夢は枯野を

  広い草原で、少年が二人、弓矢を手に鹿を追っていた。
「次郎」「五郎」
  互いに呼び合いながら、駆けて行く。草叢の中に飛びこんだ鹿を追って、次郎が草叢に入った。続いて五郎が草をかきわける。身の丈ほどもある草を分けて、五郎は顔を上げた。あたりを見回す。
  静寂。
  夜のなか、草だけが風に揺れている。次郎と鹿を探して見回した五郎の目に入ったのは、煌々とした月。その月影のなかにさらに何かを探そうと目を細めた。




「との、片倉さまがお見えでござります」
小姓の声で伊達成実はふと、我にかえった。いつのまにかまどろんでいたものらしい。
  伊達政宗が、豊臣秀次の太閤への謀反に加担していたとの嫌疑をかけられて以来、成実を始めとする重臣たちも伏見城下に住まいすることを命ぜられていた。さまざまな外交上の危機が政宗を襲うこの頃、伊達家の内部でも微妙な軋みが生まれていた。
  ――政宗と、その一の勇将である成実との不和である。
  政宗の腹心である片倉備中景綱が成実の居宅を訪ねてきたのは、この問題についてであろうと推測できた。
  平伏する客人の前を通って、成実が床の前に着座すると、景綱のやや後ろにいた少年が待ちきれないように口を開いた。
「五郎さま、お身体の具合は如何でござりますか。幾日も出仕なされぬとのことで、心配いたしておりました」
  子どもらしい無邪気な口上に、成実は頬を緩めた。
「重綱か。そなたの見舞いでずんとよくなった。明日は久しぶりに剣の相手をしてやろう」
小十郎重綱は嬉しそうに、にこりと笑う。景綱の嫡男である重綱は、成実が烏帽子親を勤めたこともあり、ことのほか成実を慕っていた。
  景綱も重綱に調子を合わせ、和やかな雰囲気の中で、三人は夕餉の膳を囲んだ。
  何杯かの酒にたあいもなく重綱が寝てしまうと、景綱が次の間へ寝かしに行く。その間に成実は再度酒の用意をさせた。酒で無聊を流してしまいたかった。伏見はあまりにも奥羽から遠い。自分のことに限らず、すべてにおいて、なにやら齟齬が生じているような気分がしていた。
  景綱が帰ると、成実は杯をすすめた。一礼して景綱は飲み干す。なんでもない顔をしているが、景綱も酔えぬようだった。
「……で、備中。本当は何の用だ」
成実は切り出した。
「重綱を連れて来たところをみると、いきなりばっさりではないようだが」
「さすがご明察恐れ入ります」
杯を置き、しばしの沈黙のあと、景綱は応えた。
何故出仕せぬのか、との問いに、虫気(はらいた)じゃ、と成実はいつもの口実そのままに淡々と答えた。
「もう一つ」
景綱がぱちんと扇を鳴らす。
「五郎さまのお屋敷に、不審なる人物の出入りこれあり。これは如何なるご所存か」
じろりと成実は景綱を睨んだ。
「不審というたな、備中」
景綱の胸倉をつかむ。
「あれはみな伊達の臣ぞ。政宗(との)のお目が届かず、不遇をかこつ者たちじゃ。それを不審というか。」
一気に言い放つ。
景綱の目は怖じることなく、成実を見つめかえした。
ふん、と自嘲気味の笑いを洩らして、成実の手から力が抜ける。虫気と称して出仕せぬ自分もまた不審であるからこそ、景綱がここにきているのだ。
「問題は」
酒を一杯、一瞬の逡巡とともにぐいと飲み干し、成実は告白した。
「政宗(との)を排して儂をたてようとするかれらの思惑が、とても甘美なものに思えることなのだ」
景綱は驚きはしなかった。が、黙って何かを考え込む風である。
「――蛟龍、雲を得て天に昇る」
朗々と唱えたあと、雲となって龍を天に押し上げるのが自分の夢だと、景綱は言った。
思えば政宗を独眼龍と言い初めたのは片倉景綱であった。
成実は瞑目した。
自分も夢を見ていたのだ。
政宗(との)とともに中原に鹿を追う夢。
しかし自分が追いかけていたのは、つまるところ伊達政宗その人だったのだと思い知る。
「それでも知りたい」
成実は景綱に語る。
「果たしてこの成実は雲なのか。それとも自分を龍と思いこんだあわれな地竜(みみず)にすぎないのかを――」
  景綱はこの告白を政宗(との)に告げるか。
  否、と沈黙が答える。
  成実と景綱は、再び酒を、笑みを浮かべて酌み交わす。苦い酒、苦い笑み。だが他に仕用がない。

  ほどなく、成実は政宗のもとを出奔した。 Page Top