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右手のやけど

このことについて言及してある本は、見たことがない。あれだけはっきりと、「政宗記」に書いてあるのに。と、思っていたら「新奥羽永慶軍記 会津の巻」に載ってた。

時は天正13年12月11日戌の刻(午後8時ごろ)。
人取り橋の合戦後、成実は前線基地・渋川城で二本松への警戒にあたっていた。
成実が普段居室にしている座敷で、近臣が鉄砲の薬箱へ火を取り落としてしまった。火薬の上へ火を落としたのものだからたまらない。あっという間に城中へ燃え広がり、渋川城は全焼してしまった。成実も危うく焼け死ぬところをどうにか逃れたが、右手に大火傷を負った。
この火傷はひどいもので、治癒したものの、右手の指がみな一つにくっついてしまい、生涯それは治らなかったらしい。ちょうど野口英世の左手と同じような状態になったわけだ。……しかし普段寝起きしている座敷に弾薬を置いている、というのがスゴイ。そーゆーもんなんだろーか。

さて、武勇の人成実のこの火傷はどう影響したのだろうか。親指までくっついてしまったのならば、右手でできることはごく、限られる。逆に親指は無事だったなら、細かい作業は無理でも、刀を持つ、筆を持つ程度ならばどうにかできるかもしれない。お箸は無理かな。
成実自筆の書状も残っているけれども、印刷でしか見たことのない管理人には右で書いているか、左で書いているか見当がつかない。(じかに見てもたぶんつかないけど)
以下は「政宗記」からの引用。

「政宗記 巻三 安達郡渋川戦之事」より
去程に成実も十二月に至て、右の渋川へ罷帰。然るに同月十一日の戌の刻計りに、成実不断居ける坐敷にて、郎等鉄炮の薬箱へ取はつし火を落かけ、其火摠の箱へ移て焼立程に、城中残りなく成実も以の外焼、今に至るまで右の手指一にねはり合、一代の片輪になりける程に、其砌十死一生は云に及ばず。

 この火事に乗しての敵襲がなかったのは不幸中の幸いであった。戦時中しかも真冬に前線基地が丸焼けになってしまったのだから、さぞかし大変だったと思うのだが。
さらに火傷がらみの謎としては、成実が天流剣術の皆伝であった(世臣家譜)、との記述がある。健常者同様に刀を持てるとはあまり思えないが、達者であれば問題なかったのかも。

追記 2009・4.6
仙台市博物館調査研究報告第11号収載・高橋あけみ「伊達政宗伝授書群について」に紹介されている巻子概略に、「南無五十軍馬守護所」と題され、奥書に「伝輝房/荒河又左衛門/成実/天正十二年甲申十月日」とある巻子2巻(B-16,B-26)がある。「伝輝房」は天流創始者の斎藤伝鬼房であろう。斎藤伝鬼房の没年は天正15年であり、矛盾がない。
著者によればこれは「伊達成実の天流(薙刀の流派)免状」とある。
とすれば、火傷受傷前のごく若いころに免許を得ていたことになろう。

しかし、この火傷も最近有名になったなぁ。。。。

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