田村家老衆訴訟の事

同四月、石川弾正逆意に付て、相馬へ傾く者ども伊達を守人々も、政宗時刻を移さず打出給ふべしと、田村にて積りけるに、左もなかりければ、何れも不審を立るは理りなり。然りと雖も政宗にも亦十分なる子細にや、隣国の最上義顕政宗へ伯父にて御坐ども、身の中をも知給はず、欲の深き大将にて、在城の米沢を望み給ひ、右にも申す鮎貝藤太郎に、様々の知略をめぐらさし手切の砌なれば、跡を打明卒尓に出られけるは、成らざることなり。尓る処に、田村月斎・橋本刑部、白石若狭を頼み米沢へ申けるは、
「石川弾正逆意に何て御馬を出され、御退治成んと人々存る処に、御馬も出さず、扨亦田村は過半相馬へ傾きけれども、御鋒先を恐れ未だ手切もなかりける、今度義胤を引立参らせんために、伊達へ弾正逆心なれば、御馬を出されずして叶はず」
と申す。政宗
「時刻を移さず打出べしと雖ども、只今最上との戦にて何の境にも、大身どもを差置けれども、最上境は小身なれば、米沢を打明出べきこと遠慮の旨なり、扨亦馬を出す程ならば、或は退治か或ほ一ケ所も取らずして、一両日の働にて空く引込けることは、流石に四方への聞へもいかゞなり、されば退治をなさん左も有るときんば、日数を経べし、尓れば永々敷在城を打明んこと気づかいなり」
と宣ふ。重ねて月斎・刑部
「其御底意をば知給はで、一向御馬究がずと田村の者ども存じなば、各相馬へ傾ん、惣じて御家に限らず、他国の大将衆も御手際のよきこと計りは、争でか御坐候べき、たとへ久しき御在馬には非ずとも、一働遊しなば、何か願の候べき、只今迄田村の安穏なるも、御出馬を恐れてのことなり、尓るに左もなかりければ、其者の生害は疑ひなし」
と申す。故に政宗
「両人の申す所も十分なり、さらば一評議候らはん」
とて、陣触せよと宣ひ、四月二十九日に米沢を打立、三十日に信夫の大森へ馬を出され、三日逗留有て五月四日に、四本の松の築館へ移し給へり。斯て弾正居城は月山といふ処なり、小手の森は四本の松を手に入給ふ其砌政宗より弾正処へ加増に賜はる、又百目木とて、弾正親摂津守居城は、相馬境なり。去程に築館近所より働き給ふべし迚、先小手の森へ打出給へども、月山へも働き紙ふと間へ、義胤一日前に打て出、月山を抱ひ給ひ、小手森へは弾正を籠らせ給ふ。されば政宗小手の森地形を見給ふべしとて、北より南へ通り給へぼ、内より鉄砲を打掛けれども構はざる故、何事なく某日は先引上給ふ。扨、成実をば南筋を気遣ひ給ひ、其夜に二本松へ返し給へり。翌日は雨降けれども成実亦築館へ参りければ、働も相止まかりかへり、其より日々参りけれども、天気悪く働き給ふも叶はざれば、五月七日政宗も大森へ引込給ふ。尓るに月斎・刑部引込給ふを承驚き、白石若狭と成実を以て、
  「右にも一働とは申しけれども、御出馬遊ばす程ならば、流石に四五日も働き玉ふべしと存ぜしに、天気故とは存じながら、一日の御働にて引込給ふは、只最上境を深く御気遣と、田村の者ども含みなば、伊達を守る者ども心替候べし、此上は米沢にも田村にも事出来なば、何方へも御早蒐遊ばれんがため、大森に御在馬と諸人存ずる様には、如何が候べき」
と申す故、若狭・成実両人大森へ参り、原田休雪・守屋守柏・伊東肥前・片倉景綱四人に、右の趣語りければ、肥前
「十分なる御訴訟なれども、各存知の如く米沢に大身衆、一人も差置給はで、最上境は小身なり、たとへば御早打と申とも、此方より彼境へは田舎道二百里に及ぶ処に、何事を申来るとも、跡辺ならん」
と申す。若狭
「旁は田村の事をば、只大形に思はれけり、月斎・刑部巳に御奉公を思ひつめ、田村を踏しつめたればこそ、只今迄も穏にしけれ、尓るに大森を引込給はゞ、右の両人頼みを失ひ心替るべし、事危き」
と云。又肥前
「たとへば心替り候とも、米沢に悪事出ては更に詮なし、去程に御在城の政を能納め、田村をも御抱ひ好るべし
」と云、景綱
「爰にて問答入ざる事なり、御前へ披露して兎も角も仰せ次第
」とて、各相具し右の品々申しければ、政宗
「引続きの雨天故手際なしにて引込けるは、本意なきことなり、両人望の如く、当地に人馬を休め、何方にも事出来なば、早打せん心安かれ」
と宣ふ故に、若狭方より其旨申遣しければ、月斎・刑部悦こと斜めならず。尓して後大森に逗留御坐内、安積郡高倉辺をみんとて、五月十一日に出給ひ見廻り給ふ。成実は通り給ふを俄に聞て、居城二本松を打立、本宮にて追付奉り供を致す。前田沢掘の内と云処まで見給ひ、其日に大森へ帰り給ふ。されば田村に於て、下々何角と色々申すことゞも有ければ、月斎・刑部、景綱に内通して密々に伺ひ其上申し出けるは、
「大森には政宗公、月山には義胤公在陣し給ふ。扨其内双方の衆を田村へ入立悪事もあれば、尓るべからず、たとへば御用ありといふとも、今より後ほ伊達衆も勿論、相馬衆をも入間敷と存ずるなり、但各は如何思はれける」
と評定しければ、梅雪・右衛門を始め、何れも頭立ける者ども尓るべしと同じける。是に付て月斎・刑部、景綱へ其旨申合せ、其よりは不通にて候事。

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