さて今日、観音堂においての戦、敵を後ろになし、また荒井より助け来り候大軍と、貴殿小勢を以って合戦に及び、比類無き所に、却って大利を得られ、又もあるまじきと、耳目を驚かせ候。御辺一身の依り扱いに、諸軍を助け、悦ぶこと斜めならず候。然りといえども、家中に死人手負い数多有るべきこと、笑止の至り也。明日は、敵陣本宮へ、近陣為すべしの由、其聞こえ候。とてもかの地へ出でられなば、本望なるべし。伊達上野守政景へも、其の旨同意に申し付け候。恐々謹言。
(天正13年)11月17日亥の刻 政宗
御使者山路淡路殿
※「亘理伊達家史料(北海道伊達市所蔵の政宗文書29の原本)では、書止文言は「恐惶謹言」。上の読み下しは仙台市史 政宗文書29の記載に従っている。