渋川城の合戦

天正14年(1586)1月1日 

人取り橋の合戦後、成実は八丁目城の出城となっていた渋川城(安達町渋川)で、前線警戒をしながら越年した。
渋川城は前年12月11日の火災で全焼しているが、突貫工事(推測)で前線基地としての機能を維持している。

そこへ鹿子田和泉率いる二本松勢が斥候に出てきた。正月のこととあって気が大きくなったか、渋川城の小者たちは武装もせずにばらばらと応戦したところ、小山の後に伏勢が待ち伏せしていた。当然のことながら、瞬く間に劣勢となり、事情を知った成実はあわててきちんとした兵を救援に出した。
羽田右馬之助は近所へ使いに出ていた帰りにこの合戦に出くわし、そのまま参戦。弟の志賀大炒左衛門も奮戦し、二本松勢が退却した。
成実はこの時討ち取った首を政宗に献上している。

参照

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