一、田村月齋・同梅雪・同右衛門・橋本刑部…

一、田村月齋・同梅雪・同右衛門・橋本刑部、宮森へ伺候いたされ、片倉小十郎・伊藤肥前・原田休雪三人をもって、申され候は、「大越紀伊事始めより田村へ出仕もつかまつらず、今度の田村逆心の企始より、彼仁一人引きこもりおり候條、かの城を取りなされ候様つかまつりたき」よし申し上げられ候。御意には、かねて大越紀伊事仕様ども、具に聞こし召され、別して口惜しく思し召され候。併ながら一働きにては落城つかまつり候儀、思し召されず候。左候えば佐竹義重安積表へ近日出馬のよし聞こし召され候間、もしかの地に御手間を取らせ、そのうち義重出馬候えば、かの城巻ほこさせられ候事、如何に候間、御働きなるまじきよし、ご挨拶に候。申し上げ候は、御一働きなされ下さるべく候。もっとも佐竹殿ご出馬必定に候はば、御近陣などはご無用に存じ奉り候よし申しつけられ候について、左候はば御代官をもって、御働きなさるべきよし御意にて、我ら本宮に居り申し候ところ、伺候申すべきよし仰せ下され候條、宮森へ参り候。御意には、田村の衆大越への働き訴訟申し上げ候。近日佐竹義重安積表へ出馬のよし聞こし召され候間、その方御代官大越への御働きなさるべく候よしにて、罷りこすべき段、仰せつけられ候。拙者申し上げ候は、「安積筋にては義重御出馬の儀、承らず候。何方より申し上げ候や」と、御前の衆を相払わせられ、須賀川の須田美濃より申し上げ候御意。拙者申し候は、「存の外に候。美濃は無二佐竹御奉公の由、承り及び候。さては此方へ申し寄り候哉」と申し上げ候えば、両度人を遣わされ候に、初めの筋は悪しく候て、気遣い申し候。重ねて御意候はば、此の筋をもって仰せ下さるる由、申し上げ候て、佐竹義重の出馬の儀も申し上げ候。そのみぎり石川大和殿より、八代と申す山伏を御飛脚に差し越され候。その山伏にお尋ねなされ候も御出馬の由、申し候。和州よりはその沙汰これなき由、御意に候。それより即ち罷り帰り、両日支度を申し候て、船越へ罷り越し、大森への働も仕り候。受持の所町構の引込2-3の旋斗持ち候間、此方よりも仕る様もこれなく、引き上げ候。政宗公も御忍にて御出なされ候。しかるところ、小野・鹿股の人数は、東より働き候。他の伊達衆引き上げ候について、鹿股衆へ出合いなされ戦候て、頻りに鉄砲を鳴らし候間、たちまち人数打ち返し、内々人数を押し切り候間、方々へ追い散らし、首30ばかりにて引き上げ、翌日政宗公も宮森へ御帰り、御人数も相返され候。

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