峠を越える道  

「このたび、若様のおそばにて学ばせていただくことになりました、時宗丸でござる」
父親にそう紹介されてぴょこんと頭を下げた時宗丸は、梵天丸の眇目に気づいて、興味深そうにまじまじと見つめた。
時宗丸は信夫郡大森の城主伊達実元の嫡男。小十郎が傅役として仕える梵天丸よりは一つ年少だから八歳になる。痘瘡で片目を失って以来、内気で物怖じするようになった梵天丸だが、年近い者を傍におけば切磋琢磨してたくましくなろうという輝宗の発案で、白羽の矢を立てられたのが、親類にあたる時宗丸だった。
さて、主はと見れば、時宗丸の無遠慮な視線に、真っ赤になって怒りをこらえている。
伊達家の嫡男として生まれた梵天丸は言わずもがな、時宗丸も若さま育ちであるせいか、ごく自然な無礼さを身につけていて。
これはなかなか前途多難そうだ、と小十郎は苦笑した。

まだ夜の明けきらぬ薄明かりの中、小十郎は姉の於喜多にひそと起こされた。
「時宗丸さまがおられぬと、大森の衆が」
「……大森では主をひとりにするのですか?」
「それが、時宗丸さまは抜け出す名人だとか」
どうやら悪童ぶりもなかなかであるらしい。
「とにかく、そなたも城中をさがしてくりゃれ」
昨日は実元が帰ったあと、輝宗みずから時宗丸に城中を案内する厚遇ぶりだった。
梵天丸はつきあわされて不機嫌だったが、小十郎ははしゃいだ様子の時宗丸を興味深く見ていた。
どちらかといえば陰気で内向的な梵天丸に対し、時宗丸はずいぶんと気さくで、あちらこちらを覗いては輝宗の咳き払いに引き戻されている。物見台から米沢の地を見下ろしたときなどは、感嘆の声を上げて、なかなか降りようとしなかった。
そのあい間あい間に梵天丸にちょっかいをだしては冷たくあしらわれて肩をすくめるが、いっかなこりる様子もない。気がつけば梵天丸の方が時宗丸の調子に巻きこまれ、ついうっかりと相手をしているのに気づいては眉を寄せている。
年近い者を、というのはこういうことかと小十郎は感心してそのありさまを見ていた。
着替えをして廊下へ出ると、時宗丸の傅役の阿部が申し訳なさそうに頭を下げた。
「……一日目なので油断いたしました。もう少し勝手がわかってからだと思っていたのですが」
「日常茶飯事だとか」
「お恥ずかしいことで。こなたへ来ておられぬかと聞き合わせるだけのつもりが、ともにお探ししていただけるとのこと、恐縮の至りでござる」
大森ではどのようなところにおられるか、と阿部に聞くと、炊屋でよく飯を食べている、との答え。そのほか、櫓に上っていることもあれば、厩で馬とたわむれていることもある。小姓部屋で親しい者と話しこんでいることもある。
「その調子では、城中ならどこへでも行かれそうですね」
「ま、そうなります。昨日は梵天丸さまにいたく興味をひかれたご様子でしたので、こちらかと思ったのですが」
ではそれがしは炊屋の方へ、と阿部はきびすを返し、見送った小十郎は、さてどこを探そうかと首をひねった。
確かに来たばかりなのだから、城中にはまだ不案内のはず。昨日たどった道のりを丁寧に探して歩くが、ひととおりめぐっても見つからない。
ふと思い返して、もう一度物見台へ行ってみたが、見張りの兵卒もそれらしき姿は見ていないという。仕方なくはしごを降りるそのときに、板壁の向こうに人の気配を感じた。
「時宗丸さま?」

物見台の下の屋根に座って時宗丸は遠くをみていた。
小十郎も板壁を乗り越え、声をかける。
「こんなところにおられましたか」
「うん。ここからは、日が昇るのが見えるんだ」
にっこりと笑って悪びれもせずそう言うと、時宗丸はまた視線を元に戻した。 
日の出を見ているのだ、と時宗丸は言うが、身じろぎもせずに見ている目の先には、日はない。昇った朝日は栗子山を照らしながら明るさをまし、山を、野を、浮かび上がらせてゆく。その日が動いていく先を、時宗丸は見ているように見える。
しばし、時宗丸の見つめる方を見て、小十郎は思い至った。
そうか。時宗丸の見ているのは、日ではなくて。
昨日物見台から降りようとしなかったのも、あの峠を越える道を見ていたせいで。
「……片倉とか言ったな」
「はい。片倉景綱と申します」
「証人ってなんだ」
ぽつりと時宗丸が言った。
「阿部に聞いても教えてくれぬのだ」
それはそうだろう。少なくとも時宗丸は梵天丸の「学友」としてここへ来ている。だが口さがない連中ははばかり無く「証人」――人質だという。このはしこい少年はそれをどこかで耳にはさんだのだろう。小十郎は言葉を選びながらゆっくりと答えた。
「大切なお方をお預かりすることです」
「ふーん」
その答えをどう受取ったのか、時宗丸は変らぬ様子で同じところを見ていた。
「時宗丸さま、朝日がご覧になりたいのでしたら、某のところへおいでなされ。物見台の上にご案内いたしましょう」
小十郎の提案に
「いいのか?」
ぱっと輝かせた笑顔の目には、心なしか涙の跡。
「はい。でも阿倍どのにはきちんと断っておいでなさいませ」
小十郎が微笑んでそう言うと、時宗丸はつまらなさそうに口をとがらせた。

さて、明朝。
廊下に出ると梵天丸と於喜多が待ち構えていて、小十郎を驚かせた。
阿部といっしょにやってきた時宗丸も、驚いて廊下の角で足を止めている。
それに気づいた梵天丸は、さっと駆け寄ると、扇でばしっと時宗丸の肩を叩いた。
「何をする!」
一同あぜんとする中で、時宗丸が叫び返す。
「無礼者! わしの傅役を勝手に使うな!」
駆け戻って鋭く言い放った梵天丸は、ついで少し笑った。
「と、いうわけで、わしも連れて行け」
目を丸くした小十郎は、そっと姉の袖を引いた。
「ひょっとして、姉上が若さまに?」
「こんな面白そうなことを捨て置くわけにはゆくまいが」
於喜多は当然のように言う。
小十郎も一応、於喜多に断っておいたのが、この事態を招いたらしい。でも自分も上りたいと言った梵天丸が少し嬉しく、小十郎はかかと笑った。
薄明の物見台にやってきた珍客に戸惑う見張りたちを尻目に、子どもたちはさっさとせのびをして山を見た。
「それ、若さまがた。朝日ですぞ」
朝日が浮かび上がらせる山の影。栗子山と吾妻山にはさまれた、その峠。
「あのあたりが板谷峠か」
梵天丸の問いに時宗丸はこくんとうなづいた。
「あの峠を越えて、来たんだな」
「うん」
峠を越える街道をたどれば、その先には信夫山。そして時宗丸の来た、伊達家の南境・大森がある。
「では、今度はわしと一緒にあの峠を越えて行こう」
「うん。おれが案内する」
少し打ち解けたらしい二人のたあいない約束。ただそれだけなのだが、小十郎の胸にしみた。

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