「申し上げまする――」
近臣の羽田右馬之助が低い声でそのことを成実に伝えたのは、会津黒川城西館で小次郎政道と会見している時であった。
小次郎政道は伊達政宗の弟、未だ少年の面影を残す若さでいぶかしげに成実を見ているが、右馬之助が注進の内容までは聞き取れなかったらしい。
成実が、
「お屋形さま(政宗)が火急のお召しとのことでござる」
となにくわぬ顔で言うと、合点した様子で
「今はお家の一大事、早う伺候いたせ」
とうながした。
かしこまって退出する成実を小次郎は一度呼び止めた。その時のけなげともいえる表情は長く成実の心に留まることになった。
「五郎よ――、しばらく黒川にいるならば兵法を教えてくれ。」
と小次郎は言った。
「心得ました」
と無理に笑顔を作って成実はその場を辞した。
時は天正十八年春。関白秀吉が小田原城を包囲しているときである。伊達家では、小田原に参陣して関白に恭順の意を表するか、奥州一の威勢をもって関白に対抗するかで意見が分かれていた。
片倉小十郎の献言により、五月蝿のような上方勢を敵にするは益少なしひとまず参陣、と決したものの、先年より惣無事令を発して私戦を禁じてきた関白に伊達家の戦の理が通るか、また今さらの遅参は咎とされぬか。政宗を総領とする伊達家はまさに危急存亡の秋を迎えていた。
政宗は片倉小十郎、大内定綱始め二十騎を小田原参陣の供に選ぶと、黒川城留守居には従兄弟にあたる伊達藤五郎成実を充てた。
成実このとき二十三歳。若いながらも度重なる戦に勇名を馳せ、勇武無双と異名を取っていた。成実は先の評定では一貫して主戦派であり、かれを黒川に残し置くのは上方勢への牽制として大きな力を持つ。
政宗は采配を成実に渡し、
「儂にことあらば、そなた伊達の差配をいたせ」
と命じた。
「いや、それがしはあくまで御留守居。無事のお帰りまでお預かり申し上げます」
成実は応えたが、これが今生との覚悟は往く側にも残る側にも隠れもない。家中一同、同じ思いで進発までの期日を準備に明け暮れる日々であった。
政宗の母・保春院は次男小次郎を溺愛し、政宗とはあまり仲がいいとは言えなかったが、このような状勢の中、なにか思うところがあったのであろう、政宗を自らの住まいである西館へ招待した。大事な参陣の前に、せめてもの心づくし、親子で膳を囲みたい、と言ってきたのである。
政宗もお袋様せっかくのお心遣い、とそれに応じた。
一方、成実は小次郎に留守居の挨拶をせねばならなかった。なんといっても政宗の弟である。政宗に万一のことがあれば小次郎擁立なるのが自然のこと。そうならば自分の役は後見人と成実は心得ている。また、政宗から差配を預かったからには、万一の場合の手配りを小次郎にしておく必要があった。
保春院の手許で育てられた小次郎は、戦場に出ておらぬせいか多少線が細かったが素直な気質で、竹を割ったような気性の成実とは馬が合った。米沢にいた頃は、小次郎に請われて武辺話などをしたり、剣の相手をしたりしたものだった。
挨拶に赴いた成実を小次郎はねぎらい、傳役の小原縫殿助に命じて酒肴を用意させた。そこへ羽田右馬之助が険しい顔つきで注進にやってきたのである。
政宗が保春院に毒を置かれた――。
そう成実に右馬之助を通じて伝えたのは片倉小十郎である。成実が本丸に駆けつけた時には、既に片倉小十郎、鬼庭綱元ら政宗の近臣が寄り集まって評議していた。命に別状無しと、医官から報告があり、一同は胸をなでおろした。議論の焦点は保春院の処置になった。
「御母堂でなければ即座に首討つものを」
みなそう嘆じて唸った。
西館は鬼庭綱元の差配で兵に包囲されている。
「五郎さま、小次郎さまはどうござりまするか」
片倉小十郎が問うた。
保春院が前々から小次郎の家督を望んでいたのは周知のことであり、それなりの賛同者もいた。この度の置毒は保春院の独断か、小次郎も知ってのことか、というのだ。
「何も知らぬ気であった」
成実は苦い心待ちで答えた。
「片倉よ、小次郎どのにも責を負わすか」
一同、黙考する。小次郎がなくば起こらぬ不祥事であるから、処断にも一つの理がある。また一方で、未だ政宗に子がない以上、事実上小次郎が嫡であるということも看過しえぬ。素直な気質であれば、いざ表に出れば重臣を無視して保春院のいいなりになるということもあるまい。
別れ際の小次郎の表情を成実は想起した。今ごろは兵に取り巻かれた西館の中で事態を知らされていることであろう。保春院にも小次郎にもその気になれば手勢の少々はある。最悪の場合、討ち死に覚悟の蜂起ということも考えられない事はないが、成実には、むしろ小次郎がそれを抑えているように思えた。
(――惜しい!)
偽らざる成実の思いである。まだまだ小次郎には武将として伸びる余地がある。
「御成りでござる」
小姓の声にみな平伏する。入ってきた政宗の顔は、まだ生気がない。
「……五郎は小次郎がひいきか」
成実の横を通るさま、ぼそりと言った。冷ややかな声に成実は背筋を凍らせた。
「……いかにも惜しいかと存じ上げる」
主君の不快は承知しながらも、見透かされているからには正直に言うしかない。
上座に着いた政宗は、息を大きく吐くと
「儂とて小次郎は惜しい。されど惜しいというからには、みな腹に落ちておるの」
と、居並ぶ近臣たちを見回した。去りゆくものであるからこそ惜しいという。小次郎の処分はこれで決した。
「では屋代勘解由を」
小十郎が淡々というのを、政宗が制した。
「いや、儂みずから申し渡す。勘解由とそちは供をいたせ」
余人には見せたくない、と政宗の表情が語っている。
政宗は屋代勘解由に小次郎の成敗を命じたが、勘解由が固辞したため手ずから討ったという。政宗の腕にはまだ力が入らず、一撃では絶命に至らなかったため、勘解由がとどめをさした。
成実は小次郎の遺髪を手に、西館へ赴いた。政宗から小次郎成敗の次第を保春院に申し渡すよう、命ぜられたからである。その後の保春院の監視も成実の仕事であった。
ちょうど一日前、小次郎と会った同じ座敷であった。
保春院は、盆に乗せて差し出された遺髪をそのままじっと凝視めた。
「罪なきまま、逝ったか……」
「立派な御最期と承りました」
ついで、成実をきっと睨む。
「黒川留守居はそなたか、五郎」
「それがし承ってござる」
聞いた保春院は、なぜか歪んだ笑みを浮かべた。
「よかったのう、五郎。これでそなたが嫡じゃ」
成実の顔にみるみる朱がさす。思わず腰を浮かせて成実は叫んだ。
「なんということを! この成実、一度たりとそのようなことを思うたことはない!」
「それ、その傲慢じゃ。妾は仮にも当主の母。如何に頭に血が上ったとて、そのような口の聞きようがあるか」
「小次郎さまを殺めたは、保春院さまの御短慮じゃ。何故に毒を置かれた」
「吟味がそなたのお役目か?」
問われて成実はぐっと詰まる。保春院の顔から笑みが消え、悲しげに目をふせる。
「藤次郎もそなたも、いまだ子を持たぬゆえ、親の心はわからぬであろう」
しばしあって、再び保春院は成実を見据えた。
「――五郎どの。さいぜん妾が申したこと、そなたの父御が生きてあればそう思うたであろうよ。そなたがどう思おうと、政宗どのになにかあればそなたが嫡――。その覚悟でこの難事にあたっておくりゃれ」
さきほどの挑発的な様とはうってかわって、教え諭す口調に、成実は意外な思いで見つめ返す。
「妾はどうなさる?」
「なにも」
「なにもとは、どういうことか」
「とのは何も、処分を仰せつけられぬ。母御には母御の思いがあろうが、子にも子の思いがござる。以後は事無きよう、この成実が監護いたすが、つつがなくこの城で暮らすよう、との仰せでござった」
保春院は、一瞬驚いたように目を見張った。
「小次郎さまの御遺髪、然るべき供養もしてさしあげられぬ、とののせめてものお気持ちでござる。お受け取りなされ」
ここで初めて保春院は涙した。遺髪を凝視めたまま、はらはらと涙がこぼれおちる。成実は保春院の情の強さをしみじみと感じていた。まだ若い成実には、配偶者を亡くしまた子を亡くした者の、ましてや女性の悲憤も感慨も理解するのは難かったが、自分がこの場にいる限り保春院は号泣することができないであろうとは察しがついた。 成実は部屋を辞した。雨が庭の緑をしとどに濡らし、苔の色を濃くしていた。
政宗が黒川を出立したのは五月であった。梅雨のこととて、雨はやんでいたものの重たい雲がたれこめていた。
「必ずや無事のお帰りを――」
成実を始めとする留守居の衆は出陣の作法で御大将を見送ったが、いざ出立の段になると口々にそう叫んだ。
「五郎、留守中の差配お頼みする」
政宗は足を止め、成実に言った。成実は預かった金の采配を頭上に捧げ、畏まる。ついで政宗は臣を見まわし
「みなの衆――政宗、参る」
言うや馬上の人となった。不敵な覇者の顔が笑みを浮かべ、軍配を振る。
「――出立」
法螺の音が響くと同時に、軍配を振った先の雲が切れ、蒼天がのぞいた。その蒼天の方へ軍勢が消えるまで、ずっと成実は凝視め続けていた。