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一 霜月10日ごろ……

一  霜月10日ごろ、佐竹義重公・会津義弘公・岩城常隆公・石川昭光公・白河義近公、仰せ合わされ、須賀川へ御出馬なされ、浅積表に伊達御奉公の城々へ御働きなされ、中村と申す城御攻め落城つかまつり候。右の通りにわかに小浜へ申し来たり候につき、政宗公岩角へ御出馬なされ、高倉へは富塚近江・桑折摂津守・伊東肥前・御旗本鉄砲300挺さし篭められ候。本宮城へは瀬上中務・中島伊勢・濱田伊豆・桜田右兵衛あい篭められ候。玉井城へは白石若狭。我らことは二本松篭城に候間、八丁目の抱えのため、渋川と申す城に差し置かれ候が、
「小浜在陣申す衆、いずれも無人数に候間、早々参るべき」
よし御状下され候条、渋川人数過半あい残し候て、塩松へ回り、小浜へ参り候ところ、早々御出馬なされ候。小浜の御留守にも御人数差し置かせられず候間、我ら人数を残し申すべく候よし、仰せ置かれ候につき、青木備前・内馬場日向・馬士30騎ほど残し、岩角においてお目見えつかまつり候えば、御意には、
「前田沢兵部も身を持ち替え、会津へ奉公いたし候間、定めて明日は、高倉か本宮へ働きをなすべく候間、まかり通るべき」
よし仰せられ候条、ぬか沢(糠沢)と申すところにその夜在陣申す。かの前田沢兵部は、旧二本松奉公の者にて、義継切腹の砌、伊達へ御奉公つかまつり候儀、佐竹殿出陣につき、またい違変申し候。同月16日、前田沢南の原に、敵、野陣をかけ候。
「定めて高倉への働きにこれあるべき」
のよし申し来たり候につき、政宗公も岩角より本宮へ御移りなさる。本宮そのころは、ただ今の町場畑にて、人居もこれなく、少なき川流のところ、外矢来にて内町ばかり人居候。
「高倉へ差し働くべき」
よし申すにつき、助けの衆のために本宮へ人数観音堂へ打ち上げ、見合い次第に高倉へ助け入るべく、高倉の海道山下へ備をあい立て候。敵50騎余にて三筋に押し通候間、高倉に篭りの衆申すことには、
「本宮御無人数にて候間、人数を出し、抱え留め候てみたき」
よし申され、
「なるまじき」
と申され候衆も候えども、富塚近江・伊藤肥前申す様には
「たとえ押し入られ候えども、本宮へ通り候人数、留り申すべく候はば、苦しからず」
よし両人申し、人数を出し候ところ、そのごとく敵を押し縮め候ところ、岩城の衆入れ替わり候て、押し篭め候間、両小口へ追い入られ、2-30人討ち取られ候。敵の人数大勢ゆえ、前田沢より押し候人数は、観音堂より出候衆と戦い候。また荒井を押し候人数は、我らとの合戦両口にて候。(不)合戦前、下郡山内記、我ら備候向きに、少し高山のところへ乗り上げ見候えば、馬上6-7騎足軽140-150ばかりにて、本宮へ高倉の方より参り候。そのあとに大勢人数参り候。敵とは存ぜず、さてまた何者と疑い、さりながら敵と味方との境のように見え、その間1丁余隔て候間、不審と存じ候て見候えば、その間にて鉄砲一つ打ち候間、さては敵味方の境のよし存じ候て、乗り返し山上より
「敵これまで参り候。小旗をさせ、させ」
と呼び候間、その時小旗をさしあい待ち候ところ、若狭・伊豆・壱岐、我らまといへ駆け込み、直々御旗元へまかり通り候。観音堂よりこの人数、太田原に備え候ところ、敵大軍ゆえ、こたえ候ことならず、敗軍候て、観音堂を押し下げられ、御旗元近くまで下がりかえり候。茂庭左月を始めとして50余人討たれ候。左月は首(しるし)は取られず候。伊達元安・同美濃・同上野・同彦九郎・原田左馬介・片倉小十郎始めとして、歴々衆あいこたえ候ゆえ、大敗軍はこれなく候より、我ら備は、味方一人も続かず、左は大川にて、7丁余敵の後ろになり候。我ら18歳にて何の見当もこれなきところ、下郡山内記我らに馬を乗りかけて、馬の上より我ら小旗を抜き、
「観音堂の衆崩れ押し切られ候間、早々除き候え」
と申し候て、小旗を歩き候者に渡す。我ら思い候は
「あい除き候ても討ち取られるべく候間、ここにて討死つかまつるべき」
よし存じ、引き除かず候。しからば敵より白石若狭・高野壱岐・濱田伊豆、3人を追いたて候て、敵、山の下まで参り候間、我ら人数を放しかけ候えば、敵あい除き候。ここに伊羽野遠江とて、73にまかりなる大功の者候が、真っ先に乗り入れ敵両人に物討ちいたし、1人内の者に首を取らせ、山の南さがり5丁ばかり橋詰まで敵を追い下げ候ところ、羽田右馬助、敵味方の境を乗りわけ乗りわけ崩れぬように、馬を立てまわし立てまわしあい除き候えば、槍持1人進み出で、右馬助を突き候ところを、取って返し候に、突きはずし前へ走りかけ候を、右馬助一太刀に物付けつかまつり、その者も家中の者に討たせ、その身の家中も1人討たれあい除き候て、本合の始まり所へまた追い付けられ候。またそれより返し候て、鉄砲大将萱場源兵衛・牛坂左近両人、敵の真ん中へ乗り入れ、馬上2騎あて物付をつかまつり候えども、具足の上にて通らず候や、敵除け口なり。またもとの橋元まで追い下がり候て、北下野馬を立て候ところに、歩(かち)の者走り参り、新介馬を突き候間、新介もまかりならず引き除き候ところに、味方除き口になり候。伊羽野遠江、味方崩れぬようにと殿(しんがり)をいたし、取って返しあまり味方に離れ候。その日は
「甲着け候ては、老人目見えず」
とて、すつふりにてまかり出で候ゆえ、敵乗りかけ、頭を二太刀切り候間、こらえ候ことならず引き除き候。味方それよりまた元のところへ追い付けられ候。さ候えば観音堂も武別れつかまつり候間、敵引き上げ候。我らも押さず、添え人数を引き回し、打ちあげ、武別れいたし、観音堂は誰々如何ようにつかまつり候も、別筋に候間、存ぜず候。遠江はまかり帰りあい果て候。不思議の天道をもって一芝居も取られず、観音堂同然武別れいたし候。敗軍は申さず候えども、我ら家中覚えの者、伊羽野遠江・北下野を始めとして10余人討ち取られ候。敵の首も9討ち取り候。合戦の様子細かには記さず候。あらあら書き付け候。観音堂の敵、引き上げ候間、我ら備は味方へ引き添え申し候。その後観音堂へ敵、備を上げ、高倉の海道川切りに備を帰し候間、
「一戦これあるか」
と存じ候ところ、政宗公御備5-6丁ほど隔て候ゆえか、何事なく打ち上げ候。この方の人数も御無人数ゆえ、押し添えず、かの下郡山内記と申す者は、旧輝宗公へ御近く御奉公申し、相馬御弓矢の時分、鉄砲大将仰せつけられ、度々の覚えをつかまつり候。その頃御勘当にて我らを頼みまといに居り申し候。その日も味方遅れ候時は、馬を立てまわし立てまわし、味方の力になり、敵を押し返し候ときは最前に乗り入れ、敵に両度物付をつかまつり家中に首を取らせ申し候て、比類なく稼ぎをつかまつり候。

「成実記 目次」

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