成実の祖母―すなわち実元の母は誰か、という問題。
伊達側の資料ではほぼ全て、実元の母は植宗の夫人芦名氏とされている。ところが上杉側の資料によると、実元の母は揚北衆の中条藤資の妹とされる。伊達側のソースは「伊達家文書」10-3290号「稙宗子女書立」であるが、上杉側については原点不明のまま通説となっている。(ただし、伊達側にも文書の由来に疑問点は残る。この文書には稙宗の子息である東昌寺大有和尚の筆か、という包み紙が附属しているが、日付が「寛永12年(1635)1月20日」。おいおい、大有和尚はもう死んでるよ……(1618没)。)
実元入嗣問題については、上杉側では「中条氏の勢力が強くなりすぎることを警戒したほかの揚北衆が大反対した」ためもあり、こじれたらしいが、母が芦名氏ならばこの理由は成り立たない。
伊達側の資料には植宗の室に中条氏は記載されていない。しかし、伊達家における実元の立場を考えるのに、母の出自は重要である。実元は姪(晴宗の娘)を室としているが、晴宗と実元が異母兄弟であれば叔父―姪の婚姻でも血のつながりは薄くなる。
また、13世尚宗の正室が上杉定実の娘であった、という「正統世次考」の記載について、年齢の不整合は早くから指摘されている。定実と稙宗が同世代だからである。そこで長谷川伸「南奥羽地域における守護・国人の同盟関係――越後上杉氏と伊達氏の場合」同「越後天文の乱と伊達稙宗――伊達時宗丸入嗣問題をめぐる南奥羽地域の戦国期諸権力」は「伊達尚宗室の上杉氏」=「上杉房定養女・上杉定実の姉or妹」と比定している。