一 天正14年、渋川に……

一 天正14年、渋川に我ら居り候ところへ、元日に二本松より、昼時時分乗りかけ候ように働き候て、先へ馬上1騎歩兵10人ばかり参り候て、陣場の末・水汲み候ところへ乗りかけ、水汲み候者どもを追いまわし候ところ、内より出合い、合戦仕り候。二本松への海道に、柴立ちの小山候て、道一筋のところを追いまわし候て参り候ところに、柴立ち候後ろに、馬上100騎ばかり足軽1000余差し置き候て、押し返され候間、道は申すに及ばず、脇々へも追い散らされ、萱場源兵衛・今泉監物・横山彦四郎・楢葉藤四郎討死申し候。鹿子田右衛門存じ候は
「佐藤右衛門はかねて聞き及びたる者に候。仕様を見申すべき」
よし思い候て、小高いところへ右衛門は乗り上げ見候ところ、右衛門その近所の生まれにて案内存じ候間、各追われ候筋より西の方に引き退き候。敵追い過ぎ候て参り候を、田一枚の内に3人に物付いたし、2人首を取り、それより敵を追い上げ候て、また1人右衛門物付いたし、右衛門居り候ところまで追いつき候。右衛門もこらえかねあい除き候とて、野地げ追い入れられ候。志賀大炊左衛門、真っ先に乗り入れ、4人物付つかまつり候。羽田右馬介は余所へ参り候て、遅く駆けつけ、脇より乗り入り、5人に物付つかまつり、そこにた30ばかり首を取り、それより敵の足など悪しくなり、八丁目より助け来たり候者、ただ今の海道を、二本柳へ押し切り候ように野地を越え、助け来たり候。合戦場は二本柳より東にて候間、押し切られるべきよし存じ候て、二本松衆崩し候あいだ、追い討ちいたし候。鹿子田右衛門、飯土井の細道に馬を立て、逃げ散り候者を押し返し、武別れをいたさせ候。さ候えば、早や日暮れ候間、味方も引き上げ首263取り、2日に小浜へ上げ申し候。鹿子田右衛門まかり帰り候て、
「佐藤右衛門こと、馬上達者にて、聞き及び候者に候」
と後に承り候。

「成実記 目次」

成実三昧TOPに戻る