猪苗代湖を渡る風が雲を吹き散らしてゆく。 
      南西に覗く空の青が、だんだんとその面積を増していた。 
      まだ水面の見える水田が光を浴びてきらめく。 
      (――きれいだ、) 
      と、伊達成実は、山を下りる道から猪苗代の光景を見つめた。 
      だが、その田を耕す百姓たちは、山の中へ引き退いている。 
      まもなく合戦が始まるからだ。 
      (――会津に入る、) 
      と、成実は身を震わせた。気持ちが昂ぶるのを抑えられない。 
      会津を攻略するのは長年の悲願だ。今回訪れたようやくの好機。だがそれは大きな賭けでもある。それゆえ、よけいに気が逸るのだ。 
      「駆けるぞ」 
      成実は猪苗代城に向かい、馬腹を蹴った。 
      この地を領する猪苗代弾正盛国は会津守護葦名氏の同族であるが、ある時は属し、ある時は反し、表裏一定しない。盛国に言わせれば猪苗代が大事なのであって、誰かに属するか否かはその命題に従って選ばれるもの、ということなのだろう。 
      そのようにして猪苗代氏は四百年間この地に暮らしてきた。そして盛国は今回、伊達に属することにしたというわけだ。 
      伊達の当主は独眼竜と異名をとる、後の仙台藩祖・伊達政宗だから、盛国の今回の選択は慧眼であった。――もっとも、この時期の政宗は若さにまかせて仙道を突き進む奔馬のようである。 
      成実はその政宗の片腕として勇を奮う生粋の伊達一族、政宗の従兄弟にあたる。二十歳を少し過ぎたばかりの年の若さに似合わぬ戦巧者として知られていた。 
      猪苗代城の門の前に、先行した片倉小十郎が見えた。政宗の傅人あがりのこの男は、出自こそ低いものの 
      「智恵の小十郎」 
      として名高い。例えば、十の課題をこなそうとすると、一つや二つはうまくいかないものだ。 
      「全て成るのは片倉ぐらいのものよ」 
      と、成実は身分の差を忘れてつねづね賞賛していた。 
      小十郎の横に並ぶ初老の武将が猪苗代弾正盛国であろう。 
      ひらり、と馬から降りた成実は、盛国に軽く会釈をし、 
      「お初にお目にかかる。五郎成実でござる。お出迎え感謝いたす」 
      と、歯切れよく言うと、迷うことなく陣所の上座に席を取った。 
      猪苗代盛国が伊達に内応したのは、成実の差配である。互いの家老(としより)が知己という関係から、好誼を通じていた。   
      「此度は先年の約定を快くお取次ぎいただき、有り難く存ずる」 
      猪苗代盛国はそう言って鬢の白髪を一つ撫でると、軽く頭を下げた。 
      政宗が家督してまもない天正十二年にも、成実は猪苗代盛国を誘ったことがある。 
      盛国は当時、 
      「会津北方半分をくださるならば」 
      と応じてきたが、倅の猪苗代盛種はじめとする家中の反対があり、頓挫した。 
      もとから盛国は倅と折り合いが悪い。 
      嫡子でもある盛種は、死んだ先妻の腹だ。この生真面目で潔癖な気性の若武者は、若い後妻に鼻の下を伸ばし、向背の定まらない父親とことごとく対立した。 
      盛国は一旦隠居をしたものの、ついに昨年、盛種が会津黒川へ伺候した隙に猪苗代城を占拠し、半独立の状態を保っていた。 
      南進を企てる伊達政宗に、佐竹義重を旗頭とした葦名・岩城・石川・二階堂の諸家が連衡して対抗しているのが、今の情勢である。 
      成実は、 
      「盛国を再度誘いたい」 
      と政宗に言上した。北の境目である最上・大崎表の状況が落ち着き、南の前線である田村表にほんの少しだが、ゆとりができた。会津葦名家の当主義広はまだ若年。しかも養子の身であるから、連合する諸家の中では組みしやすい。 
      政宗は即座に快諾した。使者が発って三日後には盛国の返事が届き、その日のうちに片倉小十郎が猪苗代へ向かった。 
      猪苗代は会津から仙道に至る要衝。南に湖、残る三方を山に囲まれているが、葦名義広の居城・黒川へ至る道がややなだらかであり、いわば会津の喉元と言ってよい。 
      この切所を確保すべくの、素早い行動だった。 
      二本松にいた成実の元には、猪苗代へ向かう途中の小十郎が駆けてきて、これを報せた。 
      「おれもすぐに発つ」 
      聞いた成実は、すぐに立ち上がると、 
      「片倉に遅るな、急げ、急げ――」 
      小具足に着替えて馬にうちまたがった。 
      が、あまりの早さに兵が集まらない。途中、兵が追いつくのを待ちながら、小十郎に遅れること一日にして、猪苗代に着いた。 
      「さて、まずは知らせねばならんことがある」 
      成実は表情(かお)を引き締めて、盛国と小十郎を見た。 
      「此度の弾正どのの次第、須賀川へ早、聞こえたぞ」 
      「それでは――」 
      小十郎が成実を見返した。 
      政宗の攻略に対抗し、佐竹・葦名・二階堂の三家は、仙道から田村を攻めるため、須賀川に出陣していた。政宗はそれに対し、伊達・信夫・刈田・柴田の勢を田村へ差し向け、自身も本宮へ向かう予定にしている。 
      しかし、猪苗代盛国の謀反を知った葦名義広は、会津黒川城へ馳せ戻ったのである。 
      小十郎に一日遅れた成実は、その途上、草によってそれを知った。 
      「葦名義広が留守の間に、黒川を落とそうと思うたが、そうはゆかぬようだ。明日はこの猪苗代へ寄せてこよう」 
      義広が黒川へ戻り、仙道に残った佐竹・二階堂が本宮まで進出すれば、猪苗代は孤立する。 
      今、郡山はかろうじて伊達家の勢力圏内となっているが、開けた盆地のこと、実際には巨大な緩衝地帯である。守りを固めようとすれば、田村の警護に兵を割いた伊達勢は本宮まで退却せざるをえない。 
      すなわち、成実・小十郎・盛国はその手勢だけで、ここ猪苗代を支えねばならないのである。ありていに言えば袋の鼠に等しい。 
      「昨日も黒川勢が寄せる噂はござりましたが――、今日も噂ではござりますまいか」 
      小十郎が思案顔で言うと、盛国が、ふ、と笑みを浮かべた。 
      「手切れこそいたさぬものの、この弾正が義広の旗下にないことは、倅を追い出したときから会津のいずれもがご存じのこと。そのような噂は絶えずござる。義広自身寄せて来られるならば、こちらが黒川へ出向く手間が省けて重畳と存じまする」 
      会津と一戦交える用意と覚悟はいつでもある、という。 
      「――よう云うた、弾正どの」 
      成実は莞爾と微笑んだ。 
      「会津猪苗代は不案内ゆえ、案内を頼む」 
      さ、と立ち上がると、成実は陣幕の外へ出で、声を張り上げた。 
      「竹に雀の旗立てよ、会津を見物にゆくぞ!」 
      やや小柄な身体から出る大音声に、陣の全員がどよめいて鬨の声を上げた。 
 猪苗代から会津黒川へ向かうといくつかの丘陵が連続し、やがてやや開けた摺上原という扇状地に出る。 
      物見に出てきた会津勢が、少し攻めかかる姿勢を見せたが、鉄砲を向けると、民家に火をかけてすぐに姿を消した。 
      「猪苗代の横目に付けられた佐竹衆でござるよ」 
      一瞥した盛国が軽蔑したように言った。 
      今の葦名当主・義広は佐竹義重の子息である。養子入りの際に付いてきた佐竹衆と、土着の会津衆は互いに反目していた。盛国が伊達を選んだ理由の一つに、佐竹衆への反発もあったに相違ない。 
      摺上原の西端まで進むと河がある。猪苗代湖から流れ出る唯一の河――日橋川である。 
      梅雨時の増水で水かさが上がり、轟音がたつ。 
      橋を渡れば再び山地がはじまり、河は山の中へ谷を穿ちながら激しく流れ込んでいた。 
      「この河が猪苗代の西の切所でござる」 
      橋なしで大軍が渡河するのは、至難の業であろう。会津勢と戦う際の第一の要害となる。 
      成実は北にそびえる磐梯山を見上げた。 
      山を越え、檜原へ出れば伊達領だ。  
      檜原から大塩・喜多方を経て黒川へ向かう道は、かつて何度か伊達家が会津への侵攻を試みた道でもある。政宗も家督早々にこれを試み、成実と盛国の縁もその時以来である。 
      この時に当時葦名方であった檜原を得たが、関柴の合戦で敗退し、以来、後藤孫兵衛がこの境目の城番を勤めている。今回は原田左馬助・新田義綱が加勢に行っているはずである。 
      檜原と谷一つ隔てた堂場山は、未だ葦名方の穴沢一族が固めている。 
      「小十郎、檜原と繋ぎは取れたか」 
      「手はずは整えておきましたが――」 
      政宗がいよいよ会津を攻めんとしていることは、春から噂になっている。    
      大森に政宗がいる段階で檜原が動けば、また此処からの侵攻と会津は思うであろう。大森から檜原までは二日だが、猪苗代へまわれば三日ないし四日かかる。 
      檜原口を陽動として、猪苗代から成実・小十郎が黒川を衝くつもりもあった。だが、義広が会津に戻った以上、米沢を含む長井の衆の多くが田村に来ており、政宗が本宮に向かっていることも知られているだろう。 
      ゆえに檜原の役目は、穴沢一族に睨みを聞かせて裏磐梯の街道を確保することに変わる。 
      それを伝える使者は今頃、川を遡って檜原に向かう道を懸命に駆けていることだろう。 
      「檜原の衆は口惜しく思いましょうな」 
      そう云いながら、小十郎もまた、秀麗な稜線を見つめた。  
      
      「さて、如何する」 
      猪苗代城に戻った三人は膝をつき合わせた。 
      予想される寄せ手よりも、こちらの人数は遙かに劣る。 
      「日橋、でしょうな」 
      河の使い方だ、と盛国は云う。橋を落として軍勢の侵攻を阻むのが定石だが、 
      「さらなる援軍の見込みは――」 
      盛国はじっと、成実を見た。 
      成実は苦笑した。 
      「期待せんでもらおう」 
      仙道・田村を支えて、なおこちらに割けるだけの兵力は伊達家にはない。聞いていた小十郎が眉を寄せている。が、正直に言ってしまうのが成実の気性なのだ。 
      「と、いうことは、橋を落として猪苗代に籠もってもしかたありませんな」 
      盛国が小さくためいきをついたように見えた。 
      「不足のない戦はするつもりだが、おれと片倉を捕らえて会津に詫びをいれるかね」 
      成実がさらりと云うと、盛国はかぶりを振った。 
      「馬鹿息子が会津におりますでな」 
      盛種に、そして佐竹出身の義広に頭を下げるのは頭を下げるのはごめん蒙る、馬鹿息子ながら敵味方に分かれた上は猪苗代の家名が滅ぶ心配もなし、負けたときの堪忍分も伊達家が保証してくれた、 
      「このうえは隠居のわがままを通すまででござる」 
      盛国は早口にまくしたてる。 
      (――こやつは城をのっとっても隠居のつもりでいるのか) 
      盛国の図々しさに、成実はむしろ好感を覚えた。 
      「さらば、弾正どのの仰せのとおり、寄せ手にはこちらに来てもらうが上策と心得ます」 
      小十郎が絵図を食い入るように眺めながら、摺上原を指した。 
      盛国と成実も絵図の摺上原を見た。 
      「確かにそこで迎え討つほかないが、――上策とは」 
      盛国は怪訝な顔をした。盛国は消去法でそう考えているに過ぎない。 
      成実は続きを促した。 
      「寄せ手が河を渡った後、弾正どのは橋を落として下さりませ」 
      するり、と小十郎の扇が橋に動いた。成実は唸った。 
      「退路を断つか」 
      「はい」 
      「それで勝てるか」 
      「必定にござります」 
      なんでもないことであるかのように、小十郎が云う。方便は使うが、気休めを云う男ではない。 
      「所以を聞こう」 
      成実は腕組みをした。 
      「安積・郡山と何度か佐竹・会津と戦をして参りましたな」 
      小十郎の目に闘志の光がゆらめいていた。涼やかに見える外見とは裏腹に、激しい気性の持ち主なのだ。抑えた声音ながら、語気の鋭さにもそれが見てとれる。 
      「きゃつらがその気になれば、伊達勢などひともみ――さりながら、その気を合わせぬ烏合の衆。会津勢に限ってもそれは同じ。弾正どのと思いを同じうする者が数多くおります」 
      当主義広の実家から来た佐竹衆と、昔からの会津者はうまくいっていない。会津勢の士気は低く、怪我せぬ程度に戦うつもりのものが多いはずだ、と小十郎は云う。 
      「退路を断った上で、先陣をくだけば逃散いたしましょう」 
      「それを、おれにやれ、と云うのだな」 
      また小勢で大勢をくじけ、というのか、と成実は目を大きく開き、愉快そうに笑った。 
      がっちりと兵を固め、堅実に相手をやりこめるのも成実はそつなくこなすが、寡兵を以て寄せ手の軍勢を突破し、相手を混乱に陥れる成実の勇姿は、かの人取橋合戦で敵味方の眼に焼き付いている。 
      ――まるで鬼神のようだ 
      と、評される猛烈な働き。 
      政宗自身が討死をする覚悟を決めたほどの乱戦を、伊達家がしのいだのは、成実の働きのおかげ、と言っても過言ではない。 
      以来、伊達の軍勢は成実が先頭に立つだけで、燃え上がるような士気をたぎらせるようになった。 
      成実自身は 
      (あれは若気のいたりだ) 
      と思っている。相手をくじいても、寡兵は寡兵。それだけで戦況を変えるには強力な武運が要る。しかし、武運を呼び込むのは兵の士気であることも、成実はよく知っていた。 
      「はて、義広の留守に黒川を落とすは、もとよりそのおつもりと思うておりましたが」 
      小十郎がすました顔で言った。 
      確かに佐竹と義広につきかねている会津衆の横面をはたいて伊達につかせる、という意味では同じではある。 
      「よし。では同じことなら、狙うは義広の首だ」 
      成実が勢いよく云うと、 
      「重畳、重畳――」 
      盛国が大仰に膝を叩いた。 
 雨の中、政宗の使者が駆けてきたのは次の日のことだった。 
      盛国はちょうど周辺の国人衆を説きに出かけ、猪苗代の城には成実と小十郎がいた。 
      布施清左衛門というその者は、安子ヶ島から来た、と云う。 
      「――安子ヶ島」 
      成実と小十郎は顔を見合わせた。 
      政宗は、出馬するのは本宮まで、と云っていたはずだ。安子ヶ島は会津に入る中山峠の入り口、ずいぶん突出している。 
      (――なぜ、そんなところにおわす) 
      二人はともにそう思ったが、答えもまた自明であった。 
      (――ご自身で会津を討ちたいのだ) 
      幼いころ止々斎葦名盛氏の威勢に憧憬を持った会津、家督直後に試みて果たせなかった会津、仙道諸氏がその力を怖れ若い政宗を侮る所以となった会津である。 
      ――会津を得るのだ! 
      という昂揚は、成実・小十郎ともに持っている。 
      だが、「勝てる」とは云うものの、それが断崖の上に張られた綱を渡るようなものであることも確かなのだ。もちろん渡りきるつもりではあるが、総領の政宗までが、そんな危ない橋を渡ることはない。 
      果たして、布施が持参した書状には、 
      「佐竹義重は田村表に働いているが、人数を多く差し向けているので心配ない。それよりもそちらに何かあったら、これまでやってきた甲斐もない。政宗自身猪苗代へ参る」 
      とある。 
      「して、お屋形さまには早、猪苗代へ発たれたのか」 
      小十郎が布施を問いつめた。 
      猪苗代へ政宗が入れば、仙道は境目の城を固める小勢ばかり。佐竹の進軍を阻む者がいなくなる。それどころか政宗自身も山中に取り籠められ、出口を失うことになりかねない。 
      「いえ、安子ヶ島にて猪苗代ご出馬を仰せ出されましたが、お歴々のご異見あって、猪苗代表の意見を聞いてこよ、との仰せにござります」 
      小十郎は少し安堵した顔で、成実の方を向いた。 
      「如何いたします。ご出馬はありがたけれども、良いことばかりでもござりませぬ」 
      「――決まっている」 
      成実は強い調子で即答した。 
      「安子ヶ島でも先に過ぎるに、猪苗代表へのご出馬はご無用。ことあらば昼夜分かたず早馬を差し上げるゆえ、此処は我らにおまかせあって、願わくば本宮にご在馬あるべし。我ら両人とも、ご出馬は遠慮申し上げる」 
      きつく云いおき、書状にもそうしたためて、布施を安子ヶ島へ返した。 
夜になって、小十郎が慌てて成実の陣所へやってきた。 
      「お屋形さまご出馬にござりますぞ」 
      成実は耳を疑った。 
      「偽りではないのか」 
      小十郎も険しい表情を浮かべている。 
      「物見が確かめて参りました。中山峠から白石さまらがこちらに向かっております。間もなくこちらへ到着なさいます」 
      「援軍は、まずは有り難いといっておこう。したが、お屋形さまは――」 
      白石宗実らが、ということは政宗は同行していない、ということか。 
      「十数騎にて石筵越のよし」 
      小十郎が続けて云った。  
      安子ヶ島からは、石筵から母成峠を越え、猪苗代へ入る間道がある。中山峠を越えて猪苗代に至る越後街道にくらべ、遙かに細く、険しい上に距離も長い。 
      戌辰戦争の激戦地として著名なこの道は、今の国道115号線に相当する土湯街道と途中で合流する。 
      土湯街道はかつての成実の――今は小十郎の居城である大森と猪苗代を結ぶ最短経路でもある。成実が猪苗代と連絡をとっていたのも、この道だ。 
      そしてこの道はさらに、猪苗代寄りの酸川で、檜原と連絡する山道にもつながる。 
      そもそも大軍の通れる道ではないが、政宗が小勢でこの道を採ったのは、大森や檜原との連絡を確認しておこうとした所為か。または、仙道から離れることを隠すため、密かにこの道を先発したものか。 
      (――それにしても) 
      成実は顔をしかめた。 
      なんと馬鹿なことを、と舌をうちたい。進んで危険に身を投じるのは、総領の仕事ではないだろう。 
      「やむをえん、お迎えに参ろう」 
      成実は立ち上がって外へ出た。 
      月は既に沈んだ闇夜である。 
      十数騎を供に連れ、松明をかかげて進んだ。小十郎と、案内役の盛国も一緒である。 
      酸川野というところまで来たとき、小十郎が 
      「――あれに」 
      と指さした。 
      闇の中に、さらに濃い闇の山がある。 
      その闇の中を、灯火の列が見え隠れに近づいてきていた。 
      成実は馬を降り、その灯火の列を眺めた。小十郎が、盛国が、皆が馬を降りてその隊列を見た。 
      眺めているうちに、不意に目頭が熱くなった。胸も熱い。 
      (――まことにお越しになった!) 
      成実は身じろぎもせず、手綱をきつく握りしめて灯火を見つめた。 
      周りの兵からも、 
      ――おお、 
      と、声が起こった。猪苗代盛国などは、顔をくしゃくしゃにしている。 
      小十郎が兵に指示して、猪苗代城へ先導を始めた。 
      列の後ろの方に、松明に照らされ、黄金の日月が浮かびあがった。 
      政宗の馬験と前立である。 
      「――来たぞ」 
      と、政宗が馬上から声をかけた。 
      盛国が必死に御礼の口上を述べていた。 
      「ご出馬はご無用と申し上げたはず――」 
      危ういことをするな、という忠言をあっさり無視されたことに、成実は苦情を云った。だが政宗には強がりにしか聞こえまい。実際、胸が踊り口角があがる。 
      「つれないことを云うな」 
      政宗の声が快活に弾んでいる。 
      「それよりも、飯だ」 
      夕飯を食わせずに来たからな、と政宗が言い終わりもせぬうちに、 
      「承りまして」 
      盛国が伝令を城に走らせた。 
      「――弾正」 
      と、政宗がその背に云った。振りむいて畏まった盛国の前に、政宗は駒をとめ、一人の少年を連れてこさせた。 
      「松王丸をお返しする」 
      三日前、盛国が会津と手切れした時に、人質として政宗に差し出した愛息である。 
      膝をついて愛息と政宗を何度も交互に見た盛国は、大きな涙をはらはらと落とすと、松王丸をぐっと抱き寄せた。 
      ややあって身体を離し、涙をぬぐった盛国は、 
      「今ひとり倅がおれば、それをも質に差し出すべきところ。この松王はやはり質としておとめ置かれ下さいますよう」 
      と、松王丸を押し返した。 
      成実は眉をひそめた。 
      「弾正どの。お屋形さまが、返す、と仰せなのだ」 
      だが、盛国は、重ねて政宗に云った。 
      「それがし、決死の覚悟にございますれば、是非に――」 
      つまりは戦がどう転ぼうと、松王丸の命の保証をしておきたいのだ。 
      政宗は一笑した。 
      「いいだろう、そのつもりで働いてもらうぞ」 
      こうして松王丸は大森に戻されることとなり、政宗が猪苗代城に入ったのは、深更であった。 
 明くる朝の軍議の中途である。 
      書院に絵図を広げて、先の小十郎の案を手直しし、陣立てをほぼ決めたところであった。 
      「――会津勢が寄せて参ります」 
      物見からの一報に、席がざわめいた。 
      「また偽りではあるまいな」 
      成実は念を押した。猪苗代に入ってからというもの、絶えずこの報が入る。噂と誤報が入り乱れているのが実情だ。 
      だが、使いの者は興奮した声で 
      「早、旗が見えております」 
      と叫んだ。 
      なに、 
      と、成実は立ち上がった。小十郎が、盛国が、軍議に参加した将たちがみな、続いて立ち上がり、書院の西の回廊から、会津の方を見た。 
      確かに小さく、色とりどりの旗の集団がいくつか、猪苗代の野のそちこちに動いているのが見て取れる。 
      血が沸くのが、わかった。 
      成実だけではない。皆が唾を飲みこみ、気の昂ぶりを押さえ込んで会津勢を見据えていた。 
      お屋形さま、 
      と、振り返ると、政宗の姿が書院にない。 
      小姓に聞けば、櫓へ上ったという。 
      「――方々」 
      成実は声を張った。 
      「各陣所にて油断なくご用意なされよ」 
      一旦、言葉を切って諸将を見回す。視線が成実に集まった。 
      「お屋形さまに働きの旨、言上してまいる」 
      応、と力強く応じる声を背に、成実は櫓へ急いだ。 
      政宗の上った櫓からは、摺上原がよく見えた。 
      日橋を越えて会津勢が陣を展開してゆく。 
      西からの風が強さを増している。政宗はその風に身をさらして、摺上原の方を睨んでいた。 
      政宗の横に、成実は膝をついた。 
      「お屋形さま――、いよいよでござる。御人数催されしかるべし」 
      政宗はしばらくの間、振り返らずに前を睨んでいた。 
      その膝裏がかすかに震えているのを、成実は見た。 
      負けることも手間取ることもならぬ大勝負である。 
      自らの決意を反芻するかのように、ぎりりと歯を噛みしめたあと、政宗は摺上原を指し、 
      「――出陣」 
      と、叫んだ。 
出陣の太鼓が、陣所へ駆け戻る成実の後を追う。 
      陣所では兵たちが、今や遅しと準備万端整えて成実を待っていた。 
      ぞくぞくと摺上原へ押し出す伊達勢の陣立は、今朝の軍議で定まるとおり、 
一番 猪苗代弾正盛国 
      二番 片倉小十郎景綱 
      三番 白石右衛門宗実 
      四番 伊達藤五郎成実 
      五番 政宗 旗本 
      六番 浜田伊豆景隆 
      左手 大内備前定綱 
      右手 片平助右衛門親綱 
である。 
      返り忠した猪苗代盛国は、真っ先に会津勢に当たり、その忠誠を試されることになる。 
      前方で鉄砲をつるべに撃つ音がした。 
      会津の先陣と、猪苗代勢・片倉勢が出会ったのである。 
      流れてきた硝煙が、つん、と鼻をつき、目が痛む。 
      西からの風はますます強い。空に雲が筋を引いて走ってゆく。 
      (――よくないな) 
      成実はほんの一瞬、眉を寄せた。が、口調はかえず、押せ、押せ、と強い声で下知しながら、白石勢と歩調を合わせ、片倉・猪苗代の後ろについた。  
      風に向かって進む伊達勢には、煙や砂埃が容赦なくふきかかる。矢も鉄砲も風に押され、射程が伸びない。 
      二度目のつるべ撃ちとともに、敵方の旗がどっと、味方の勢に駆け入るのが見えた。小十郎の旗、盛国の旗が大きく乱れ、倒れ靡いた。歩卒がてんでに散り逃げる。 
      「弾正どの、さがれ――」 
      成実は槍ふすまで地を叩き鳴らさせ、猪苗代勢と入れ替わった。 
      「かたじけない」 
      すれ違いざま、猪苗代盛国が謝意を叫んだ。 
      「日橋の手筈は」 
      問うと、 
      「ぬかりなく!」 
      と盛国の答え。成実は、応、と返すと、さらに兵を進めた。 
      槍で叩かれ、ひるんで退いた敵に、片倉勢と入れ替った白石勢が鉄砲を浴びせる。鉄砲隊を先に突出させ、横合いから撃つあたりが戦巧者の白石宗実らしい、と心強く思いながら、隊伍を揃えて真一文字に衝きかかる。 
      先陣こそ勇猛に衝きかかってきたものの、会津勢の他の備の動きは鈍い。弾正の云っていたとおり、戦の成り行きを見ているのだろう。 
      伊達勢を悩ませていた西風は、いくぶん弱まってきたようだった。葦名義広の本陣を指呼の間に入れたとき、敵方の太鼓が鳴り響いた。会津の旗本が一斉に鉄砲を撃ち、突進してくる。のみならず、義広の馬験が前進しようとしていた。 
      (――若いな) 
      成実は義広の動きを見て、そう思った。義広はまだ十五歳である。 
      大将が真っ先かけて士気を鼓舞する。安直だが、効果的な方法だ。だがそれも、命を預けてついてくる兵がいればこそ、だ。 
      政宗からの伝令が、義広を通せ、と伝えてきた。 
      得たり、と成実は采配を振った。 
      「旗を伏せよ。乱れるふりして山へ退け」 
      白石勢も同様に旗を伏せ、左右に分かれる。 
      名にしおう成実と宗実の勢を退けた、と信じた義広が、政宗本陣目指して走る。態勢を立て直した片倉・猪苗代勢と、政宗の旗本が迎え撃つ。 
      義広の奮戦はすさまじく、ことに猪苗代勢への攻勢は苛烈に見えた。 
      が、その義広の後に続く備えがない。 
      大内・片平が左右から押し出し、義広の勢を取り込めようと囲んでゆく。 
      気がつけばすじ雲は姿を消し、代わりに厚い雲が空を覆い始めていた。 
      成実と宗実は旗を伏せたまま、磐梯山麓の細道を駆けた。丘の間から摺上原の奥へ駆け出る。目の前に会津勢の後備えが見えた。 
      ひゅう、と風が巻いた。 
      「旗たてろ、あらんかぎり声を出せ」 
      大旗・小旗を一面に差し揚げ、わっとときの声をあげた。その声は風に乗って、摺上原に太く響いた。 
      敵陣が動揺するのが、明らかに見てとれた。 
      「押し出せ!」 
      成実の命令一下、どっと衝きかかると、会津勢は大混乱におちいった。 
      日橋に煙があがったのは、ほぼ同時であった。 
      猪苗代盛国の別働隊が、橋を焼き落としたのだ。 
      政宗本陣の方へ果敢に動いていた義広の旗が、一瞬しおたれて逆さに靡いた。 
      義広とともに奥まで駆け入っていた会津勢は橋が落ちていることを知らず、我さきに逃げてくる。 
      逃げようとして河に落ちる者、溺れ死ぬよりは、と決死の突撃をする者。深追いして河に呑まれる味方もいたが、成実も宗実も敢えて勢いを止めない。 
      追え、追え、と叫ぶ成実に従う兵がいつのまにか増えている。合印をかなぐりすてて、伊達勢に加わる会津兵が出始めたのである。 
      橋を渡らずに様子を見ていた一部の会津勢が、味方を助けようともせず、引き上げ始めるのが見えた。 
      「それ、きゃつらは主を見捨てたぞ。義広探して首あげよ」 
      成実は大声をあげた。 
      義広の旗は既にたたまれて戦場に見えない。どこかを逃げ走っているのであろう。 
      今や風は東に変わり、追い風にのって伊達勢が会津勢を追っていた。 
戦が一応の終結をみたのは昼過ぎである。 
      成実は猪苗代城へ戻ると、陣所で家中の討ち取った首の数をとりまとめさせた。名のある首は首板に据えられて政宗への披露を待ち、名のない首は討ちとった者の名とともに首帳へ数を記される。 
      政宗のいる広間では勝利の祝宴が始まっていた。 
      上機嫌に諸将の祝辞を受けた政宗は、返り忠によって今回の戦に道筋をつけた猪苗代盛国の功を賞賛した。 
      成実が広間に入ると、諸将の目が集まった。日橋の奥、金川まで敵を追った成実の帰着が一番最後であったらしい。 
      政宗の前に手をついて礼を取り、杯を受ける。 
      「ご苦労であった。義広は如何に――」 
      政宗は満面の笑みである。 
      「川向こうの岸が濡れていたゆえ、逃げて退けたと存ずる」 
      成実も笑みで返し、政宗の隣にどかりと席を取った。陣中のこととて簡素ではあるが、握り飯に味噌、魚などの菜と、酒が並んでいる。 
      「なに、討てば討ったで関白とやらへの言い訳を考えねばならん。大崎同様、会津も伊達の馬打ちとゆきたいものだ」 
      政宗が豪快に笑って、魚にかぶりつき、満座がどよめいた。 
      「是非、その先駆けは我らに!」 
      酒で顔を赤く染めた、片平親綱が大きく叫んだ。親綱は伊達に返り忠した際に、証人として会津に出していた母親を殺されている。 
      そこへ、成実の勢が討ち取った首が、披露のために運ばれてきた。 
      歓声があがった。一目で大将首とわかる首がその中にあった。 
      「家士斎藤太郎右衛門が討ち取りたる、金上盛備の首でござる」 
      成実が云うと、政宗は身を乗り出した。金上盛備は会津累代の重臣である。 
      「その首、こなたへ」 
      折敷に乗せて差し上げると、政宗は菜を食べていた箸で、盛備の唇をめくりあげた。お歯黒をした歯が見えた。 
      「かねぐろだな」 
      と政宗もつぶやいた。 
      汗で大半が流れた顔の化粧は、成実の陣で再度きれいに整えたのだが、お歯黒までは気づかなかった。 
      (――首になる覚悟をしていたのやもしれぬ) 
      見事なものよ、と心地よく思いながら、成実は酒を口に入れた。 
      不意に座が、息を呑んで静まりかえった。 
      政宗が首に箸をつきさし、くるりとひっくり返して、切り口を眺めていた。 
      「――大きな首だ。一太刀と見ゆる」 
      云った台詞は、討ち取った斎藤の腕を褒めたものか、金上盛備の討たれ様を指したものか。 
      折敷に首を戻し箸を引き抜くと、政宗は血塗れた箸でまた菜を口に運んだ。何気ない所作と、紅に染まった箸の不釣り合い。 
      成実は政宗から目をそらした。 
      披露の済んだ首を下げるよう云うと、 
      「小十郎、そなたの分捕り品をも、お屋形さまに披露せよ」 
      と、末席に努めて明るく声をかけた。 
      小十郎は驚いたように目を見張り、ついで恐縮した。 
      「いや、あれはそのような晴れがましいものではござりませぬ」 
      見ていたのか、と言わんばかりに肩をすくめる。小十郎にしては大仰な仕草に、ようやく空気が和んだようだった。 
      「どういうことだ」 
      政宗が首を傾げた。 
      「小十郎が旗を奪われてな」 
      成実は自分が見た光景を語った。はじめに崩された時である。 
      「釣り鐘の旗か」 
      「面目もござりませぬ」 
      小十郎が小さくなって頭を下げた。 
      「だがそれを取り返し、敵の陣貝を奪うは、これ功名。遠慮はいらぬぞ」 
      援けた白石宗実が後を引き取る。政宗も同意し、小十郎はその陣貝を取りに下がった。 
      みなが宴に談笑している中、ふと、昂揚に身をまかせていた政宗が真顔になった。 
      「五郎、」 
      小さいが、切実な声だった。 
      「会津を得れば、いかほどになる」 
      政宗の云うのは、伊達の支配する郡の数、ひいては生産高でもあり、動員力でもある貫高である。 
      「会津は大国だ。これを得ると得ないでは、関白に対するに雲泥の差がある。そして今回の御大勝。会津は指呼の間、臆せず進むほかあるまい」 
      成実は応えながら小鮎をつまみあげた。関白の惣無事令が届いて以来、何度となく交わしてきた会話である。会津を攻めるは、先年、関白の発した惣無事令に背くことになるのだ。 
      しかも佐竹は既に関白に恭順している。実質佐竹の支配下にある葦名を、会津から追い落せば、関白に弓引いたと取られかねない。 
      しかし、関白の元で重きをなす徳川家康が遠・駿・三の三国。先年関白に敗れ、薩摩・大隅の二国に減封されたかつての島津がほぼ九州一円。今、関白に対峙している北条が関八州。 
      陸奥は大国ゆえ一郡を支配すれば、ひとかどの大名。伊達家は中でも奥州探題を自ら任じ、数郡に及ぶ直轄領と、同規模の馬打ち領を持つ。 
      が、関白と比べてどうだ。いや、北条と比べても。 
      今や天下の半ば以上を統べ、朝廷からの権威も得た関白に、勝てるとは思わぬ。 
      思わぬが――事済んだ後、伊達ともあろう者が凡百の一大名に堕するは、おのれが許さぬ。 
      そう政宗が、成実や小十郎ら近臣と語り合った結論が、自らを助く力を得るための領土の拡張であった。関白の不興はある程度覚悟の上、戦場という綱を渡りきった後は、外交という綱を渡らねばならぬ。 
      (――これも渡らいでなるものか) 
      成実はぐびり、と酒を飲んだ。 
      奥州探題として関白を迎え、地位を認めさせるには、奥州を実効支配していなければ、話になるまい。越後国主の座と上杉の名跡を得た不識庵謙信しかり、百姓から位人臣を極めた関白しかり、とかくこの世は実力で得た立場を追認されるものなのだ。 
 短い宴が果てたあと、陣所へ戻る途中、成実は猪苗代盛国が、城のはずれにたたずむのを認めた。足を運ぶと、 
      「――首を」 
      見ておりました、と盛国は云った。  
      横では人足が懸命に穴を掘っている。今日の戦で討ち取った首を葬るためのものだ。盛国にとっては、かつての朋輩の首である。 
      宵にかかろうとする風は湿り気を帯びてきていた。 
      「佐竹衆の首がござらぬ」 
      盛国がぽつりと云った。逃げた佐竹衆に怒っているようでもあり、討ち死にした会津衆を誇っているようでもあった。 
      「息子どのは」 
      「首の中にはござらなんだ」 
      夕闇の中、盛国の表情は確とは見えない。抑揚のない声がかえってかれの心情を語っていた。猪苗代盛種は葦名義広とともに、伊達の方へ切り込んでいたが、その行方はわからなかった。 
      厚い雲が磐梯の山容を覆っている。 
      明日は葦名の本拠、会津黒川へ向けて進む予定だ。会津の衆からは降伏の申し入れが届きはじめ、大塩も城を開けたとの知らせがあった。檜原の衆とは喜多方で合流することになるだろう。 
      「明日は降りそうです。雨仕度をお忘れなきよう」 
      山を見上げて云った盛国は一息ついで、涙雨ですな、と言葉を継いだ。 
      成実もまた、磐梯を覆い流れる雲を見た。常は東へ流れる雲が、今日は逆巻くように湧きたち、山肌を走る。 
      「葦名がために涙雨ならば、われら伊達にとっては、慈雨であろう。五月雨が早苗を伸ばすがごとく――」 
      一語一語に力をこめて成実は盛国を見詰めた。 
      さようですな、と盛国が云って笑った。その口調はどこか寂しげではあったが、成実には感傷にひたる余裕(ゆとり)などないのだ。 
      会津を手早く抑えねば、手薄になっている仙道が危ういことは、今日の大勝でも変わらない。版図を広げる分、対応せねばならぬ課題は山ほどある。 
      では明日、と踵を返し、成実は陣所へ向かった。 
      ――千秋万歳、 
      と、盛国がつぶやく声が、後ろに聞こえた。 
了
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