一 翌27日昨日……

一 翌27日。昨日
「竹屋敷へ陣を移し、通路まで切り申すべく候」
と申し上げ候ところに、半分は「しかるべし」よし申し候えども、落合い申さず候。あまり荒き道にはこれなく候条、御意を詰めず候えども、未明に竹屋敷へ陣を越し候につき、伊達上野、我等陣所へ引き続き陣を移し、
「惣陣ともにあい詰めるべし」
よし仰せつけられ、陣道具を持ち運び候。惣御人数は常のごとくに働き、備を取りて夫兵を相懸け候。しかるところに内より一人まかり出で、我等陣所へ小旗を振り捨て候あいだ、人を越し尋ね候えば、我等家中遠山下野に会い申したきよし、申し候。かように申す者は石川勘解由と申し、かねて懇切に候あいだ、下野を越し候て会わせ候ところ、勘解由申し事には
「この城に小野主水・荒井半内始めとして、大内備前身に進んで奉公つかまつり候者ども、数多こもり候。通路を切られ候上は、落城ほどあるまじく候あいだ、御詫言申し、城を相渡し、小浜へ相除きたく候」
あいだ、拙者を頼み候よし、申すについて、御前へ使いを上げ候て、
「かように御訴訟申し候。召し出さるべしや」
と申し上げ候ところ、御弓矢のはか参り候様と思し召され候あいだ、召し出されるべく候。さりながら城中の者ども、小浜へは遣わさるまじく候。伊達の内へまかり降るべきよし、御意に候あいだ、石川勘解由を呼び出し、御意の通りを申し候えば、あた勘解由まかり出で、
「城中の者ども申し上げ候は、伊達へまかり降ることは命乞いにて候。大内備前切腹もほどあるまじく候あいだ、腹の供をつかまつりたく存じ候て、御訴訟申し上げ候あいだ、さりとては我等前々よりこれあるべく候。右申し上げるごとく、小浜へ遣わされ下さるべく候」
よし申し候につき、そのとおり申し上げ候はば、右の通りに仰せ出され候。小浜へは差し越さるまじく候、伊達の内に引き除き申すべく候よし、御意に候あいだ、その時は下野、川二重の内までまかり越し、その様子を申し理候ところ、御前よりまた御使い下され、城中の者どもこわき事をなされぬゆえ、申したき事を申し候条、御攻めなさるべく候。もし本丸まで落城申さず候はば、城の者ども伊達へも引き除き申すべく候あいだ、惣手へも仰せ付けられ候よし御意に候あいだ、是非に及ばず城へ取りつき候。下野はようよう内よりまかり出で候。我等手よりはや火をつくゆえ、山城にて即ち吹きあげ、方々へ吹きつけ、そのほか押しこめ候ところ何方にても火をつけ候あいだ、存じのほか内々の者ども役所を離れ、午の刻より御攻め、申の刻に本丸落城申し候。撫で切りと仰せ出され、方々へ横目を差し置かれ、男は申すに及ばず、女房牛馬まで切り捨て、日暮れ候て引き離れ候。味方に紛れ生き候者いかが敵と見え候は、一人も残さず討ち果たされ候。その夜、新城・木こり山敵地にござ候。両城ともに自焼つかまつり、引き除き候。28日の未明に仰せ出され候は、木こり山へ相移らるべきよし、御触ござ候。各陣場取りに参り候て、招き候あいだ、我等家中の者乗り向かい尋ね候えば、服部源内と申して、我等旧扶持つかまつり候者にて、塩松へ本意つかまつり候者にて、
「築館を引き除き候あいだ、早々追いかくべく」
申すについて、追いかけ候ところに、早々引き除きから城へ乗り入れ、そのよし申し上げ候は、築館へ御馬を帰され、22-3日御休息遊ばされ候。

「成実記 目次」

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