梅雨の雷

五月雨が降っている。
庭の緑は雨に打たれて深さをまし、むしろ陰鬱に見えた。日が照らないので、一日は暮れるともなく暮れてゆく。
「於六」
と政宗は傍らにいる女を呼んだ。
「はい」
於六は小さく返事して、首をかしげた。
不思議な女だ、と政宗は思う。
明日は、上洛、という日にこの女の部屋へ足が向いた。
そして、京から米沢へ戻った今日も、この女の部屋に来ている。
女の言葉には、出羽の訛りがある。於喜多の侍女だった女だが、いつとはなしに手がついた。
今思えば、閨事を教えるために、於喜多がしむけたのかもしれぬ。政宗はすでに正室の愛姫を迎えてはいたが、子どもどうしの婚姻であったから、形ばかりの夫婦であった。
政宗と愛姫が真の夫婦になったころ、於六は「新造の方」と称されて側室の待遇を受けるようになった。
「なにかお悩み事でございますか」
おっとりと於六が聞いた。
「悩み事、の……。尽きせぬものは悩み事よな」
政宗は言いながら、すり寄ってきた於六の猫のあごを撫でた。どこからともなく紛れ込んできた三毛を、政宗が拾って於六に押しつけたのだが、今では艶のよい毛並みを輝かせている。部屋の奥には小さな厨子があり、木彫りの阿弥陀仏が中から政宗を見ていた。
さようでございますね、と、いつものごとく柔らかい声音で答えながら於六は部屋の灯を入れ、酒器の用意をしてゆく。
ほかの側室(おんな)は政宗が自身の寝所へ召すのだが、新造の於六に関しては、政宗が自身出向くことも多かった。
確かに、心詰まりのあるときに於六の部屋へ足が向くようだ、と政宗は心中で苦笑した。年上のこの女は、その心詰まりをうまくほぐしてくれる。
低い出自ゆえか、いや、持って生まれた天分か、子を生まねばならぬ、寵を得なければならぬ、といった類の気負いのなさが心地よいのかもしれぬ。
口数が少なく、控えめなのも、気楽であった。

 

新緑が訪れると、
「戦の季節だ」
と政宗は思う。
緑の葉が枝を覆いつくすがごとくに、版図を仙道に沿って拡げてゆく。
だが、今年の新緑は散々だった。
豊臣秀吉の奥羽仕置の結果、大崎氏・葛西氏を始めとする奥羽の名家の多くが大名の地位を失った。
それに反発する遺臣や、従属していた中小の国人たちが蜂起したのが、大崎・葛西一揆である。
小田原への参陣によって、大名の地位を保証された政宗は、蒲生氏郷とともに一揆の鎮圧を命ぜられたが、宿願であった会津だけでなく、関白秀吉が名分とした惣無事令の布告以前に自領としていた二本松――これは父・輝宗の死と引き換えでもあった――までも召し上げられた身としては、この仕置が快かろうはずがなく、ひそかに一揆を支援していた。
が、それは露見した。
一揆勢に出した政宗の密書を手に、須田伯耆が蒲生氏郷のもとに駆けこんだのだ。
もともと氏郷は政宗の一揆への同心を疑っていたから、証拠を手にすると名生城にたてこもってしまった。
当然それは豊臣政権の、政宗を担当する奉行である浅野長政の知るところとなり、秀吉の知るところとなる。

秀吉に喚問のための上洛を命じられたのが今年の始め。
大崎から一旦米沢へ帰城した政宗は、出立の前夜、於六の部屋を訪れた。
睦みあった後、於六は小さく笑って、雪焼けした政宗の顔に触れた。
「お屋形さまは、まめ男でいらっしゃいますね」
む、と政宗はうなった。
「於六にはかなわぬな」
帰城してから政宗は、飯坂局を筆頭に、順に側室たちを呼び、最後に於六の部屋に来た。
昼はもちろん、身代をたもつべく評議にも余念がないが、もう、米沢には戻れぬかもしれぬ、と思うと、ふと、側室たちにも名残を惜しむ気になった。
そんなことは側室たちの前ではおくびにも出さぬが、於六の前では本音が出る。
「不思議なものだ」
8000で4万を迎え討った人取橋の戦の時も、小田原参陣の時も、決死の覚悟に違いはなかった。が、くにに別れを告げてゆこう、という心持になったことはない。
そう告げると、於六はもう一度ひっそりと笑顔を見せた。屏風の陰で三毛が一声、にゃぁ、と鳴いた。

 

小牧まで上ったところで、政宗は秀吉と対面した。
秀吉は上機嫌であった。
公式の挨拶が済んだ後、秀吉は茶室に政宗を呼んだ。外はまだ寒気の残る季節だが、小間の茶室は炉からあがる暖気で温かい。
「須田の持ち込んだ密書とやらを、飛騨守(氏郷)が届けてきたが」
茶をたてながら、秀吉は言った。
「真っ赤な偽物でござりましょう」
「と、いうことにしておきたいならば、上手い証を考えよ。口先だけでは、皆の腹に落ちかねるぞ」
許してほしければ、芸を見せよ、ということだ。
確かに小田原の際の死装束、利休への師事、奥州探題としての申し開き。確かに、どれをとっても一世一代の芸ではあった。
御目見得の上首尾はそういうことか、と政宗は心中でひとりごちた。
秀吉は稚気のある顔を、にやりとゆがませて、色絵の茶碗を差し出した。
――まるで幇間持ちだ。
政宗は自嘲したが、これで首も領土もつながる見込みがたった。秀吉のたてた茶は、薄茶にも関わらずひどく苦かった。

政宗の花押は、その流麗な姿を鶺鴒にたとえられる。
「これの細工にしては」
と言い出したのは、片倉小十郎だった。
「すなわちお屋形さまの、御目でござる」
「目明と盲か」
政宗は渋い顔をした。きつい洒落だが、派手ごのみの関白の好みには合うだろう。

偽物の書状の鶺鴒は、盲。
本物の書状の鶺鴒は、晴眼。

何通か、鶺鴒の花押に針で穴を開けた「本物」を手渡すと、はたして秀吉は手を打って喜び、諸将の前で大仰に感心してみせた。

鶺鴒の目で一揆への支援はなかったことになったが、あとは、それを証明するために、大崎・葛西の一揆を完膚無く叩き潰さねばならない。
そのようなことを秀吉は笑って告げ、奉行の浅野の指南を仰ぐように、政宗に言った。
出兵できる時期を問われ
「田植えの終わり次第」
と、答えた政宗に、浅野は軽侮の色を浮かべた。
「ま、せいぜいお気張りになることですな」
政宗ははらわたの煮えかえるような思いを呑みこんだが、確かに上方衆は、農繁期であろうと戦をおこすに躊躇がない。兵士と農民を竣別しているからできる機動力だが、冬を雪に込められ、作物の生産性が低い奥羽で、そのような連中と伍していかねばならぬのは、気が重く、支援していた一揆衆を討ち果たすのもまた気が重かった。

 

帰郷した日、評定を済ませた政宗の足は、そうして於六の部屋に向った。
「――来月14日に、大崎へ出陣と決めた」
「はい」
於六が杯に酒を満たす。横にはあぶった鮎と味噌が乗った皿が並んだ。
「このたびは容赦なく、一揆衆を殲滅せねばならぬ」
政宗は眉を寄せた。
「於六よ――。おれは今までにいくらでも慈悲のないことをした。道理など、必要とあらば後からつける。人の恨みなぞ、腐るほど買っている。千人、万人の恨みではきくまい。だが――、他人に使われて恨みを買うのは――どうにも心地が悪くてならぬ」
おれらしくない、と政宗は叫びたい。
遠くで雷が鳴っている。
於六の入れた酒を、ぐい、とあおると、政宗はごろりと転がった。
「御衾を――」
「いらん」
そう政宗は言ったが、於六は後ろからそっと膝を進めた。
「いらぬ」
「――あ」
半身を起こして衾をはねのけた、政宗の頭が、くるりと回って降りたのは、於六の膝の上。
「……あの……」
少しとまどいを含んだ声が政宗の耳に届いた。
「重いか」
政宗は薄目をあけて於六を見た。
「いえ」
「では、このままだ」
安座した膝に頭を乗せ、ちょうど於六の腹の下の方に顔を埋める形になった。
女の股(もも)のぬくみ、腹のぬくみがゆっくりと伝わる。
「少し痩せたか」
「おわかりになりますか」
「む」
しばらく政宗は、じっと女のぬくみをいとおしんだ。
目をつぶったまま、ただ伝わるぬくもりを味わう。
「からだをいとえよ」
政宗がそう言うと、於六は柔らかく政宗の頬を撫でた。その手をつかんで引き寄せ、抱こうと身を起こすと――、遠慮がちに、なにか言いたげな於六と目が合った。
「どうした」
抱き寄せながら聞くと、政宗の肩にすがった於六が、小さな小さな声で答えた。

――ややこが――

なに、と、政宗は動きをとめた。
「ややこができたようでございます」
しばらく絶句した政宗は、あわてて於六を身体から離した。
「なぜそれを早く言わぬ」
男となって10年余。懐妊を聞くのは初めてである。
「お悩みごとと伺いましたので――」
於六はむしろ、急に身体を離されたことに驚いているようだったが、
「このようなことをしている場合ではない」
と政宗がつぶやき、
「於喜多を呼んで、しかるべくせねば」
と立ち上がるに至って、急いで袖をつかんで引きとめた。
振り返ると、於六が微笑んだ。
「まだ、無事生まれるかわかりませぬ」
政宗は於六を凝視した。
於六の気負いのなさも無欲さも、力に支配され力を頼らねばならぬ諦観からだと思っていた。
だが、このただ凛とそこに在る強さはどうだろう。考えてみれば、保護され癒やされていたのは政宗のほうではなかったか。
「――自灯明」
ぽろ、と、こぼれた言葉に於六が首を傾げた。禅の心得のない於六にはぴんとこないのだろう。
「いや、祈祷をさせねばと思うてな」
そう驚きをごまかしたが、於六は幸せそうに政宗に寄り添った。
また、空が光った。
ああ、梅雨明けの雷だ。
「嫡子(おとこ)だぞ、きっと」
そう言いながら政宗はそっと腹を撫でた。

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