床に、具足が飾られている。
伊達軍の例に漏れず、黒を基調にした鎧である。
――黒に。
と初めに言ったのは、若き日の景綱であった。
自らが傅役として仕える、伊達の若殿の初陣に供奉するため、景綱は家計を無理にやりくりして、自分も具足をあつらえた。
その時に鎧師に色目を聞かれ、そう答えたのだ。
今、床に飾られている具足とは比べもつかぬ粗末なものだが、ひとしおの喜びをもってそれを着た。
華やかな色の糸で縅した具足を着た若殿――伊達政宗は、黒一色の片倉景綱を見て、
「なんだ、それは」
と驚いた顔をした。戦場では華やかなものが好まれる。景綱の軍装は異様に見えた。
そして政宗は、ぷ、と笑ったのだ。
「そちは一人で、鴉軍のつもりか」
身体中に嬉しさが沸き起こり、景綱はにっこりと微笑んだ。企図したところを正確に、主は汲み取ってくれたのだ。
――鴉軍。
いにしえ。唐の猛将・李克用の軍隊はそう呼ばれて恐れられた。
その真っ黒な軍を率いるのは、独眼の竜。
片目の将軍李克用の名は、どれだけこの主従を奮いたたせてきたことか。
政宗の旗本から始まった黒の軍装は、いつしか伊達軍全体の習いとなった。
5枚の鉄板に黒漆を塗った胴を、今や仙台胴と呼び慣わすほどだ。
そしてかの日の若殿は、いまや人も呼び我も呼ぶ独眼竜。仙台の大守となった。
床に、具足が飾られている。
色は黒だが、これはいわゆる仙台胴ではない。
小さな札を一つ一つ威して作ってある。
ゆえに、軽量である。
天下分け目の関ヶ原。
後にそう呼ばれる戦いを、伊達勢は遠い陸奥で上杉氏との戦で迎えた。
この戦で武力占領した土地が、徳川家から「加増」という形で追認され、それが今の仙台藩領として確定したのだから、ある意味南奥の覇者を決める戦であったには違い
ない。
「すっかり首に縄をつけられたな」
戦と時を同じくして南部領の南端で起こった、和賀一揆へのてこ入れを口実に、100万石のお墨付を反故にされた政宗は、そう言って苦笑した。
「北も南も、というのは欲をかきすぎたかもしれませんな」
と、言いはしたものの、これは景綱にとっては痛恨事だった。
上杉から本貫――伊達郡を取り返す暇もあらばこそ、あぁもあっさり、石田方と徳川方との決着がつこうとは!
戦のあと、糸が切れたように景綱は体調を崩した。
床に、具足が飾られている。
政宗が、景綱の体調を慮ってあつらえた、軽い具足である。
景綱は肥満した。
決して健康な肥えようではない。
白くむくんだ身体が、肥満して見えるのである。
起き上がることさえ億劫な日が、次第次第に増えてゆく。
大坂の陣触に、景綱は具足を手に取り、そして涙した。
その軽い具足を、持つことができない。
指は重く震え、腕は上らない。
せめて嫡子の重綱を先陣に、という願いを聞き届けた政宗は、大坂への途上、景綱の居城へ立ち寄ってくれた。
ともに幾多の戦をくぐり抜けた、白地に黒釣鐘の旗。その旗を主の前で息子に譲った。
重綱が退出し、人をも払って二人になると、政宗はそっと言った。
「此度の戦は、儂の戦ではない」
高麗御陣のときもそうだった。ただ人の手駒となって働くだけの戦。それでも戦で、病で、人は死んでいく。
「近頃の若い者にはよい経験になるだろうが――」
身体を労われ、しっかり養生せよ、と政宗は言った。帷幕に景綱が策をめぐらす、政宗の戦の為に。
景綱は弱く頷いた。
――伊達政宗の戦。
まさにその為に、景綱は今まで生きてきた。政宗の野望は、景綱の野望でもあった。
戦の誉れは、人生の花であった。
「小十郎(重綱)を――わが身と思し召して、召し使うて下されませ」
その言葉を言うのに、ひどく力がいった。
伊達勢の出立を祝するため、景綱は輿に乗って城門へ出た。
活気にあふれた黒い隊列が次々と進む。景綱はじっと輿に乗っている。
隊列が道の果てへ消えてゆくのを、景綱はひとり見送った。
床に、具足が飾られている。
その黒い具足は床に飾られたまま、用いられることがない。
景綱は、具足を飾った部屋に床をのべさせた。戸板でわが身を運ばせて床に入る。
視線を横に向けると、その具足がよく見えた。
大坂で軍功をたてて凱旋した重綱を、景綱は城へ入れようとしなかった。
それは嫉妬であったろう。
景綱は、ついにこの具足に袖を通すことができなかった。政宗の戦には、いつもともに在ったのに。
その座を息子に譲り渡そうと――いや譲り渡した覚悟に、わざわざ主の前で旗を渡し、息子を自分と思うて下され、と請うたというのに、なんというざまだ。
景綱は自嘲した。
少し――うとうととして目覚めると、横に重綱がいた。
「――誰が、許した」
枕元で医師の喜庵が目を泳がせた。
「――よい」
旗は、政宗の側にあったのだ。その功(いさお)も隠れもない。
床に、具足が飾られている。
政宗から賜った具足である。
「なお身命を全して、進退の下知つかまつるべし」
と、手ずから賜った具足である。
景綱がこの白石に在る間、その具足はずっと床に在り、景綱とともに世を見据えてきた。景綱は微笑んだ。
「――を、……あれに」
孫子。景綱が歩小姓として召抱えられたころ、務めの合間をみて、輝宗の文庫で必死に書き写した。
立派な本があったのに、政宗は景綱の写本をよく読んだ。どのような戦にも、肌身離さず持ち歩いた。
それは、重綱の手で、そっと具足の横に置かれた。
床に、具足が飾られている。
釣鐘の旗を横に、孫子を傍らに。
陸奥の鴉軍は独眼竜とともに、確かに天下に名を轟かせた。
景綱は静かに目を瞑った。
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