子愛

  実元が厩から馬を引き出させていると、家老の伊庭が息せききって駆けてきた。
  厩番の小者が注進したらしい。
「何処へ行かれます」
  馬の口を取って押しとどめ、伊庭が実元を睨んだ。
「わしは留守だ。そう言っておけ」
「まだ此処におられるではありませぬか」
「これから留守にするのだ」
  また子どもじみたことを、と伊庭は思った。
  実元はよくできた主ではあるが、たまにこのような気ままを言うことがある。それは概して、杉目の晴宗がからむことで――。

 大森城の主・伊達実元に待望の嫡男が生まれたのは3カ月ほど前になる。正室の於南の方の腹で、時宗丸と名付けられた。
  於南の方の母親が、孫の顔を見がてら、部屋見舞いをしたい、と言ってきたのがこの騒動の発端だ。
  実元は快諾した。
  むしろ上機嫌ですらあったのだ。父親も同行するという報せが当日の今日来るまでは。
  報せを聞いて憮然と席を立った実元に、嫌な予感を抱いて、厩番に声をかけておいたのが功を奏した。

 於南の方の父親――伊達晴宗は南奥に威を誇る伊達家の当主であったが、先年隠居して杉目城に暮らしている。実元の住まう大森からは北隣にあたる。
  が、実元はこの舅には、複雑な感情を持っており、たびたび今日のような気ままを言う。
  実元自身も、その姓が示すように伊達家に生まれた男である。越後守護上杉家への養子入りが正式に決まっていたのが、長兄の晴宗の妨害で頓挫した。
  妨害は奥州一円を揺るがす大乱に発展したが、7年にわたる戦の後、晴宗が伊達の当主として立った。爾後、実元は親類衆として伊達家内で重きをなし、晴宗の娘――於南の方を室として今に至る。
「義理は果たしている」
と実元は言い、節目節目の挨拶は確かにかかさぬが、一城の主ともなれば私事であっても、私事ではない。
「ともかく」
と伊庭は言った。
「道祐(晴宗)さまの御成に、主が不在では、それがしらの顔が立ちませぬ」
「御成ではなく、お諜行(しのび)だろう。居るに及ばぬ」
頑として実元は言う。鷹匠が困った顔で、腕に鷹を据えたまま立ちつくしていた。

「おう。そのとおり、諜行だ。居るに及ばぬぞ」
よく通る声に、二人が振り向くと、
「その代わり、この子はわしがもらう」
  晴宗が時宗丸を抱いて立っていた。
  伊庭が驚いて礼を取ると、晴宗は愉快そうに笑った。
  実元は耳まで赤くなって晴宗を睨んでいる。一番見られたくない人物に、一番見られたくない醜態をみられた。そんな顔だ。
「……あなたまでお越しになる要はありますまい」
「おまえが時宗丸の披露に来ぬから、わしが来たのだ。祖父(じじ)が孫に会いに来ても、おかしくはなかろう」
「伊達家の大殿ともあろう御方が外孫に。十分おかしゅうございましょう」
「おまえが披露に来ぬからだ」
「いかにお目見えを仰せ付けられようと、生まれたばかりの赤子を連れ歩けませぬ」
「だから、わしが来たのだと、言っておる」
  勝ち誇ったようにもう一度晴宗は言い、実元はむっつりと黙りこんだ。
  晴宗の腕に抱かれ、据わったばかりの首を持ち上げ、時宗丸が笑っている。
  伊庭はふと目ににじむものを覚えた。かつて鉾を交えた兄弟が、こんな他愛もない言い合いをしているのだ。
  だぁ、と声をあげ、時宗丸が晴宗の頬にぺしりと触れた。
「む。お前も祖父(じじ)がわかるか」
目の中に入れても痛くない愛娘から出生した孫、ということもあろうが、根が子ども好きなのであろう。目を細めて晴宗は赤子をあやしている。
  実元は眉をひそめた。
「……その子は私の子です」
晴宗の腕から時宗丸を取り上げようとするが、晴宗は
「わしの孫だ」
と、取り合わない。
半ばむりやりに実元が取り返すと、赤子の顔はみるみる歪んだ。

 ――ふぎゃあぁ!

「――う」
どうしていいかわからず、実元は赤子を手の平に受けたまま、ただ突っ立っている。
「下手くそめ」
さっさと晴宗は時宗丸を抱き取り、とんとん、と軽く尻をたたいてあやし始めた。
ぴたりと泣き止んだ時宗丸に、実元は驚き、ため息をついた。
不機嫌そのものの顔で自分を見る実元を、晴宗は楽しそうに眺めて言った。
「――喜べ。残念だが、これは儂では無理だ」
実元と伊庭がよくよく時宗丸を見ると、泣き止んではいるものの、口元が、ふぇ、ふぇ、と何かと求めるように動き、情けない顔で手足をばたつかせている。
「伊庭」
「は」
「於南のところへ戻してやってくれ。そろそろ乳の時間らしい」
  かしこまって伊庭が受取ると、ぎゃぁ! と時宗丸は火のついたように泣いた。
「……兄者は、赤子の言葉がわかるのですか」
  ぼそりと実元が言うと、
「当たり前だ」
  晴宗は自慢げに実元を見た。
「伊達に11人も子を作っておらぬわ」
「で、嫁や婿に押し付ける。親父どのとおやりになることは変わりませぬな」
  意趣返しのつもりか、実元の言葉には棘がある。だが、晴宗は穏やかに笑った。
「……親子だからな。だがな、おれは親父のように力押しに押し付けているのではないぞ」
  夫婦は不思議なものだ、と晴宗は言う。
  もとは赤の他人であったものが、互いを慈しみ、子をなし、家を作る。そのようにどの家も相和せばよいのだ、と。
「兄者がそのように広いお心とは初めて知りました」
  実元の声はまだ皮肉を含んでいる。
「お前にそう言われるのは、仕方ないな。だが先の言は笑窪がつねづね言っていたのだが――、隠居してようやく儂も心(しん)からそう思うようになったようだ」
「笑窪どのが」
  気持ちのどこかが融けるのを感じ、実元は表情を和らげた。甘い思考を追い払うかのように頭を軽く振って言う。
「……兄弟は他人の始まりですよ」
  そうだな、とつぶやいて晴宗は城の方を向いた。
「だが、あれはおれの孫だ」
「……私の子です」
  歩きだした晴宗の横に並んで、実元は言った。

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