一 氏家弾正所存には、
「さてさて移り変わる世の中にて、刑部一党伊達を頼み入り、義隆へ逆意を存じ立て候みぎりは、拙者一人御奉公と存じ詰め、名生の御城へ篭城するべく候間、岩手山を引き移り御切腹の御供つかまつるべく存じ詰め候ところ、案の外に義隆我らを、御退治なさるべき御企て、是非に及ばず候。この上は、我ら伊達を頼み入り、義隆を退治申し、我らの命をまぬがれたく存じ候」
て、弾正家中に片倉河内・真山式部と申す者を申しつけ、米沢へあい上らせ、片倉小十郎をもって頼み入り申し上げ候子細は、
「新井田刑部親類の者ども、義隆へ逆心つかまつり、米沢を頼み入るべきよし、申し上げ候ところ、不慮に刑部、義隆を生け取り、伊達御奉公変約つかまつり、義隆を取り立て申すべきよし存じ候につき、某滅亡に及ぶべき体に候条、政宗公御助勢を下され候はば、大崎を容易に政宗公御手に入べき」
よし申し上げ候に付、小十郎披露申し候えば、政宗公年来義隆へ御遺恨の儀と云い、刑部一党申し候親類共、御奉公違変口惜しく思し召し候。かれこれ氏家弾正をもって引っ立て申すべきよし仰せ出され候。小十郎即ち弾正の使・式部に御意候通り申し渡し、両使喜び候て急ぎ岩出山へまかり下り、弾正に御意の通り申し、弾正悦び尋常ならず候。