江戸城まで同行。
富田新次郎
- 亘理世臣家譜略記167 後。惣兵衛。実元分家の際より仕える。
富田惣兵衛
- 亘理世臣家譜略記167 富田新次郎の子。
- 徒行(蕨宍戸家文書)
富田津太エ門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
鳥居康永
- 亘理世臣家譜略記10 加藤左之助。政宗側室(宗実母)柴田弘の兄。三河浪士だったが、政宗に仕え、宗実の臣となる。
永間源右門
- 新地御徒行組(蕨宍戸家文書)
楢葉拾左エ門
- 馬上(蕨宍戸家文書)
楢葉清左衛門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
難波掃部左衛門
- 亘理世臣家譜略記168 伊達から仕える。
難波又七
- 不断鉄砲(蕨宍戸家文書)
難波治助
- 不断鉄砲(蕨宍戸家文書)
難波新左衛門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
新妻杢之助
- 徒行(蕨宍戸家文書)
二階堂勘左衛門
- 徳左衛門とも。惣馬上。(亘理伊達家文書調査研究会成果報告書1 二階堂家文書解題)
- 須賀川城主・二階堂盛行を祖とする。岩城御前の付人として亘理伊達家の家臣となる。(亘理伊達家文書調査研究会成果報告書1 二階堂家文書17)
- 武水付記:二階堂盛行は、二階堂盛義の次男・行親のことといわれる。(Wikipedia)
二階堂孫平
- 徒行(蕨宍戸家文書)
西山惣兵衛
- 馬上(蕨宍戸家文書)
沼崎六右衛門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
沼崎平左衛門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
野地勘九郎
- 大坂夏の陣に従軍(徒行)
野地四郎平
- 最上御陣に従軍(徒行)
- 徒行(蕨宍戸家文書)
野地善太夫
- 最上御陣に従軍(徒行)
- 徒行(蕨宍戸家文書)
野地主馬
- 馬上(蕨宍戸家文書)
野口仁平
- 徒行(蕨宍戸家文書)
橋本太郎左衛門
- 亘理世臣家譜略記206 宗実入嗣の際、亘理へ。
橋本
- 藩祖(成実?)から代々鉄砲組の馬上番(郷土わたり46号)
羽田実景
- 亘理世臣家譜略記7 右馬助。祖父羽田因幡守が植宗に仕え、20貫文を賜る。実元の上杉入嗣の際、実景は家老ととして実元につけられる。天文の乱後、晴宗に所領を一部(?)没収される(「伊達家塵芥集の研究」)。
- 伊庭野広昌と同年らしい。
- 先祖は伊具庄羽田を領す。諸領地=伊具庄大蔵(8貫456文)、伊達郡大石(下松か倉1間)、中野(高柳うえの屋敷)、増田(そうかん分)、松原(切田三百刈)、上新田(大かま在家)、をしきり(あしの町に切田水口) (郷土わたり)
- 息子も同名であるため、判別が難しい。便宜上、小田原以前の記述を、父の方の実景として、下に記す。
- 人取橋の合戦に活躍。(政宗記「本宮戦附人取橋合戦」)
- 志賀大炊左衛門の兄(政宗記「安達郡渋川戦之事」)
- 渋川の戦いにて活躍。(政宗記「安達郡渋川戦之事」)
- 天正15年8月24日 羽田因幡 伊達政宗文書130参照
- 天正16年1月15日 羽田右馬助 (天正日記)
- 天正16年1月7日 羽田右馬助 伊達政宗文書167参照
- 天正16年5月1日 羽田因幡 伊達政宗文書252参照
- 天正16年5月6日 羽田因幡 伊達政宗文書257参照
- 天正17年1月4日 羽田因幡守 (大日本古文書401号 正月年賀人数書)
- 大崎合戦に武頭として参加(奥州葛西実記)
羽田実景
- 亘理世臣家譜略記7 丹後。羽田右馬助の子。
- 同じ諱。政宗の角田召し上げの際討死したともいうが、生存説も有る。父の実景とややこしいのだが、年代からいって角田召上げの頃はこっちの実景ではないかと。
- 上の父親の項も参照のこと。
羽田小吉
- 羽田右馬助の縁者?
- 成実出奔の際伴をした。(仙台志料「伊達成実高野に遁る」)
羽田実兼
- 亘理世臣家譜略記7 右兵衛。将監。羽田丹後の子。新地に住居を命じられる。
- 大坂夏の陣に従軍(馬上)
- 最上御陣に従軍(馬上)
- 伊達政宗文書3137参照
- 貞山公治家記録慶長19年1月21日条参照
羽田文九郎
- 安積合戦で討死。16歳。(奥羽永慶軍記)
羽田与左衛門
- 不断鉄砲(蕨宍戸家文書)
羽田伝右門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
馬場成清
- 亘理世臣家譜略記110 主殿。父の三河宗成までは本家(植宗)に仕える。成清が実元に仕え、以後代々の家臣。
馬場元清
- 亘理世臣家譜略記110 但馬。馬場成清の子。
馬場好清
- 亘理世臣家譜略記110 伊兵衛。馬場好清の子。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
馬場丹波
- 馬上(蕨宍戸家文書)
馬場次郎右衛門
- 大坂夏の陣に従軍(馬上)
- 延宝書上28-2 馬場三七。拙者曽祖父馬場丹後次男馬場次郎左衛門儀、伊達安房殿に奉公仕候処、右次郎左衛門嫡子拙者親吉兵衛儀、貞山様御部屋住之節御小姓組被召出、5-6ケ年無進退にて御奉公仕候処、御切米5両4人御扶持方被下置、御奉公数年首尾能相勤申に付、正保3年6月23日古内…
馬場蔵人
- 最上御陣に従軍(馬上)
- 馬上(蕨宍戸家文書)
馬場次郎兵衛
- 最上御陣に従軍(馬上)
浜田利元
- 亘理世臣家譜略記2 半四郎。浜田伊豆景宗のひひ孫。富田壱岐と交代で宗実の家老として政宗より遣わされる。
半沢市郎右衛門
- 亘理世臣家譜略記119 二本松にいたところを成実に召しだされる。
半沢次郎右衛門
- 亘理世臣家譜略記130 伊達から仕える。
半沢十郎左衛門
- 亘理世臣家譜略記163 或は山城。はじめ植宗に仕え、実元の上杉入嗣の際、実元につけられる。天文の乱に植宗に加勢。天文14年、植宗より諸役の事を免ぜられる。天文15年2月、植宗より武功ある書を賜う。
半沢十郎左衛門
- 亘理世臣家譜略記163 半沢十郎左衛門の子。伊達から成実に仕える。
半沢久右衛門
- 馬上(蕨宍戸家文書)
半沢帯刀
- 馬上(蕨宍戸家文書)
半沢出雲
- 亘理世臣家譜略記254 伊達上名倉村から徒歩で仕える。
半沢左平治
- 徒行(蕨宍戸家文書)
半沢内記
- 徒行(蕨宍戸家文書)
半沢吉右門
- 新地御徒行組(蕨宍戸家文書)
引地清綱
- 亘理世臣家譜略記34 但馬。宗実入嗣の際、亘理へ。
樋口越前
- 亘理世臣家譜略記43 近江の出身。兵法の心得があり、実元に仕える。大森にて没。
樋口長勝
- 亘理世臣家譜略記43 六之丞。後に修理。樋口越前の長男。成実に仕え、亘理へ。御側向、中老、御物成調、御館惣御普請係を歴任。
樋口千久之助
- 亘理世臣家譜略記51 幼名小五郎。後に安右衛門。樋口越前の後妻の連れ子。樋口越前の願い出により、樋口越前の隠居領を相続。
樋口長光
- 亘理世臣家譜略記43 幼名善平。後、弥惣左衛門、左角。助左衛門。樋口長勝の養嗣子。出入司を勤める。退役の際に竹に雀紋付きの大小等を賜る。
- 大坂夏の陣に従軍(徒行)
- 最上御陣に従軍(徒行)
日根津
- 奥羽永慶軍記に登場。
平田石見
- 亘理世臣家譜略記94 伊達から仕える。
兵豆(兵頭)利右衛門
- 亘理世臣家譜略記28 宗実入嗣の際、御小姓頭として亘理へ。
兵豆市太夫
- 亘理世臣家譜略記102 兵豆利右衛門の弟。宗実入嗣の際、亘理へ。
兵豆十兵衛
- 亘理世臣家譜略記145 兵豆利右衛門の弟。宗実入嗣の際、亘理へ。志茂平右衛門の娘と結婚。子の代から志茂に姓を改める。
深田勝光
- 亘理世臣家譜略記20 甚五左衛門。半三郎。意楽。元蒲生氏郷の臣で四天王の一人。慶長3年蒲生家転封の後、成実のとりなしで仙台への出仕を図るが、成実が隠居したため、宗実に引き継がれる。宗実は勝光を亘理へ留め置き。高6貫文を与える。力自慢で宗実とはよく力くらべをした。
伏田小左衛門
- 亘理世臣家譜略記207 政宗側室(宗実母)柴田弘について亘理へ。
舟山左太郎
- 大坂夏の陣に従軍(徒行)
舟山弥左衛門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
古山五左衛門
- 馬上(蕨宍戸家文書)
本内主水
- 天正16年成実旗下の苗代田の守将。大内定綱の奇襲を受けて討死(政宗記)
本田平内
- 徒行(蕨宍戸家文書)
前田河勘五郎
- 元政宗の小姓。勘気を蒙り、成実に身を寄せる。安積合戦で活躍し、政宗の元へ復帰。
前田実信
- 亘理世臣家譜略記56 左門。図書。慶長4(1599)~正保3(1646)。幼児の頃から成実の膝元で養育される。慶長17(1612)、13歳で成実によって元服。「実」の一字を賜り、中老となる。最上御陣に従軍(馬上)。成実に殉死。辞世「をしと思う月にこころをおもい入りて かげもわが身もともに消えぬる」
父は最上義光の旗下、妻は伊庭野広義の次女という。
前田茂太夫
- 馬上(蕨宍戸家文書)
松倉佐七
- 大坂夏の陣に従軍(徒行)
松下仲左エ門
- 馬上(蕨宍戸家文書)
真柳長門
- 亘理世臣家譜略記22 成実に仕えていたが、成実出奔のため、あちこちに与力奉公をして過ごす。成実帰参の際はしばらくその事を知らずにいたが、志賀備後より声をかけられ、復帰。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
真柳六左衛門
- 最上御陣に従軍(馬上)
三浦佐坐都
- 亘理世臣家譜略記164 勾当。岩城御前の立花の相手をしていたため、岩城御前入嫁のあとに出仕。御相手を仰せ付けられる。
宮野良方
- 亘理世臣家譜略記50 成実に仕える。
宮野重長
- 亘理世臣家譜略記247 宮野良方の弟。別家をたてる。子孫は本苗の一宮を称す。
村木左馬之丞
- 徒行(蕨宍戸家文書)
村木美濃
- 伊達実元・成実に仕える。大坂の陣に従軍。貞享3年(1686)7月8日没。(亘理伊達家文書調査研究会成果報告書1 村木家文書28 「村木氏家譜」)
- 知行 1貫603文(亘理伊達家文書調査研究会成果報告書1 村木家文書 解題)
本内主水
- 二本松領苗代田の物頭。天正16年2月12日、大内定綱の攻撃により、討死。(治家記録・政宗記)
百井弥太郎
- 徒行(蕨宍戸家文書)
森九右衛門
- 大坂夏の陣に従軍(徒行)
守口庄左衛門
- 亘理世臣家譜略記123 伊達から仕える。
守谷弥太夫
- 亘理世臣家譜略記138 宗実入嗣の際、亘理へ。
守屋作十郎
- 新地馬上(蕨宍戸家文書)
門馬雅楽丞
- 亘理世臣家譜略記27 伊達から仕える。亘理入府の後は新地城代を勤める。
門馬惣之丞
- 新地馬上(蕨宍戸家文書)
門馬勘由
- 最上御陣に従軍(馬上)
屋代勘解由
- 亘理世臣家譜略記47 政宗に仕え、岩出山城代を勤める。成実出奔の際、角田を接収。後、改易され、成実に召抱えられる。
屋代三郎兵衛
- 亘理世臣家譜略記47 屋代勘解由の子。 兄弟の五郎左衛門重次は忠宗に召出され、仙台藩中の間屋代家。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
矢吹利兵衛
- 馬上(蕨宍戸家文書)
山木丹波
- 亘理世臣家譜略記133 伊達で実元に仕える。宍戸文書には「八巻」と記載。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
山木弥五右衛門
- 亘理世臣家譜略記133 山木丹波の子。成実に伊達から仕えるが、故ありて改易。
山木七左衛門
- 最上御陣に従軍(徒行)
- 徒行(蕨宍戸家文書)
山木太郎右衛門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
山木与右門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
遊佐佐藤衛門
- 亘理世臣家譜略記21 内蔵。下総(?)。上方の出身。畠山義継に仕えていたが、恨みあって実元を通して輝宗への仕官を図る。実元から八丁目へ呼ばれ、知行を賜る。また、政宗からも知行を賜る。ついに成実の家臣となる。
- 渋川近所の生まれ。渋川の戦いにて活躍。(政宗記「安達郡渋川戦之事」)
- 渋川城は遊佐氏の城であった(相生集・安達郡誌)
- 成実出奔時の角田城接収に参加(仙台志料「伊達成実高野に遁る」)
- 「実元は義継御懇意にて、絶えず双方より御音信あり。義継の御内、遊佐下総は兵部大輔かねて御懇ろなりとて、たびたび使いに遣わされ候なり」 (山口道斎物語)
遊佐常高
- 亘理世臣家譜略記21 佐藤衛門。成実出奔の際に伴をする。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
遊佐品高
- 亘理世臣家譜略記21 佐藤衛門。遊佐常高の長男。
遊佐路高
- 亘理世臣家譜略記42 又右衛門。遊佐常高の次男。遊佐常高の隠居領を継ぐ。
遊佐重勝
- 下総。遊佐佐藤衛門と同一人物か?正保年間(1644~1647)に八十歳前後だったという。
遊佐丹波
- 亘理世臣家譜略記88 元畠山義継の臣。人取橋の合戦で伊達に内応。家臣となる。遊佐重勝の兄。
遊佐勘兵衛
- 亘理世臣家譜略記171 遊佐佐藤衛門の次男。分家。
遊佐新右衛門
- 亘理世臣家譜略記229 遊佐佐藤衛門の三男。分家。
遊佐十左衛門
- 大坂夏の陣に従軍(徒行)
- 最上御陣に従軍(徒行)
- 徒行(蕨宍戸家文書)
遊佐弥太郎
- 徒行(蕨宍戸家文書)
湯澤善兵衛
- 「当邨に南館など云屋鋪あり。昔天正年中、伊達成実大森城山居城のとき其臣湯澤善兵衛と云人を爰に居しむと云へり」(信達一統志 南澤股邨 泉澤山久盛院の項)
- 「雷神祠 表邨(人家の名・武水註)の中にあり。天正年中伊達成実大森居住のときここに祭ると云。又南館湯澤善兵衛なる人修理す」(信達一統志 笹木野邨)
横山掃部
- 亘理世臣家譜略記109 庄兵衛。伊達から仕える。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
横山十兵衛
- 亘理世臣家譜略記128 横山掃部の弟。
- 馬上(蕨宍戸家文書)
横山仲次郎
- 亘理世臣家譜略記257 万之丞。伊達から徒歩で仕える。横山掃部の弟。
- 葛西の遺臣?
横山正兵衛
- 大坂夏の陣に従軍(徒行)
- 徒行(蕨宍戸家文書)
横山正之丞
- 最上御陣に従軍(徒行)
横山三右衛門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
横山仁左衛門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
横山市右門
- 徒行(蕨宍戸家文書)
蓬田長左衛門
- 亘理世臣家譜略記271 伊達から徒歩で仕える。
鷲尾治兵衛
- 亘理世臣家譜略記29 始め佐藤作右衛門と称す。宗実入嗣の際、御小姓頭として亘理へ。宗実から鷲尾治兵衛という姓名を下される
渡部三郎左エ門
- 元は須賀川二階堂家に仕える武士。成実の亘理町場建設時、召されて五日町の御除屋敷を与えられ、商売を営む。渡部屋。(亘理町史p310)